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建礼門葵の≪格言集&名場面集≫その③


 
生まれて初めての投稿から、もうすぐ2カ月。
これまでの投稿作品を、振り返ってみようと思います。
五十音順に5回に分けて
この子たちと、皆様方との懐かしい再会を…。
この子たちは、なぜか ≪格言集≫ となって、生まれ変わりました。
≪名場面集≫ とか ≪ダイジェスト版≫ とか
そんなふうに、この子たちを、名付けてあげてもかまいません。
どうそ、お手柔らかにお願いします。
 
 

 建礼門葵の≪格言集&名場面集≫その③


※その③の内容
2/10日投稿『可憐な花』~この春に巣立つ君達へ~
2/14日投稿『きらめきの夏』
2/15日投稿『雲の行方』
1/31日投稿『月  光』
1/25日投稿『結婚について』
2/22日投稿『現代社会に突き付けられた課題』前編
2/23日投稿『現代社会に突き付けられた課題』後編
2/27日投稿『公正な報道とは?』~マスコミ各社に望むこと~
1/30日投稿『コートダジュール』



【可憐な花】2/10日投稿
 
◇青春という言葉に触れるたび、人はいつも思い起こしたものだ。
光と色彩に包まれた、生涯忘れられぬ旅を。
希望から希望へと打ち続く、不思議な世界への旅。
人生の途上で、無くてはならない旅でもあった。
 
◇花が旅路に臨むとき、大いなる季節はまた巡ってくる。
季節は色彩を変え、新たな装いで
花をわが身の郷里へ、いざなうと云う。
 
◇魂ある者の必然のごとくに
季節はこよなく花を愛していた。
花は青春にあこがれ、青春は風を友とし
風は、季節をいたわることを忘れない。
そして花は、どのように季節を愛せるだろう?
 
 
【きらめきの夏】2/14日投稿
 
◇コバルトブルーの空。
コットンキャンディー(綿菓子)の入道雲。
海もヨットも砂浜も、灼熱の夏空間へ
ひとつに混ざり合う。真夏を告げる南風の
ファンファーレが、空いっぱいに鳴り響いた。
にぎわいと、笑顔の魔法を引き連れて。
じりじりと照りつける、あれは不滅の太陽。
巨大なオーブンのように、熱い肌を焦がす。
 
◇僕らは皆、夏のヒーローだ。
夏がこの世にある限り、僕らは若さを失わない。
WE LOVE SUMMER。
一度きりの人生で
そうとも、夏は永遠の友達さ。
今また、ひとりの若者が走り出す。
『きらめきの夏』に向かって。
夏よ——。
そうして君は、世界を巡るのか。
世界の若者が、君とともに生きている。
 
 
雲の行方】2/15日投稿
 
◇雲よ—。 広大な空に浮かぶ雲よ—。
君たちは、どこで生まれ どこまで放浪の旅を続けるつもりなのか?
暑さも寒さも空腹も知らない君たち。
君たちは姿・形さえ自由に変えられる。
透き通る広大な空が、君たちの生きる場所なら、僕は雲になりたい。
君たちは僕よりもずっと前から生きて、この世界を眺めていたのだろう。
そんな君たちは僕を見かねて、そっと つぶやいたかも知れない。
『無理するのは、およし』…。
『やせ我慢は、およし』…。
 
◇物憂げな季節、日々に深まり
それは郊外の古ぼけた公園の、ベンチの周囲にも確かにやって来た。
ひらひらと舞い落ちる枯葉を、わが身のように僕は憐れんでいる。
またひとつ、またひとつ…と、消え入りそうな溜息をついて。
遠慮なく、嘆くことの許される秋の日の公園。
僕はとうぶん、立ち去れそうにない。
 
◇寄る辺なく、過ぎゆく時間を見つめているだけの日常。
いや、『雑草』である僕にとって、本当は たいしたことじゃない。
毎度のことに違いなかった。
心が風邪をひいたのなら、治すのに一日あれば充分だから。
 
