【小説】選挙

 2017年に書いた短編「小説」。
 いわゆる普通の意味での「小説」とはスタイルの異なる作品です。


 弱くてみじめったらしい存在たちをそばに置いて眠りにつくのは心地の良い体験であるから、私は、気が向いた時にはいつも、こうした体験を楽しむために、存在たちをとっかえひっかえしている。このため私の住む大きい家には、弱くてみじめったらしい存在たちが、あちこちに存在している。
 さらわれて私の大きい家に来た存在たちは、おそらく当初は、私の大きい家に来ることを快く思っていなかったはずであるのだが、私は卑怯な手を使って、存在たちの思いを踏みにじり、当初は感じていなかった快さを、それらに味わわせることにしていることが多い。「それら」の「それら」らしさは消えていく。存在たちは、私の卑怯なやり口によって個性を奪われ、ただ「存在である」ということの他には何の価値もない存在に変えられることになる。殺された子供が、もはや「子供らしさ」を兼ね備えないようなものだろう。
 殺された子供が「子供らしさ」を奪われていくように、存在たちもまた、卑怯な私のやり口によって、「存在らしさ」を奪われていく。だが、「それ」らしさを奪われまいとする最後の抵抗を眺めることもまた、私の楽しみだ。殺されまいとする子供たちの最後のはかない抵抗が、誰かの楽しみであるのと同じだろう。
 その誰かは、さほど私に似ているわけではない。だが、存在は子供に似ているのだ。

 だが、そんな私も、普段は優しく子供たちを見守っていることが多い。地域に貢献することは、私の喜びであり、地域の未来を担う子供たちは、そんな私に見守られるにふさわしいものであるからだ。私は路上で子供たちを見守りながら、安全に気を遣う。彼らはどこにいるか? 車道は危ないよ。歩道を歩こうね。声をかければかけるほど安全になっていく存在たちは、いかにも子供らしく、まるで子供のようである。
 だが、気を付けなければならないときがないわけではない。いかにも子供らしく見える存在なのか、いかにも存在らしく見える子供なのか、私は時々わからなくなってしまう。子供たちに声をかけよう……存在たちに声をかけよう……「声をかけよう運動」のピークは、存在たちの隙間へと訪れる。そこでは、子供たちは敷き詰められている。
 車道は危なくないよ。歩道はやめようね。

 車道と歩道は仲たがいばかりしており、しょっちゅう、口汚くののしりあっている気がする。歩道の友達は子供たちだが、車道の友達にはろくな奴がいない。横断歩道はかつては「歩道」になりたいと思っていたが、今ではすっかり車道気取りだ。信号機は、ただひたすら、ある男に対して嫌がらせをするためだけに動いている。その男が歩き出すと、ひそひそとわざと聞こえるように悪いうわさ話をして、気を滅入らせるのだ。もちろん、彼が渡ろうとするときに限って、いつも、信号は赤である。
 だが、賄賂を渡したことのある人々の友達は、彼への嫌がらせを幾分和らげる働きをすることになるだろう。この「友達」たちは、金持ちで、有り余る財力にものを言わせて、信号機たちとつるんでいる。いつでも有利なタイミングで青になるようにけしかけているこの「友達」たちが、偶然、嫌がらせばかり受けている男の隣に並んだ時には、さすがの信号機たちも、自分の悪意を優先させるわけにはいかなくなり、渋々ながら、青に変わることになるのである。
 信号機に憎まれるためだけに生まれてきたようなこの男は、はじめは、「信号運」という言葉を造って、「俺は『信号運』が悪いからなあ」と自分を慰めていたのだが、次第に、自分がまきこまれている状況は、「運」で説明できるようなことではないのではないか、ということに気が付いていった。信号からの自立心が芽生えていく過程である。ところで、こうした過程とは無関係に、宝くじに当たって大金持ちになった男が、「いつでもスムーズに行きたいところへ行けるようにするために、この金を使おう」と心に決めており、そうしたこととの関係で、信号にも金を払うことにしていた。
 この男には友達が多かった上、彼は非常に太っ腹な性格だったので、自分の友達たちが皆スムーズに横断できるように取り計らうことも忘れなかった。少し高くついたが、友情には代えられない。友達たちはみな、金輪際信号についてのトラブルに巻き込まれなくて済むのだ、と、なでを胸おろした。
 ところが、この友達たちの中には、残念ながら、信号機からの悪意を一身に背負っている男は、含まれていなかった。したがって、この男は、「友達」たちのおこぼれにあずかりながら、日々の横断歩道との付き合いを続けていた。
 つまり、「信号機」というものを一つの軸に据えたとき、世界には、「友達」たちの勢力と、「悪意の対象」の勢力と、これら以外の勢力の三つを認めることができるのだ。
 この第三の勢力は、無責任にも、第一の勢力に加担したり、第二の勢力の肩を持ったり、その日の気分でどっちつかずの態度をとっている。
 だが、被害者はいつでも子供たちだ。最近も、横断歩道の上で寝そべっていた。車道は危ないよ。歩道で遊ぼうね。

