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【恐れ/不安】は【自由/解放】への切符。それを持って旅に出よう。想像を超えた幸せな世界が待ってる。

最近、書く時には
洋楽を聴いているのですが
耳に英語を流すと

アメリカに
行きたくてたまらなくなる。

思い出すのが

2006年のニューヨーク
2015年のラスベガス&ハワイ

2006年のニューヨークは
20歳の春で
初めての海外一人旅で
初めての一人暮らしで

初めてづくしの
ドキドキの冒険だった。

いつも、なんでも
わからないことは
母に聞いて
何とかしてもらっていたのを

自分で全部、考えて調べて
対応していく・・・

いかに、母に頼っていたのか
ということ

いかに、母の信念/概念に
囚われていたのか、ということを

知った。

関西空港から飛行機に乗って
アメリカに降り立つまでの
空の旅では、不安でいっぱいで
ビリビリ、ジリジリ、ヒヤヒヤ
ドキドキし過ぎて震えた。

隣の席が、日本人の若いお姉さんで
少し話しが出来たことは
癒しだった。

到着早々に、トラブル発生。
ロストバゲージという洗礼を受け
(スーツケースが別の地へ飛んでいた)
ガーーーン!となったものの
留学の手配をお願いしていた
エージェントのスタッフさんに
お迎えに来て頂いていたので
一緒に対応してもらうことができ
無事に、その場は乗り切ったけれど
不安、恐れのドキドキは
さらに高まり・・・

その後も、数日は
ドキドキ、ビクビクしていたけれど

そんな状態ながらも
微かに感じる好奇心を頼りに
動き続けていたら

数日で、慣れて
どんどん楽しくなって

全部、自分で何とかしなければならない
という【不安/恐れ】から

全部、自分で決めていい/選んでいい
という【最高の自由と解放】に
変わった。


自分では覚えていないけれど
母によると、幼い頃のわたしは
「自分(でやる)」
「自由(になりたい)」

よく言っていたそうな。

オムツを換えてもらってる齢から(笑)

そして、母は、幼いわたしに、よく
「前世では、きっと・・・」と
よく発言していて

わたしは子どもの頃から
「今の人生」「前の人生」が
あるのだなと
考えるようになっていた。

それが真実であるのか
証明は出来ないけれど

理由はないけれど
苦手なもの、キライなこと
出来ないこと

理由はないけれど
好きなもの、惹かれるもの
カンタンに出来ること

それらは
前世で体験していることが
原因だと考えると
とてもしっくりくる。


どうしようもなく心惹かれる土地は
ありますか?

今、行きたくてたまらない場所は
ありますか?


それらは
---前世で、縁のある土地や
---今世で、呼ばれている土地
---行くことで人生物語が大きく
 開けていく場所。


わたしは、その時々で変わり

ある時は
ギリシャ/パルテノン神殿

ある時は、スペイン

ある時は
ニューヨーク
ラスベガス
ハワイ

今、行きたい、気になる
と思っていても
タイミングを逃すと
行きたくなくなる
気にならなくなるから

「今」感じるなら
今、何かしらのアクションをするといい。

旅、出逢いは、タイミングがすべて。

わたし自身、旅先で
「今でなければダメだったんだ!」と
何度も体感した。

今、を逃すと
次が、いつなのかは分からない。

今世では、もう
そのタイミングが来ない可能性もあれば

余程の必要の土地であれば
何度も、何度も、タイミングと
チャンスがやって来る。

もし、心惹かれる
場所/土地があって
タイミング、チャンスが
巡ってきているなら

その時に
「恐れ」や「不安」を
感じることがあれば、
なお更

出来るか出来ないか
行けるか行けないか、の
枠を壊して、越えて

「行く」」「OK」「GO」の
意志で、動いてみると

自分を「解放」する旅になる。

気分的なことだけでなく
自分がずっと抱えていた感情や
長らく囚われていた思い込みや
古く不要になった信念や価値観を
心の傷み、思考の鬱、魂の望みを

解放できるかもしれない。

心惹かれる場所への旅には
そんな素晴らしい、美しい
可能性があふれてる☆☆☆☆☆


今のわたしは
日本だと「沖縄」

海外だと「アメリカ」
「スイス・北欧・ヨーロッパ」
そして「ペルー/マチュピチュ」

とりあえず、今すぐ出来ること
・・・ということで
スマホに
英語とスペイン語を勉強できる
アプリをダウンロードしました(*^_^*)

ささやかな、小さなアクションだけど
これでも、一歩前進。

自分にそこへ向かう意志があると
宇宙に示す態度。

頭の中で、ぼんやり
考えているだけだと
普段の他の数万回の思考の中で
掻き消されて追い出されてしまうから

行動、態度で示すのがいい。

今、感じるけど
今じゃないと感じるなら
それも、自分の選択。

自由を体験してみないと
自分は自由だと分からない。

だから

自由を信じられなくても
不自由さから抜け出したいと望むなら

「自由に何でも出来るかもしれない」
と、可能性を、ほんの少しでも信じて

「不自由、と感じるのは
 気のせいかもしれない」と
今の状況を、疑ってみることから

新しい世界、物語へ、踏み出そう。


季節は、寒かった冬から
花ほころぶ春を経て
太陽が煌々と照る夏へ。

心も、体も、開いていくから
それに合わせて

自分の視界、視野も
どんどん広げていこう。

世界は、広い。

世界の広さは、無限の可能性。

「恐れ」「不安」は
「自由」「解放」への切符。

その切符で、旅に出てみよう(*^_^*)


