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記憶の中の情緒と情報を再配置する / 学習棄却 unlearning

我々が何かを考えるときには、情緒によって重み付けあるいは評価がなされている。すなわち、思考(推論)には、情緒が伴走している。情緒を伴うかたちで思考がおこなわれることで、結論を実践に移す動機づけ(欲求)も情緒から自然に形成され、それが我々に行動変容をもたしてくれる。一方、我々は前提によって正当化できない結論を発言したり、その結論に沿った行動をおこすこともある。なぜならば、情緒付きの結論だけが根拠から離れて欲求を動かし、ひいては筋肉を動かすことがあるからだ。

記憶における情緒と情報

これを記憶に延長して考えることもできるだろう。記憶でも情緒と情報とは結合されて保管されている。なぜならば、我々は過去の記憶を思い出すときに、情報だけを思い出すときもあるが、特に体験を伴っている場合、情報と連結された情緒も一緒に思い出すことも多いからである。

学習における情緒の役割

我々が新しいことを学習する際には、前提となる情緒的評価付きの情報(=バイアス)を利用して学ぶ場合もあれば、従来の情緒と情報との結びつき(=記憶)を切り離して、情報を別の情緒に付け替えることもある。

例えば、近所の地理については体験を伴って我々は知っている。あの場所には樹木の多い公園があるとか、別の場所には混雑する鉄道駅があるという具合だ。そこで地図をみると、まだ行ったことの無い場所が公園や駅の向こうにどの方角でどのぐらい行けば存在するのかが記載されていて、我々は記号が配置された図を通じてそれらを知ることができる。例えば途中の経路に障害物の表示があれば、「面倒だから行きたくない」という情緒と判断が生じるかもしれない。しかし、それはバイアスなのであって、実際に行ってみるとそれほど面倒ではないかもしれないし、これまで出会った障害物とは異なる障害であるかもしれない。このような場合、前提となる(情緒+情報)によって、提示された情報を評価していることになるだろう。そして、答え合わせとして現場に行ってみると、山間部などの通りにくい道だと思ったが、思ったより見晴らしがよくて今まで体験した「山間部」の概念に対するマイナス評価の情緒がアップデートされることもあり得る。ここでは「山間部」という情報に対する情緒が付け替えられているのである。

記号操作

記憶の中には情緒と情報とが連結された状態で置かれているが、そこから情報だけを記号に対応させて取り出し、計算することは有益であるし、我々の知識を正確に拡張してくれる。なぜならば、従来からある記憶で、情緒と情報とが強力に結びついている場合、それを神経系の中で切り離して扱うことは困難だからである。また、情報だけを頭の中で扱おうと思っても、一定の時間が経つと脳はそれに耐えられず情緒が湧き出てくる。例えば抽象的な思考に退屈して、情報の取り扱いを間違えるということがあり得る。したがって、記憶の中から情報だけを取り出して、記号を使って定義して記号列の操作に置き換えることで、我々は頭の中で考えるよりも正確かつ長い計算あるいは推論をおこなうことができるようになるだろう。もちろん、これをショートカットしてくれるのが計算機である。

(1,308字、2024.05.12)

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