 
月  光】1/31日投稿
 
◇赤き満月の夏の夜の海は、マーメイド(人魚姫)たちの
古今独歩の祭事の場にあらんずらん。
麗しきこと、海風は音楽の精髄を滔滔と奏で、夜空の星々は
いっそう強く神秘の輝きを増せり。比翼の鳳凰が月光の渚に舞い降り
金色の迦陵頻伽が、あまたのマーメイドを、月の雫の聖なる海へと導きぬ。
畔りと云う畔りでは、数限りなき月見草の娘子軍。
脂粉の香も匂やかに、姸(けん)を競い合うがごとし。

◇婉婉と幾重にも靡(なび)きける、美姫らの長きブロンドよ。
珊瑚礁の十二の臺(うてな)の高殿で
夢かうつつか月影に、しっとりと濡れて光るは玉の諸肌(もろはだ)。
紅き頬と、薔薇の唇をもて、明眸皓歯の姫君らが
なみなみと月の美禄(ネペンテ)を酌み交わせば
矢継ぎ早に降りてきぬ降りてきぬ、彗星と流星のバレリーナたち。
 
◇重装備たるオーロラの大軍を従え
夜空を焦がしつつ、隅々までも縦横無尽に駆け巡る。
彼方の銀河から此方の銀河まで、あらん限りのバレリーナは
赤き満月の、夏の夜の伝説を高らかに讃えん。
 
 ◇海神(わたつみ)を祀りぬ深海から
無数の泡沫(うたかた)が、浮かび現れし。 泡沫はやがて
種種相の大噴水となるや、夥(おびただ)しき胡蝶と花びらを醸し出しける。
 
◇絶え間なく降りそそぎし、月光のシンフォニー。
赤き月光の、艶(つや)やかなるページェント。
古式ゆかしき絵巻物さながら
山鉾(やまぼこ)の大行列が、ついぞ、月の世界より降臨したり。
 
◇大古より脈々と、げに受け継がれしは
酒池肉林たる享楽至極の大饗宴(うたげ)。 神秘の極みでありしとも
羞恥をはばからぬあまり、迂闊にも近づく者の記憶に
畏怖と垂涎(すいぜん)の念を掻き立て、あまつさえ腑抜けにさせる
侵し難き…、侵し難きかな、禁断と酩酊の儀式。
 
 
結婚について】1/25日投稿
 
花嫁衣装に身を包んだ女性は、どんな花よりもこの世で最も美しい。
どんな宝石よりもこの世で最も輝かしい。
 
この世に愛が存在するから、人は誰も真剣に生きてこられた。
ましてや愛が、結婚という永遠の固い絆で結ばれるのなら
これほどまでの嬉しい経験は、他では到底、考えられません。

どんな出来事が起きても、愛しあう二人が命を支え合って生きることの
確かさは、ひとりぼっちで明け暮れる虚しさ切なさ寂しさよりも
はるかに尊く、はるかに意義深い。
 
愛は人を勇気づけ、人を英雄にすら変える不思議な力を持っています。
ありとあらゆるものの中で、愛ほどに寛大で強く、また愛ほどに
気高く尊いものが、この広い世界の果たしてどこに存在するのでしょうか?
戦争という名の、断ちがたい悲しみと憎しみの連鎖を
解きほぐす事が出来るものは、銃ではなく、核兵器でもなく
それはただ、惜しみない愛の力だけ。
 
同じ時代の同じ時間、同じ瞬間、移りゆく季節も、移りゆく日々も
移りゆく一瞬一瞬も、同じ空の下で、同じ屋根の下で
愛する人と同じ分だけ共有し合い、共感し合い、寄り添い合って
いつまでも生きていく。他には何もいらない。それだけで、本当に何も…。
 
人はいずれ年老いて生涯を閉じていく。
先にあの世へ召されて行くのは、夫婦のどちらか一方。
死は確かに悲しい宿命だけれど
愛は必ずや、死の悲しみをも乗り越え癒やしてくれる。

一途(いちず)な愛を、まっとう出来た人生。
人として、これ以上の何を望めるでしょう?
暑い日も寒い日も、嵐のようなつらい日も
二人で乗り越えていけた事こそが、愛の真骨頂。
たとえ困難な時代が訪れ、世界の歴史が大きく変わっても
愛は決して裏切らない。

