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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=グロムイコ、日中「結託」に警告─大平外相訪ソ(1)(2002年10月)

 1972年9月29日の日中国交正常化について説明するため、日本政府は関係各国へ特使を派遣した。ここでは、日中国交交渉で陰の主役となったソ連の反応を紹介する。当時の報道では、ソ連が理解を示したとされているが、日本外務省が情報公開法に基づいて開示した外交文書によれば、ソ連の指導者は実際には、日中が対ソ戦略で「結託」することのないよう警告し、日本側に強烈な圧力を掛けていた。

■ブレジネフは会わず

 大平正芳外相は10月10日から、オーストラリア、ニュージーランド、米国、ソ連を歴訪した。韓国、南ベトナムなどの東アジア諸国は、外務政務次官や元閣僚が赴き、日中交渉の経緯を伝えた。
 大平は23日、モスクワのソ連外務省でグロムイコ外相と、翌24日にはクレムリンでコスイギン首相と会談した。最高指導者であるブレジネフ共産党書記長は大平に会わなかった。
 23日の外相会談で大平はまず、日中国交正常化に関して、次のように説明した。
「〔日中〕両国は共同声明において、日中〔国交〕正常化が第三国に向けてなされたものではないということ、両国はアジアにおいて、いずれの国であっても覇権を求めることに反対する意向を表明した。
 台湾の問題について、中国側は、台湾が中国の領土の不可分の一部であることを再確認するよう主張し、日本はこれに理解と尊重を示すとともに、ポツダム宣言の立場を堅持することを明らかにした」
「米国〔の反応〕は、日中正常化に一応の理解を示し、ただし、日米安保条約の運営が損なわれることのないよう求めるというものだった。わたしどもとしては、同条約の堅持を先方に保証している。韓国も一応理解を示し、日本と北朝鮮との関係が急激に接近・拡大することのないように、との希望を表明した。
 その他の国々も一応の理解を示したが、南ベトナム、タイ、カンボジアなどは、日中の正常化に対する懸念よりは、中国側が共同声明に示されているような平和の意図を行動において示してくれるかどうかについて、若干の不安を示した」
 日本があっという間に中国と国交を樹立したことで、米国が日米安保、韓国が中国の友好国である北朝鮮、東南アジア諸国が中国自体の動向について、それぞれ一定の懸念を示した事実を率直に説明している。
 しかし、日中接近に最大の懸念を抱いたのは、やはりソ連だった。

■「覇権国とはどこか」

 ソ連側は大平に次々と質問を浴びせた。
 グロムイコ「アジアにおいて覇権を求める国とは、どこのことか。日中共同声明の中には、アジアにおいて覇権を求めるいかなる国の試みにも反対する旨が述べられているが、これはどういう意味だろうか。この文章は、日中の話し合いの中で、どのような国を具体的に念頭に置いて考え出されたものなのか。単に抽象的な文章なのか、そうでないとすると、どこの国を意味しているのか」
 大平「2月の上海コミュニケ〔米中共同コミュニケ〕と同じ文句である。一つの抽象的な表現であるが、わたしどもとしても異存がないので、同意したものである」
 グロムイコ「具体的には、どこの国も意味していないのか」
 大平外相「具体的には、どこの国についても言及はなかった」
 グロムイコ「中国との話し合いにおいて、中国の対ソ関係について、どのような話が出たのか。貴大臣が答えうるがどうか分からないが、中国との話し合いにおいて、中国の対ソ政策について意見が述べられたか。中国側は日中正常化に関連して、日ソ関係に暗い影を投げかけるような意図を示さなかったか」
 大平「中国側は、日ソ関係は日ソ間の、日米関係は日米間の問題であり、自分たちとしては、それに介入すべき立場にはないということに終始した。シベリアの資源開発の話を聞いているが、これは日ソ間の問題であり、中国側から言うことはないとの立場だった」
 グロムイコ「わたしたちの方にも、国際新聞報道が伝わっているが、その中には、中国が日ソ経済協力に反対しているという趣旨のものもある。この点について、貴大臣がお答えできれば…」
 大平外相「わたしたちの承知している限りでは、中国は介入しないとの立場を貫いた」
 「暗い影」発言など、ソ連側が疑心暗鬼になっていることがよく分かるやり取りだ。
 しかし、田中角栄首相訪中時の会談記録を見る限り、中国が日ソ間の経済協力に反対したという事実はない。
 もっとも、田中と周恩来首相は会談で、競うようにソ連を罵倒しており、「覇権を求める国」が具体的には、どこの国も意味していないという大平の説明はもちろん、うそである。

