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「反日」よりも「反中」─本土との摩擦増える香港(2013年2月)

 かつて英国の植民地だった香港は昨年7月、中国への返還から15年となり、3人目の行政長官(梁振英氏)が就任した。返還後に一国二制度の下で「高度な自治」を認められた香港は中国本土との経済交流や人的往来を拡大しながらも、中華圏で唯一の国際金融センター、もしくは多種多様なメディアが活動する情報発信基地として独特の地位を保っている。
 しかし、本土と香港の接触が増えれば増えるほど、香港側では本土に対する反感が高まり、特にこの1年は「中港(中国本土と香港)摩擦」「中港矛盾」「中港衝突」などと呼ばれる事案が相次いだ。
 昨年8月、尖閣諸島(中国名・釣魚島)の中国領有権を主張する香港民間団体「保釣(釣魚島防衛)行動委員会」の抗議船が尖閣海域に侵入し、活動家が魚釣島に上陸する事件があったことから、日本では「香港でも対日感情が悪化している」と思われるかもしれないが、実際には、そのようなことはほとんどない。中国の一部である香港で今、焦点となっているのは「反日」ではなく、「反中」なのである。

■買いあさりで粉ミルク不足

 香港政府の黎棟国保安局長(閣僚)、張炳良運輸・住宅局長、高永文食品・衛生局長らは今年2月1日、共同で記者会見し、隣接する深圳市(広東省)から香港に来て、粉ミルクなどの日用品を大量に買いあさって持ち帰る「運び屋」に対する全面的な規制措置を発表した。
 この種の運び屋は非公式ルートで売買される商品(水貨)を扱う旅客なので、「水貨客」と呼ばれる。水貨として最も人気があるのは、国産より品質が高く、安全と思われている外国製の粉ミルク。このため、香港では粉ミルクが足りなくなった上、一部の駅が大量の水貨で異常なほど混雑するなど、住民の生活にさまざまな悪影響が出て、昨年秋から社会問題化していた。
 このため、深圳に近い上水地区などでは反「水貨客」デモが行われ、一部のデモ参加者は「中国人はとっとと中国に帰れ」と、本土から来る中国人を排斥するスローガンを掲げた。また、「上水駅『光復』行動」と称する市民運動も登場した。
 香港人が「中国人は中国に帰れ」と叫ぶのは「香港人にとって中国人は外国人で、香港は中国ではない」と言うに等しい。「光復」に至っては、外国に奪われた領土を回復する意味であり、本土から来る中国人を侵略者扱いするものだ。
 水貨客問題はこのように、生活上の不便だけにとどまらず、中港摩擦を大きく拡大したことから、香港政府は1日の記者会見で①輸出入条例を改正して、粉ミルクの輸出を原則として禁止する。個人の持ち出しも1人1.8キロまで、つまり2缶までに限る②深圳に至る鉄道で携帯荷物の重量上限を32キロから23キロに引き下げる。一部の駅で荷物検査を実施する③既に作成したブラックリストに基づき、水貨客の疑いがある者は入境を拒否する―などと発表した。
 本土からの旅客を重要な顧客とする小売業界からは「過剰反応だ」「買い物天国、自由市場という香港のイメージが損なわれる」と批判の声が出ているが、香港政府としては、これ以上の反中感情悪化を避ける方を優先したのであろう。

■「香港人は犬」

 中港摩擦絡みで昨年最初の大きな話題になったのはイタリア高級ブランド店包囲事件だった。
 問題になったのはビクトリア港北側の繁華街・尖沙咀(チムサアチョイ)にあるイタリア高級ブランド「ドルチェ&ガッバーナ(D&G)」の店舗。香港人が同店の前で記念撮影をしようとしたところ、店の警備員が「本土の客にしか撮影させない」と制止した。これがインターネットで広まり、1000人以上の地元住民が1月8日、同店を包囲して抗議した。店は一時営業停止に追い込まれ、18日に謝罪した。
 警備員がこのような発言をしたのは、尖沙咀の高級ブランド店にとって、最も重要な顧客が本土からの旅客だからとみられる。「香港人はどうせ買わないので、お断り。本土の旅客は大歓迎」というわけだ。
 経済発展で本土に先行した香港の人々は長年、本土に対して優越感を持ってきたが、返還後の香港経済は本土への依存を深めている。本土全体の生活水準はまだ香港よりはるかに低いものの、一部の富裕層は香港などに出かけて高級ブランド品を買いまくる。一般の香港人はそれを複雑な気持ちで眺めている。
 D&G包囲事件と同じ頃、孔慶東北京大学教授の香港人罵倒事件も起きた。孔教授が香港人について、英領植民地時代の習慣が抜けない「犬」だとネット上で公言。さらに、香港人が常に広東語にこだわり、標準中国語を使おうとしないことを批判して、「わざと標準語を話さないやつはばか者だ」と決めつけた。
 これらの発言に対し、親中派も含めて香港側は猛反発した。ただ、言語について言えば、中国外務省の香港出先機関に勤務するある外交官も以前に筆者との雑談で「香港人はなるべく広東語を使うことが『高度な自治』だと勘違いしているようだ」とこぼしていた。
 広東語は南方系、標準語は北方系の言語で、外国語のように異なる。多くの香港人は「わざと標準語を話さない」のではなく、うまく話せないだけのだが、本土側には「『中国化』に抵抗している」と見えるのかもしれない。

