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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=日米安保・自衛隊容認を“釈明”-トウ小平来日(2)(2005年8月)

 1970年代は日中の蜜月時代だったが、日本の安全保障政策に対する態度を大転換した中国に対し、日本の革新勢力などには不満や困惑もあった。このため、78年10月に来日して福田赳夫首相と会談したトウ小平副首相は、この問題で中国の基本的な立場を詳述した。
 また、経済協力に関するこの時の話し合いは、後の円借款など日本から中国への大規模経済援助の布石となった。

■「戦争は避けられない」

「戦争は避けられない。しかし、戦争は手段を尽くして先に延ばしたいと考えている。戦争の発生を延ばす手段はあり、手を打つことができる。それは、世界の人民が警戒心を高めることである。つまり、世界の人民が戦争を引き起こす国の戦略上の措置を打ち砕くことである。宥和主義をとってはならない」
 10月23日の会談でトウ小平は国際情勢に対する基本認識をこう披露した。名指しはしていないが、「戦争を引き起こす国」がソ連を指すのは明らかだ。
 トウはその上で「過去に中国が日米安保条約に反対しておきながら、現在、それに理解を示していることに対し、一部の人々は理解できないと言っているが、上述の観点からみれば、理解してもらえると思う」と述べ、中国が日米に接近した70年代に入ってから、同条約を容認するようになったことを正当化した。
 また、自衛隊容認についても「中国は過去に日本の軍国主義に反対しておきながら、現在、自衛隊の発展に賛成していることに対し、なぜであるか理解できないと言っている人もいる。しかし、これも上述の観点から理解できるだろう」と釈明した。
 トウはこの際、「中日両国の国交が正常化される以前にも、毛〔沢東〕主席は日本の友人に対し、日本にとり、日米関係が第一であり、中日関係は第二であると述べていた」と指摘。米国との協力を主軸とする日本政府の外交・安保政策に理解を示した。
 これらの発言の背景には、ソ連に対する強い警戒感があった。

■経済協力に期待

 10月25日の第2回会談では、日中間の経済協力も話し合われた。
 福田は特にエネルギー問題を持ち出した。
「わが国は資源小国である。石油の8割近くをアラブ諸国から輸入している。偏り過ぎているので、石油の供給源を多様化させたいと考えている。わが国が経済を発展させていく上で、貴国との協力を希望している」
 同時に、福田は「経済協力も大事であるが、もっと大事なことは、両国の相互理解と相互信頼を高めることであり、それがないと、本当の友好にはならない」と強調。「日本には『カネの切れ目が縁の切れ目』ということわざがあるが、これではだめで、日中間の経済上の協力関係のためには、日中間に相互理解と相互信頼を高めていく必要がある」と語った。
 これに対し、トウは「われわれは『四つの近代化』を達成した後も、まだまだ貧しいだろう。その時には貴国はさらに進歩しているだろう。したがって、『四つの近代化』達成後も、やはり貴国の協力が必要であろう」と、謙虚な姿勢で長期的な経済協力に期待を表明した。

■深まらなかった「相互理解」

 福田は主に大慶油田(黒竜江省)からの対日輸出拡大を念頭に置いていたとみられるが、同油田は今では老朽化して、生産量は頭打ちだ。
 高度経済成長で石油消費量が急増した中国は現在、ロシアからの石油輸入や東シナ海での天然ガス田開発などのエネルギー問題で、ことごとく日本と対立している。
 また、福田の次の大平内閣が対中円借款を開始することになるが、その円借款は既に、2008年に終了することが決まった。
 日中関係は80年代以後、歴史認識問題などで摩擦が生じ始め、福田派出身の小泉純一郎首相が就任してから、同首相の靖国神社参拝問題などをめぐり決定的に悪化した。小泉の師であった福田が強調した日中間の「相互理解と相互信頼」は深まるどころか、確実に低下している。

 (注)引用した文書は日本外務省中国課がまとめた「福田総理・トウ)副総理会談記録(第一回目)」(1978年10月23日作成、無期限極秘扱い)と「福田総理・トウ副総理会談記録(第二回目)」(78年10月25日作成、無期限極秘扱い)。〔 〕は筆者による注。敬称は略した。(2005年8月26日)

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