輝かしい名声と、莫大な富と、真実の愛…。もしも、どれか1つだけ
与えられるとしたら、迷わずに ”真実の愛” を選びたい。
結婚という、かけがえのない幸せの前に、名声や富や見せかけの
美しさや恰好良さが、いったい何の役に立つでしょう。
真実の愛こそが、この世の何にも勝る。

その人がどんな姿かっこうをしていようと、どんな生い立ちだろうと
身分や家柄にいかなる隔たりがあろうと、そんなことは少しも
関係ないのだと堂々と言える。 おっちょこちょいでいい。
おバカさんでいい。 不美人でいい。 器量など悪くていい。
心身に障がいがあろうとも、難病におかされていようとも
歳の差があろうとも、少しばかりひねくれ者であろうとも
全然かまわない。 心が通じ合えばそれが満点の幸せ。
自分が愛し愛された その人が自分に最もふさわしい人だから…。
世界中の誰よりも一番に、寄り添ってほしい人だから…。


自分ほど不幸な人間はいない。 自分は誰からも愛されたことが無い。
幸せなんて、夢のまた夢。 決してかかわることの出来ない世界。
…と、いつもそんなふうに悩み苦しみ泣いてばかりだった あなたへ。
どうか、あきらめないで希望を持ってください。 やがて太陽が
暗闇を照らし、万物の生命を育むように、いつか必ず幸せはやって来ます。血を吐くような絶望と苦悩に、打ちのめされた者に与えられた特権は
誰にも真似のできない優しさと輝きと、そして当たり前の小さな幸せを
何十万倍も強く深く熱く、感じ取れるということ。
いつわりの愛は人を傷つけるけれど、どんなに険しく激しい心の深傷も
真実の愛によって癒されないものは何も無いのです。
無償の愛、命がけの愛が、どうして人を癒やし、励まし
救えないわけがあるでしょうか。 先の見えない、そんな世の中ならば
愛の奇跡を、人として最後まで信じてください…。

二人の生い立ちや家柄、民族や国籍、思想や信条、信仰や職業
趣味や性格などの現実的な相違も、愛があるなら受け入れられる。
むしろいっそう人格を高め合える。
その人が好きだから、その人が骨の髄まで好きで好きで仕方ないから
そして片時も離れたくないから、愛し合う二人は結婚するのです。
あふれるばかりの嬉し涙と、その満面の笑顔。
原始の時代より、人類によって受け継がれてきた。

この世に愛があるのは、この世を生きるすべての人々が
等しく幸せを分かち合うがため。
そして愛は、人が人であることの最大の証明。
愛が無ければ人類は誰一人として、この世に存在できないでしょう。
なぜなら人は誰も、愛のなかから生まれて来たのだから。
そして愛によって、育って来たのだから。

結婚—、それは人生で最高の幸せ。
最高の幸せは結婚によって、いつの日か、もたらされる。
しかもこの幸せは、誰もが知ることの出来る幸せであり、
それだけに粗末にしてはならない、神聖なものだと思うのです。

 
現代社会に突き付けられた課題】2/22~2/23日投稿

◇人はどのような状況下で、理性や正義を沈黙させ
悪魔に魂を売り渡してしまうのでしょうか?
21世紀の現在でもなお、人類には克服しなければならない重大な課題が
数多く残されています。いかなる哲学・政治・宗教・科学技術・芸術が
人類の幸福に貢献できたと言えるのでしょう?
悪夢のように、遠い過去から人類社会にはびこってきた
『奴隷制度』ならびに『人種差別』。人類史の不条理な一面を紐解くたび
何よりも驚き、怒り、そして心を痛めずにはおれません。

◇どうにか生きていられるだけの飼料しか、奴隷には与えられず
家畜同然に鉄鎖をつけられ、血も涙も無い”使い主”の、激しい鞭打ちに
怯えさせながら、強制労働へ駆り立てられる。すべての奴隷の扱いは
人間に対するものではなく、家畜以下の容赦なき扱いそのものでした。
奴隷について
『何か用事をしているか、そうでない時は眠っていなければならない』とか
『言葉を喋る道具』とか
ことごとく無慈悲で、あからさまな表現を用いられていました。
居住の自由が無く、財産の所有、結婚、家族の形成すら許されなかった。
法と制度の名のもとに全人格を否定され、生殺与奪の権を握られ
なべて奴隷は、酷使と売買と譲渡の対象でしか無かった。
主人に反抗すれば厳罰に処せられ、病気や怪我で働けなくなれば
殺されゴミとして捨てられる…。 これら驚愕の記述こそ
典型的に展開された古代ローマ奴隷制社会における奴隷の実態です。
“労働奴隷”をはじめ、闘技場で人対人または獣との真剣勝負の殺し合いを
強いられた“剣奴”や、“家内奴隷”等、幾種もの奴隷が存在しました。
 