ビクビク、怖がるよりも
ワクワク、楽しみたい。


2015年のラスベガス~ハワイ旅は
母を亡くした直後に
傷心を抱えて向かった一人旅。

2006年のニューヨークの時は
日本とアメリカという距離で
親元を離れたけれど

2015年のラスベガスの時は
死別という、今世での別れで

ホームシック、寂しいなんていう
レベルではなく
喪失感、絶望感、挫折感も抱えた
それまでの人生で最大規模の
爆弾投下だった。

望んだ自由ではなく
否応なく訪れてしまった別れ。

「死」の恐怖から
ずっと逃げ惑っていたのが
遂に捕まり
「死」の意味に向き合わされた。

「死」と向き合ってみると
それは本当に恐れるものなのか?
と思うようになり

「死」と向き合うことは、同時に
「生」と向き合うことで

「死」を強く体感すると
自分の「生」をどう扱うか、を考える。

「今これからを、どう生きる?」と
丁寧に「生」を扱えるようになる。

母の入院していた
婦人科の病棟では

病気によって、死と向き合う女性と
出産によって、生と向き合う女性が居て

この状況はなんだろう?と
自分だけ、時空の狭間に
迷い込んでいる気分だった。

その後、母を亡くし

フリーランスで仕事を始めて
最初に受けたのが
妊婦さん向けの体操の振付けで

その年の暮れには
大好きな親友が男の子を出産し

死の悲しみを打ち消すような
生の輝きと歓びに当てられて

心が激しく揺さぶられて
色々な感情が渦巻いた。


「死」は、恐いものではない
「死」を、不安に思う必要はない

「生」の目的が、そもそも「死」だ。

生まれた時から、地球上すべての生命が
死に向かっている。

ーーーなぜ?

ーーーそれなら、なぜ、生まれてくるの?

それは、おそらく
死の恐怖を体験するためではなく
死という「夢/希望」を叶えるため

なのでは、と思う。

死は、肉体という制限からの解放で
魂の自由だ。

だから
「死」にビクビクしなくていい。
「生」にも不安にならなくていい。

死の「恐れ」から、生の「自由」へ


起こること、すべてが、そう。


自分を「解放」するため
自分をより「自由」にするため。


それは、生きるためであり
死を迎えるためでもある。

今、恐れを感じることがあるなら
「なぜ、それが恐いの?」
「それって、本当に恐いの?」
「その思考は、真実なの?」と
自分に尋ねる。

質問してみると、あれ?

実は、恐いことではないかも
それは、真実ではないかも
と、目が覚める。

解放が起こる。

解放って、自由って
とっても、気持ちがいいから

その快感を味わうために

敢えて、自ら
囚われてみたり、縛られてみたり
不自由を感じてみたり
するのかもしれない。

でも、その苦しさを充分に味わって
もういいや、と思ったなら

そろそろ、自由を味わうタイミング。


2006年のニューヨークも
2015年のラスベガスも
わたしの解放と自由の旅だったから

何年も経った今でも
愛おしく思い出して

また、今、行きたいと思う。

今の自分は、何をどんなふうに
感じるのかな。

2006年のニューヨーク旅の最初は
ビクビク、ドキドキ、恐かったのに

2015年のラスベガス旅は
到着した時から
リラックスしていて、懐かしくて
ホーム:故郷だと感じたくらい
体感が違っていた。


今、何かに対して
強い恐れや不安を感じていても
大丈夫。

その感情から、逃げずに向き合って
自分なりの答えに、辿り着けたなら

感じていた恐れや不安は
すうっ・・・と消えて無くなって

代わりに

解放、自由、安心、愛、希望を
感じられるようになる。

そうなるために必要なのは
ちょっとの勇気と
自分と、世界を信じる気持ち。

自分の行きたい場所
自分の生きたい世界
自分の生きたい人生は
どんなもの?

自分に聞いて、浮かんだ答えが
きっと、勇気と信じる気持ちをくれる(*^_^*)

恐れ、不安を
克服しようとしなくていい。

それらを抱えて
旅に出ればいい。

旅に出て
新しい世界、自由な世界を
その目で見れば
抱えていたものを
自然に手放すことが出来る。

旅は、得るものよりも
手放せるものの方が
多いのかもしれない。

旅は
遠くへ行かなければいけないわけじゃない。

暮らしている土地でも
行ったことのない初めての場所へ
行ってみればいい。

「初めて」を体験した時
心は歓喜で躍り
脳には新鮮な思考が巡る。

日常の中でも
自分の選択と行動で
変化を投じて
「初めて」と「新しい」を
自分に与え続ける。

今の自分で、今の場所で
出来ること、やりたいことをやればいい。

それをやっていたら

何でも自由に選べるのだと
気づく時が来る。

人生には
静かな革命も、派手な革命も、ある。


死は、人の、今世の最後の願い。

だから、それが叶うまでに
他の願い、生きているからこその願いを
たくさん叶えよう☆

あなたの叶えたい願いは何ですか?

わたしは、結局、やっぱり
旅に出たい(*^_^*)

想像を超えた景色と体験が
待っているから。

MEGUMI_FUSH


2006年ニューヨーク
2006年ハリウッド
2015年セドナ
2015年ハワイ


読んで頂きありがとうございます😊🙏 わたしは、世界の色んな土地を旅しながら言葉を拾い集めて、愛Love,信頼Faith,命Liveを表現Creationしたいと願っています🌸いつかの自分、そして、あなたに、癒しと解放が起こりますように🌄 応援よろしくお願いします😌💖