■大平を前に対中批判

 グロムイコの質問は続く。実際には、質問の名を借りた対中批判だ。
 グロムイコ「質問が多過ぎて恐縮だが、重要なので、あと二、三お願いする。日中共同声明の中には、武力不行使についてうたわれている。ソ連は、中ソ関係において武力不行使をうたうべく最近提案し、また、国連の場でも武力不行使を主張した。この点について、中国は、日本との関係においてはこの原則を支持しているが、中国の考えはどうなのだろうか。中国は、国際社会の面ではこの原則を踏みにじっており、中ソ関係においてもこの原則に反対している」
 大平「中国が世界政策として、どういう政策を持っているかは分からないが、日中間では、問題なく武力不行使の原則について合意ができた。それ以上、わたしが申し上げる知識を持っていない」
 グロムイコ「次の質問は貴大臣もよくご承知の核兵器不使用の問題についてである。これは重大な問題だが、中国の立場はどうだろうか。ご承知のように、ソ連は国連でこの問題、核兵器の禁止、核兵器の拡張禁止について提案したが、中国が強く反対した」
 大平「今度の日中交渉においては、核兵器の問題についてはほとんど触れなかった」

■「ソ連の利益に害与えるな」

  一通り中国批判を展開したグロムイコは、日中国交正常化に対する"総評"を述べた。
「貴大臣による説明に謝意を表する。日中正常化の事実を高く評価する。この問題の内容について、二、三自分の考えを述べる。
 わたしたちの考えでは、日中国交正常化自体は問題のないものである。ソ連の考え方は、全世界の各国が正常な関係を互いに維持すべきであるということだ。繰り返すが、日中正常化には問題がない。
 問題は、これがどういう基礎で行われるかである。日中正常化がソ連の利益、日ソ関係の利益に害を与える形で行われるのは良くない。このような形で行われるのならば、日中正常化に共鳴することはできない。
 貴大臣が説明され、わたしたちが正しく理解している限り、日中正常化はソ連の利益にも、日ソ関係にも害を与えないと解し得る。ただ、実際においても、そのようになれば、異議はないということだ」
 日本外務省は当時、記者団に対し、「日中正常化の事実を高く評価する」など、この発言の前段のみを紹介し、これをもって、「ソ連の理解を得られた」としていたが、全体を読めば分かるように、グロムイコ発言の重点は後段にある。
 それはつまり、一般論として、国と国が仲良くするのは良いことだが、日中接近がどうなのかは両国の実際の行動から判断する、という趣旨である。

■超大国のこわもて

 それでも言い足りなかったのか、グロムイコはさらに、発言を続け、大平に重ねてくぎを刺した。
 グロムイコ「日中正常化について、わたしには二、三の考えがある。
 第一は、日中共同声明の中には、日中両国は、いかなる国もアジアにおいて覇権を求める試みに反対するとの趣旨が述べられているが、具体的国名は入っていない。わたしたちは、中国側がこの文章にどういう意味を与えているかをよく知っている。この文章は誰が提案したのか、よく知らないが、抽象的であるのかどうかよく分からない。共同声明の後の中国側の発言を研究すると、いろいろな問題が出てくる。よく分からない。
 第二の点は、日中正常化には関係付けずに申し上げたいが、わたしたちは、ソ連に対する結託ができることに強く反対する。
 もう少し付け加えることがある。それは日ソ関係の問題である。日ソ関係は、第三国がその発展を好むとか、好まないとかとは別の問題であり、第三国の希望に依存する問題でもない。日ソ両国は自主的関係を発展させなくてはならない」
 大平「貴大臣の言われたことをわたしはよく理解できるし、また、これに同感でもある。
 日中関係の正常化が日中のコンビネーションをつくり上げるものであってはならないと考えている。日中関係は自主的な、フェアな関係でなくてはならないと考える。日中交渉においては、何らの秘密協定もつくられていない。わたしどもは、世界に表も裏もはっきりさせようと考えている。
 第二の日ソ関係については、貴大臣の言われる通り、自主的でなくてはならないと考えている。第三国のそそのかしによって、いささかも妨げられるようなものであってはならない」
 グロムイコ「この問題について、これ以上申し上げることはない」
 グロムイコは、日中国交とは「関係付けずに」としながらも、対ソ「結託」に強く警告し、超大国・ソ連の"こわもて"ぶりを十分に示した。

■オランダ方式を参考に

 ちなみに、大平はこの会談で、対中国交正常化における台湾問題の処理について、こう説明している。
「台湾の帰属の問題については〔共同文書の表現で〕いろいろな方式がある。〔中国側の主張を〕テイク・ノートする方式とか、アクナレッジする方式〔例えば、米中の上海コミュニケ〕とか、フランスのように全然触れない方式とかがある。わが国としては、最近オランダがとった方式、すなわち、理解と尊重を示すということとした」
 オランダは50年に中華人民共和国を承認したが、72年5月になって、ようやく外交関係を大使級に昇格させ、全面的な国交を結んだ。この際の交渉は71年11月に始まったものの、台湾問題をめぐって難航。結局、台湾は中華人民共和国の一つの省であるという中国政府の立場を、オランダ側が「尊重」することで決着し、この文言が共同コミュニケに盛り込まれていた。日本はこれを参考にしたわけだ。

 (注)引用した文書は「大平大臣・グロムイコ大臣第一回会談記録(日中正常化対ソ説明の部分)」(1972年10月31日、外務省東欧第1課が作成。当時は「無期限極秘」指定)。引用した発言の中の〔 〕は引用者による注記。(2002年10月21日)

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