◇1000万とも1500万とも5000万人とも言われるアフリカ人が
1550年頃から1860年頃迄の間に、南北アメリカ大陸等へ運ばれ
冷酷粗野な終身の束縛と、過酷な労働を強要されたのです。
拉致され100トン前後の奴隷船で、過密に押し込まれて輸送される凡そ
5週間の航海。それは拷問に等しく、乏しい食料と劣悪な衛生状態のため
到着以前に平均2割の奴隷が死亡したと報告されています。
 
◇奴隷貿易だけでは飽き足らない西欧諸国は、更なるボロ儲けの禁じ手に
手を染めていきました。大航海時代以後の15世紀から19世紀迄には
弱小国に対する一方的侵略と『略奪型植民地支配』。
加えて19世紀後半から20世紀初頭にかけての帝国主義的支配。
及び、その後の新植民地主義支配。いずれも他国の土地や資源を
武力によって取り上げ、被支配国に自立の機会すら与えなかった。
自国利益のみの追求に、まさしく列強たる西欧諸国などが
鎬(しのぎ)を削ってきたのです。
 
◇植民地や勢力範囲の再分割を巡り、先進各国は
至る所で数多くの戦争を引き起こしました。第一次世界大戦で3000万人
第二次世界大戦では、5000万人のぼる尊い命の犠牲を払いながら。
二度の世界大戦以降も、先進各国は引き続き弱小国に対し
圧倒的武力を背景に、狡猾で不公平な貿易と諸政策を強要し
現在の深刻重大な世界的規模の、貧困格差を生じさせるまでに至りました。
挙げ句の果てに、それらを土壌とした各種紛争やテロを、全世界に
拡散させてしまったのです。自国第一主義、異教徒排斥
難民受け入れ拒否など、歪んだポピュリズムの風潮さえ台頭する昨今。
混迷する世界情勢の、そもそもの根本原因を作ったのは
いったい誰なのでしょうか?
 
◇世界では、栄養失調や飢餓が原因で、6秒ごとに一人ずつの子供たちが
尊い命を亡くしています。恐ろしい感染症に対しても、貧困のために十分な予防対策と治療が受けられません。世界人口のほぼ半分にあたる人々が
1日につき 2、5ドル未満の生活を、強いられている残念な現実。
それはつまり、世界の至るところで所得の社会的再配分が機能せず
全人類が着々と積み上げた総ての金融資産の82%を
わずか1%の富裕層が、独占所有しているからに相違ありません。
 
◇欲に目がくらめば、人々の理性と正義とは、いとも容易に
沈黙してしまう、それが歴史の真実。そして、奴隷制度・人種差別
兵器の製造・侵略戦争・植民地支配・貧困格差など人類史上の
許容し難い“負の遺産”の数々。
あらゆる人々が、この地球で共存共栄していくために
克服しなければならない課題であり、試練であり、責務であると言えます。
 
◇かつて1939年に、女性ジャズ歌手のビリー・ホリディが
『奇妙な果実』を発表しました。当時の黒人に対する“リンチ”の
残虐非道さを歌ったもので、口が歪み、眼球が飛び出すほどのリンチで
殺され、南部のポプラの木々にぶら下げられた、黒く、臭く。カラスの
餌となる死体を、奇妙な果実と呼んで、この歌は切実に訴えているのです。
リンチは、人々に予告され、女性や子供までが見て楽しむために集まり
木々に吊るされた奇妙な果実から、心臓や肝臓の薄切りを
土産に持ち帰ったとさえ、記録されています。
 
