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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=コスイギンが“詰問”─大平外相訪ソ(2)(2002年12月)

 1972年9月の日中国交正常化について説明するため訪ソした大平正芳外相は、ソ連に対して日中が「結託」することのないようグロムイコ外相からクギを刺された翌日の10月24日、クレムリンの首相接見室でコスイギン首相と会談した。コスイギンは、日中の指導者がソ連が抱えている領土問題も話し合ったのではないかなどと、グロムイコ以上の細かさで大平を“詰問”した。
 
■日中、ソ連西部国境も議論?
 
 70年代に入って、日米が中国に急接近したことで、ソ連は疑心暗鬼になっていた。50年代に「蜜月」といわれた中ソ関係は60年ごろから疎遠になり、69年の国境紛争(珍宝島=ダマンスキー島事件)で決定的に悪化していた。
 コスイギンが同事件後、ホー・チ・ミン北ベトナム大統領の葬儀に出席した帰途に北京へ立ち寄り、周恩来首相と会談するといった前向きの動きもあったが、基本的な状況は変わっていなかった。
 コスイギン「日中関係の正常化に関して、いろいろな情報が入ってきているが、その中で一つびっくりしたことがある。それは〔国交正常化に関する〕今回の日中会談でソ連と他の国との間の領土問題が話し合われたということだが、これを聞いて驚いた。
 その時、ソ連の東部国境のことだけでなく、西部国境の問題も話し合われたということだ。わたしたちは日本や他の国の領土について中国と話したことはなく、それにもかかわらず、日本と中国がソ連の領土のことを話し合ったというのは誠に奇怪に思う。
 ついては、今次日中会談においてソ連と他の国との間の領土問題に関して意見の交換が行われたのは、いかなる関連において行われたものか承知したいと思う次第である」
 大平「今度の日中交渉は、日本と中国との国交正常化をどうするかが問題であり、広く国際問題、中ソ、中米の関係を議論するということはなかった。十数時間の会談を中国側と持ったが、その間に何回か食事を共にする機会があり、その時、1969年以来中ソの間で領土問題に関して交渉が行われていることが話題になったきりで、討議するというようなことはなかった」
 コスイギン「いろいろな情報があり、われわれはそれに注意を払っているが、日中会談では、そんな話も出たと聞いている。しかし、これは日本とソ連の間の問題で、日中間の問題ではない」
 大平「わたしも同様の確信を持っている。第三国同士の問題で日本が中国と討議するつもりはなく、そういうこともなかった」
 日中国交正常化交渉で周恩来首相は、北方領土問題に関する日本側の立場に支持を表明したので、厳密に言えば、日中は確かに、ソ連が外国(日本)との間に抱えていた領土問題について話し合っていた。
 だが、ソ連の長大な国境全般にかかわる問題を日中の指導者が取り上げていたというコスイギンの説は"ガセネタ"であり、大平はさぞかし「びっくりした」ことだろう。
 
■中国の「覇権」志向を指摘
 
 コスイギンの発言は、日中の対ソ連携だけでなく、中国という国自体に対するソ連の疑念をはっきりと示している。
 例えば、コスイギンは「中国との話し合いで、中国が極東において自己のヘゲモニーを持ちたがっているという印象を受けなかったか」と大平に質問しているが、「中国は極東の覇権を追求している」と言っているのも同然である。
 これに対して、大平は周恩来の発言を紹介しながら、中国を“擁護”した。
 大平「中国側は繰り返し、自分たちは貧しい国であり、発展途上国であり、いかなる場合にも大国になるつもりはないと言っていた。この発言は、日本側が内政干渉と革命の輸出は困ると言ったのに対し、先方が述べた言葉で、統一を守り、平和を維持するだけで精一杯で、他国に革命を輸出することはできることではなく、干渉するつもりもない、中国は貧しい国で、まだまだ先進国に学ばなければならず、干渉どころではなく、いかなる場合も大国になるつもりはないと言っていた」
 コスイギン「この中国側の発言をどう評価するか。中国の歴史、現実を見て情勢を分析した場合、中国側の発言は事実と一致すると思うか」
 大平「行動は結果を招くという言葉があり、わたしは中国側の述べた言葉を信じる。また、中国側がわれわれに言った以上、守ってもらわなければならない。もし先方がその言葉にたがえるようなことがあれば、日本側としても、自主的に自国の利益を踏まえて対処することになる」
 
■「ソ連ほど誠実なパートナーはない」
 
 コスイギンは最後に、重ねて警告を発した。「日本と中国の交渉については日中両国の問題で、ソ連の問題ではない。しかしながら、日中会談でソ連のことが討議されるとなれば、無関心ではおられず、断固それに反対する。これは新聞のための発言ではない。
 日本側が自己の立場を強固にするために第三国の援助を仰ごうというつもりなら、それは全く逆の結果を招くことになるだろう」
 脅しの後は懐柔だ。「政治の分野においても、日ソ関係を発展させる可能性が十分あり、現在の状態より、さらに高い水準に上げることができると信じる。しかし、その問題の解決は外でではなく、日ソ両国間で見つけなければならない。これに関して『ジグザグ』は否定的な結果を招くことになる。
 地図をよくご覧になれば、〔日本は〕政治的にも経済的も、ソ連以外に良いパートナーを見出すことができないことを理解されるだろう。第三国のことをほのめかすつもりはないが、率直に言って、ソ連ほど誠実なパートナーもないと思う。
 ソ連の経済に行き詰まりはない。ご承知の通り、いろいろな国がソ連の極東、シベリアの資源に大きな関心を示し、多くの国からシベリアの資源開発協力に関する申し出がある。しかし、日ソは隣国である。それ故に、日ソ両国が経済協力を実現すれば、最も大きな利益を受けることになる。
 10年、15年の将来を見れば、日ソ両国は相互利益の問題を解決すれば、極めて大きな事業を行うことができ、それは双方の利益になる。わたしたちはこの方向に向かって進みたいと思う。この問題は2億ドルかかるとか、20億ドルかかるとかいうより、もっと大きな問題だ」
 コスイギンはこのように、あまり説得力のないソ連経済ばら色論を堂々と開陳したが、実際には、80年代に入ると、この国の計画経済は行き詰まりが明白になり、ソ連はコスイギンのこの発言から19年後に崩壊した。
 今では、ソ連を反面教師として改革・開放を進める中国の指導者がコスイギンと同じような口上で、西側先進国などに自らの経済的“魅力”を売り込んでいる。
 
 (注)引用した文書は「大平大臣とコスイギン首相との会談要録」(72年11月9日に外務省東欧第1課が作成。当時は「無期限極秘」指定)。引用した発言の中の〔 〕は引用者による注記。(2002年12月3日)

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