■越境出産を規制

 昨年3月の香港行政長官選挙は事実上、親中派同士の一騎打ちとなり、実業家の梁振英氏が前年まで政府ナンバー2の政務官を務めた唐英年氏を破って当選した。中港摩擦問題を重視する梁氏は7月1日の就任を待たず、4月16日に中国本土出身妊婦の越境出産について基本方針を発表。本土出身の両親がいずれも香港永住権を持たない(「双非」と呼ばれる)場合、13年以降は香港で生まれた子供に必ずしも永住権を与えず、私立病院の越境出産受け入れ枠もゼロにすると表明した。これを受けて、食品・衛生局も翌17日、13年から公立病院も「双非」の越境出産を受け入れないと発表した。
 本土は30年以上も高度経済成長を続け、国内総生産(GDP)全体の規模は日本を抜いて世界第2位となった。ただ、1人当たりのGDPは、GDPや貿易の規模が全国最大の広東省ですら8000ドル台にすぎず、3万ドルを超える香港とは大きな開きがある。
 まして、発展の質的な面を比べると、高い教育・医療水準、法治、言論の自由と香港はいまだに本土に対して優位性を維持している。このため、子供を「香港人」にする目的で、香港返還後に本土からの越境出産が増えた。香港人の配偶者を除き、本土から香港へ移り住むのは難しいが、香港で生まれた中国国民は恒久的な香港住民、つまり法律上の香港人と見なされるからだ。
 これに対し、香港では「両親が香港と全く縁のない子供が香港で生まれたというだけで永住権を得て、地元住民と同じ公共サービスを受けるのはおかしい」「香港の病院は香港人妊婦の受け入れを優先すべきだ」などと不満が高まり、越境出産反対デモが行われたり、「双非」の子供たちをイナゴ呼ばわりする意見広告が登場したりしていた。

■「国民教育」断念

 梁長官が就任した7月から立法会(議会)選が実施された9月にかけては、中国人としての愛国心を教え込む「国民教育」導入問題がクローズアップされた。
 7月29日に香港島中心部で国民教育反対デモがあり、主催者発表で9万人、警察の推計で3万2000人が参加した。多くの香港人は「中国」を祖国として誇りに思っているが、その一方で共産党独裁に対しては嫌悪感が強い。デモ参加者たちは本土の愛国主義教育が香港の学校に「輸入」されることを警戒し、「洗脳反対」などと叫んだ。
 8月15日には「保釣」運動の活動家が中国国旗を持って魚釣島に上陸。香港に強制送還された活動家ら14人は英雄扱いされ、香港で久しぶりに愛国ムードが高まったが、これは一時的な現象だった。
 立法会選直前の9月7日、国民教育反対派は政府本部前で大集会を開き、主催者発表で12万人、警察の推計で3万6000人が参加した。梁長官は翌8日、国民教育について緊急記者会見を開き、事実上の導入撤回を発表した。
 昨年後半は国民教育問題や前述の「水貨客」問題のほか、香港政府が本土との交流強化を進める北部の開発計画に対しても、地元住民が「香港の土地を本土に売り渡すな」と反対運動を展開。香港はこの1年、中港摩擦に起因するデモや集会が相次いだ。

■香港独立運動?

 一連のデモでは、一部の急進民主派活動家が英領植民地時代の香港の旗を掲げたことから、香港を訪れた元中国当局者や香港の親中派メディアは「香港独立運動だ」と厳しく批判した。
 中国共産党・政府指導部は香港のこうした状況に懸念を深めているようで、昨年11月の第18回党大会で政治報告を行った当時の胡錦涛総書記(国家主席)は香港住民について「中国人としての尊厳と誉れを全国の各民族・人民と共に享受することができる」と述べ、香港独立論をけん制。同時に、香港問題に対する「外部勢力」の介入を阻止する必要性を強調した。
 だが、本土側のこのような高圧的態度は香港人の本土に対する感情をさらに悪化させている。民主派系のメディア関係者は「英領時代を懐かしんだから『香港独立』だとは現実から懸け離れている」と憤慨する。親中派系のメディア関係者ですら「中国当局者は『香港独立』の動きは絶対にあると言い張って、こちらの言うことを聞かない。本土側は香港のことをよく理解していない」と嘆いている。
 中国共産党は革命時代から香港と深く接しており、香港は既に中国の一部になっているのに、本土と香港の相互理解はことほどさように難しい。
 中国が改革・開放を開始した時期、真っ先に協力して資本主義的なビジネスの手法を教えたのは香港の実業家たちだった。民意があまり反映されない政治制度の下で市場経済を運営するという点で、現在の「中国モデル」は香港のコピーである。
 しかし、本土側が中進国レベルにまで発展し、香港との交流・接触が拡大した近年、香港側では本土との政治的・社会的価値観の違いを感じる人が増えてしまった。
 中国本土が量より質を重視する発展を追求する上で、自国内にあって独特のソフトパワーを有する香港は「手本」としての重要性が大きいと思われるが、本土側が今後、香港の「高度な自治」を事実上縮小しようとすれば、かえって中港摩擦が拡大していく可能性が大きい。(2013年2月13日)

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