◇2020年度以降、新型コロナウイルスが全地球的に猛威を振るいました。
ワクチンが充分に行き届かない発展途上国においても感染が爆発的に拡大し多数の死者が続出しました。コロナ禍は、世界の人々の生活様式を一変させ
以前の日常には戻れないのではないかと、誰もが覚悟したほどの
深刻な事態にまで陥ったものです。この先も再び、未知なる強力な
感染症が蔓延し、人類が生存の危機に晒されないとも限りません。
しかしそんな時ほど、忘れてはならない何かを思い起こしてほしいのです。
それこそは『助け合い』の心。
 
◇人類はこれまで数多くの間違いを繰り返してきました。
それでも決して、間違いばかりでは ありません。
現在の目覚ましい物質文明の豊かさを見れば
人類のたゆまぬ努力は、称賛に値(あたい)します。
それならば人類自身が次に目指すべきものが何なのか
やがて気付かずにはおれない事でしょう。
危急存亡の今こそ、あらゆる人々が心をひとつに寄せ合う時。
戦争も暴力も貧困も差別も無い、誰もが幸せに暮らしていける
そんな世界を、なんとしても築いていかなければならないのです。
 
 
公正な報道とは?】2/27日投稿
 
◇この場合、どちらの会社の報道が、結果として公正だっただろうか?
A社は、100の情報に対し50%(49.5+0.5)のニセ情報を流したことになる。
一方のB社は、100の情報に対し98.02%(98.01+0.01)の正しい情報を
伝えたことになる。確率論に基づく配分で取材し報道したB社のほうが
より正確な事実を伝えた点において正しかった。つまり、表面的な数値上の均等配分が、必ずしも公正な報道であるとは限らない。

◇どの出所の情報が善か悪か、常識的に考えれば 【見分ける方法】は
まったく簡単である。ロシアは独裁国家であり、言論の自由も
基本的人権の尊重も無い。 政権に批判的な者を容赦なく弾圧する。
ロシアには『当局がフェイクとみなした報道を禁じる法律』
(つまり都合の悪いものはすべて、嘘ということにできる)
あるいは、戦争という言葉を使っただけで処罰される法律もある
(特別軍事作戦と呼ばなければならない)。
 独裁国家から出でくる情報と、民主国家から発せられる情報を
同じ土俵で比較すること自体、無理がある。全面情報操作された
ロシアのプロパガンダに、マスコミ各社は決して踊らされてはならない。
 
◇ロシア発のフェイクニュースを“鵜吞み”して
無編集のまま自国内で報道(またはアップロード)する試みは
無謀な冒険であって『公正さ』とは程遠く無縁である。
不特定多数の視聴者に偏執狂的な情報を植え付け(=刷り込み)かねず
危険ウイルスの拡散行為に著しく加担するようなもの。
 
◇公正な報道を手掛ける使命を、マスコミ各社が果たそうとするならば
加害者側の嘘の主張ではなく、被害者側の深刻な実態を幅広く伝える
情報収集にこそ、いっそうの力点を置くべきではないだろうか?
国際秩序の混沌から人類社会を救うために
マスコミ各社は一丸となって正義を追求していただきたい。
 
 
コートダジュール】1/30日投稿
 
◇昨夜のことは、何も覚えていなかった。
ただ、強烈な真夏の誘惑に
僕は、いたたまれ無さを感じていたのだった。
ステンドグラスの小窓を、素早く開けてみた。
まぶしい光とともに、聴こえて来るものは
“潮騒”と、”ラ・メール”という名のオーケストラ。
見上げる空は、群青色の魔法のガラスで出来ていた。
海風の妖精たちが、次々と挨拶にやって来る。
 
◇Good Day Sunshine  Good Day Sunshine
Good Day Sunshine
さんさんと降りそそぐ、プリズム光線。
数知れない金のつぶてが
海一面を、あざやかに染め上げていた。
沖合いには、金と銀のヨットが2艘。
ローズワインの香水を、なびかせて。

◇幾多の思い出をかたどった雲たちが
大空のキャンバスを駆け巡る。
ストロベリー・ソーダの風———。
Sky of Blue and Sea of Green

◇そうだ、どこかで僕は、こんな海を見たことがある。
あれは遠い日の、コート・ダジュール。
決して、色褪せはしない永遠の思い出…。
夏が巡るたび、僕は振り返る。

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