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わかおの日記157

去年くらいから、なぜか夏になると家族で軽井沢に行くことになっている。半日以上弟と一緒にいるとストレスで口内炎ができるぼくとしてはそこまで前向きな気持ちにはなれないのだが、親の金でいいものを食べられたり、なにか買ってもらえたりするので、結局ついていっている。

いつもと違って家族だけでなく、母の親友(以下ビッグ・マムと呼称)とその娘(以下ギャルと呼称)も一緒に来た。

話は変わるがぼくは中3のときこのビッグ・マムの家の庭で開催されたバーベキューパーティに、何も知らずに参加したことがある。酔っぱらったギャルたちに絡まれ、ギャルのうちの1人(今回の旅行に同行したギャルではない)が、ぼくを上目遣いでみながら棒アイスを男性器のようにしゃぶるという謎の挑発をしてきたあたりで限界を感じ、1時間もしないで帰ったことがある。この「肉棒アイス事件」を境に、ぼくは女の子の目を見て話せなくなった。

絵に描いたような富裕層の人たちが犬を連れて闊歩するアウトレットをゆっくり歩いて、「そんなに服を買うことって大事なのか?チンチンが隠れればもうなんでもよくないか」とか「げ、このTシャツ6500円もするじゃん。ラーメン二郎10杯分だな」とか考える恒例行事を終えてから、スーパーで食材を買い込み、軽井沢の奥のほうにある貸別荘みたいなところに行った。

バーベキューをして酒が入るとぼくも多少明るくなるので、ギャルとも会話がはずみ、安堵した。これで肉棒アイス事件の呪いも解けたのではないか。ギャルとの会話には高度なユーモアは要求されず、5割くらいのユーモアでもかなりウケるので気持ちいい。ぼくにとってギャルたちが未知の存在であるのと同程度に、ギャルたちにとってもぼくは未知の存在なのだ。初物はウケやすい。M1と一緒だ。

ビールを4缶ほど空け、ワインも飲んで、そこそこ酔っぱらった後、ギャルが運転する車に乗って、近くの温泉に行った。ギャルは運転がうまい。

温泉にしばらく浸かっていたらアルコールが抜けた。これで明日に残らないだろう。帰りの車で、ちゃんみなの曲が流れた。ギャルはちゃんみなを聴く。例の肉棒アイス事件のとき、デカい音でjp the wavy が流れていたのを思い出した。

ぼくが「ちゃんみなじゃん」と言ったら、ギャルは、「ちゃんみな知ってるんだ笑 歌詞とかマジ深くていいよ〜」と仰った。ぼくはそれに同意しかねたが、流石にその場でぼくの芸術論を語っても仕方がないことくらいは分かる年頃になったので、適当に「深いんだ〜笑」と返したが、そのやり取りがずっと心にひっかかっていた。

温泉が気持ちよくて帰ってすぐに寝てしまい、夜中に起きた。退会するタイミングを見失っているヒップホップサークルのグループラインに、「曲作ったんでよかったら聴いてみてください☺️」というメッセージと、サウンドクラウドのリンクが貼られていた。すっごく薄い歌詞と、どこかで聴いたことのありそうなメロディ、そして微妙な歌声のクソ曲だった。少なくともぼくはそう思ったのだが、グループラインでは絶賛されていた。どうしてなんだ。おれがおかしいのか。

こうも世間とズレてることを実感させられると、ぼくのほうから世間に歩み寄ったほうがいいんじゃないかという気になって、静かなリビングでハンモックに揺られながら、ちゃんみなの曲をきちんと聴いてみた。安吾を読むときくらい、歌詞の一字一句に集中して聴いた。ラブソングが多かった気がする。がんばって聴いたけどやっぱり頭に入ってこなかった。

この経験を通してなにかすごく高尚な教訓を得られるのではないかと少し期待したし、それを日記に書こうと思っていたが、結局得られた学びは「感受性は人それぞれ」という、ありがちなことだけだった。1500字もかけて結論がそれかよ。1500字って。軽めのレポートじゃん。だる。

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