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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=70年代も頭痛の種だった北朝鮮-トウ小平来日(4)(2005年10月)

 1978年10月に来日した中国のトウ小平副首相と福田赳夫首相の第2回会談では、主に朝鮮半島情勢について意見交換が行われた。トウ小平は「朝鮮問題の処理方法は難しい」などと述べており、当時の中国指導部が現在と同様、プライドの高い北朝鮮への対応に苦慮していたことが分かる。

■「米軍が数百キロ退いても問題ない」
 
 70年代初めに中国が日米に急接近したことに狼狽した北朝鮮は、72年に南北共同声明を発表するなど韓国との対話に乗り出したが、それも73年の金大中事件を理由に打ち切っていた。今も昔も「のど元過ぎれば、熱さを忘れる」というが北朝鮮指導者の習性で、78年当時の南北朝鮮関係は良好とは言えない状態だった。
 しかし、トウ小平は福田に対し、「われわれは、朝鮮〔北朝鮮〕が〔韓国に対して〕何らかの行動に出る兆しはないとみている。これは外交的発言ではなく、実情である」と強調した。
 前月に訪朝して、金日成主席と会談していたトウは「〔朝鮮半島〕統一の障害は米国の軍隊が南〔韓国〕に駐留していることである」とした上で、以下のように主張した。
「現在、南北の統一に関しては〔朝鮮戦争後に撤兵した〕中国の存在は問題になっていない。ただ、米国の存在が問題になっている。朝鮮も、米国と直接会談を行おうと言っている」
「米国は当初、この会談に中国も参加した方がよいと勧めたが、われわれは米国に対し、中国は朝鮮半島に軍隊を置いていないのだから、その資格はないと答えた」
「米国はまず、自国の軍隊を南朝鮮〔韓国〕から引き揚げるべきだ。その条件が満たされれば、南北朝鮮民族による対話ができると考える」
「われわれは、金日成主席が米国と会談を行いたい意向を持っていることを米国に伝えた。米国は三者会談、つまり米国と南北朝鮮の会談ということを言っている。しかし、朝鮮はそのようなやり方に賛成していない」
「米軍が撤退すると、アジアにおいて米国が果たす安定のための役割が軽減する恐れがあると心配する人もいるが、米軍が数百キロ退いても、そのような問題は起こり得ないだろう。これが米国にとり、一つの身を引くチャンスでもある」
 
■「あまり容かいしたくない」
 
 実際のところ、日米と劇的に関係を改善した中国にとって、北朝鮮の強硬姿勢は頭痛の種だったと思われるが、北朝鮮はベトナムと異なり、ソ連への急傾斜は避けて、日米と握手した中国とも良好な関係を維持した。このため、中国は日米安保条約(つまり、在日米軍の存在)を認めながらも、在韓米軍については、北朝鮮に同調して撤退を主張していた。
 ただ、その中国も、北朝鮮を全面的に支持していたわけではない。
「朝鮮問題に関し、中国は朝鮮を支持して何らかの行動を起こすようなことはしないし、ソ連も策動して何かを引き起こすことはないだろう。朝鮮問題を解決するには、いまだに機が熟していないと考える」
「朝鮮問題の処理方法は難しい。中国の方から、あまり容かいすることはしたくない。というのは、行き過ぎたことをすると、時として、かえって逆効果になる」
 日本外務省の会談記録によると、ここで「容かい」と訳されている単語は中国語では「干擾」(ganrao)。他人の邪魔になるようなでしゃばった、もしくは余計なことをするという意味だ。
 トウ小平のこうした発言は、北朝鮮の暴発を支持するつもりはなく、米朝間の橋渡し役をしているものの、北朝鮮側に強く言い過ぎると、へそを曲げられる恐れがあるので、難しいという趣旨であろう。
 中国は現在、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議で議長を務め、米朝間の仲介工作で苦慮しているが、このような「板挟み」の悩みは約30年前、既に生じていたわけである。
 
■北朝鮮の行動を楽観視
 
 福田は「双方〔日中〕には、この問題に関し、共通した見方もある。朝鮮の南北間には戦争の緊張はない、火を噴く危険性はないと考える点はそうである」と応じた。
「日中平和友好条約もできた今日、日中両国は日中友好という立場を踏まえ、中国は北朝鮮に対し話し合いを勧め、わが国は韓国に対し話し合いを勧めるという、そのような話し合いの実現の機会を見つめながら努力するという可能性があるのではないか。南北の平和統一を進める上で、日中両国がそのような最大の配慮をしていくべきではないかと考える。それは時間がかかるかもしれないが、そのような道を見捨てない方がよいと考える」
 北朝鮮は世間で言われているほど危ない存在ではないという認識で福田とトウ小平は一致した。
 中国はいまだに、過去の重要な外交文書をほとんど公開していないが、公文書に準する資料である「トウ小平思想年譜」によると、トウは9月12日、平壌で金日成と会談した際、「われわれは〔20世紀末までの〕22年間、戦争をしない。そうすれば、四つの近代化を実現できる」と述べ、中国が経済発展のために平和的国際環境の維持を必要としていることを強調した。
 また、別の「トウ小平年譜」によれば、トウはこの会談で「われわれは現在、中米関係正常化問題を解決すべく、米国と秘密交渉を行っている」と説明。米国との交渉内容を紹介して、同国と対立する北朝鮮に配慮を示している。

■変わらぬ瀬戸際政策
 
 しかし、北朝鮮に対する福田とトウの見方は少し甘かった。北朝鮮は80年代に韓国の閣僚らを殺害したラングーン(現ヤンゴン)爆弾テロ事件や大韓航空機爆破事件などを引き起こし、国際的孤立を深めていった。
 90年代初めには、ソ連崩壊や中韓国交樹立という衝撃を受け、対外的に柔軟姿勢を見せたものの、自国の核兵器開発疑惑でまた強硬路線に転じた。
 この時は得意の瀬戸際政策が功を奏し、北朝鮮に対して融和的だったクリントン政権との間で94年に米朝枠組み合意が成立して、核危機を脱した。しかし、実際にはその後も核開発を継続し、ついには核兵器保有を宣言。この問題は現在、6カ国協議で解決の道が模索されている。
 70年代以降、国際情勢がこれほど大きく変化したにもかかわらず、北朝鮮の行動パターンがトウ小平を「処理方法が難しい」とうならせたころとほとんど変わらず、今も瀬戸際政策で中国などの周辺諸国を引きずり回していることは、ある意味で驚異的と言ってよいだろう。

 (注)引用した文書は日本外務省中国課がまとめた「福田総理・トウ副総理会談記録(第二回目)」(1978年10月25日作成、無期限極秘扱い)。このほかに、中共中央文献研究室編「トウ小平思想年譜」(98年、中央文献出版社)、中共中央文献研究室編「トウ小平年譜」(2004年、中央文献出版社)。引用文中の〔 〕は筆者による注。敬称は略した。(2005年10月7日)

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