 家の外に出た瞬間、信号機たちがひそひそと自分の悪口をささやきだすことこそ、何よりの「信号運」の悪さであり、これに比べれば、横断歩道を渡り損ねることなど、どうということもないことである。信号は、わたらせまい、わたらせまいとしている。だが。渡ろう、渡ろうとする力の強さは、いつも、最後には打ち勝つのだ。
 ところが、この勝利が私の力であると思い込んでいたことは誤解であったらしく、実は、この勝利は私の力ではなく、実は、思い込みとは違い、実は、勝利することが私の力というわけではなく、実は、そもそもそれは「勝利」ですらなかったらしい。というのも、宝くじで大金を手にした男の金の使い道に不審な点がある、というニュースを聞いた翌日、その男が、スムーズに横断歩道を渡っている、という噂を聞いた翌日、その男が実際にスムーズに横断歩道を渡っている光景を目撃した翌日、その男が親しそうに友達と話しているのを目撃した翌日、その友達もまたスムーズに横断歩道を渡っていたのを目撃したからである。つまり、この男がばらまいた金の力が、この男の友達たちに、「スムーズに横断歩道を渡れる」という特権をもたらしていたらしいのだ。証拠もある以上、言い逃れはできまい。
 私は思い切って、この男の友達たちに巡り合うべく、街をさまよってみることにした。まあ、適当に歩いていれば、そのうち会えるだろう。とりあえず家を出て、右に曲がり、てくてく歩き、横断歩道の前に来ると、珍しく青信号だったので、急いで渡ることにした。
 ところが、わたっている途中で、意地悪くもこの信号は点滅し始め、私が渡り切るのを待たず、とうとう赤になってしまった。仕方なく私は、車線の真ん中に立ち、青になるのを待つことにした。
 目の前をものすごいスピードで車が走り、すぐ後ろをものすごいスピードで車が走った。ものすごいスピードだ。目の前ばかりか、すぐ後ろでも、車がものすごいスピードを出している。私は怖かったが、じっと耐えた。
 目の前をバイクがものすごいスピードで走り、すぐ後ろをトラックがものすごいスピードで走った。ものすごいスピードだ。目の前ばかりか、すぐ後ろでも、トラックがものすごいスピードを出している。恐怖を感じたが、私は耐えた。
 耐えている途中に気づいたのは、この信号が押しボタン式であることだった。だが、この道は、普段から誰も歩かないことで有名なのである。私は途方に暮れた。目の前を、ものすごいスピードの車が走っている。ものすごく怖かったが、耐えた。
 こうして、私は今でも耐えている。だが、はじめから信号など存在しなかったかのように、誰もこの道を渡ろうとはしない。私は絶望して、車がものすごいスピードで走る向きに水平の方向へ、寝そべった。
 そこへ、とてもためになる、教育的な内容の声が聞こえてきた。「車道は危ないよ。歩道で遊ぼうね」。この声は、非常に良いことを言っていたので、私は素直にうなずいて、また待つことにした。
 ところが、わたしがほっとさせる行動をとったことにほっとした声の主は、私が寝そべるのをやめたことにほっとして、どこかへ行ってしまったらしい。取り残された私は、ほっとさせる行動が寝そべるのをやめることでもあったことにほっとさせられず、絶望して、再び寝そべった。

 さて、いずれにせよもうこれ以上は決して良い方向に進展することのない私の人生の現在には見切りをつけて、少し、過去の話をすることにしよう。ちなみに、この後私は、寝そべった方向が垂直だったせいで、脳みそを車輪につぶされ、死ぬことになる。悲惨だ。子供達には気を付けてほしいものである。
 かつて私は、恐ろしい経験をすることになる者がたいていそうであるように、この世には大して恐ろしいものなどないのだ、と高をくくっていた。ちなみに私の死体は、大急ぎで駆け付けた車に乗せられ、どこかの病院へと運ばれることになる。
 高をくくっていた私は、外へ出ては八つ当たりの対象を探して、うろうろと歩き回りながら、八つ当たりできるものを探して、高をくくりながら、見つけては、探した対象を、八つ当たりに使った。ちなみに病院では、あまりの私の死体の状態の悪さの著しさの特殊さの珍しさの特別さに、医師は驚いていた。
 その八つ当たりされる対象の中に、案の定、信号機も入っていたのである。ちなみに……いや、私の過去の話と私の死体の話は、別々にしたほうがよさそうだ、と、今気づいた。
 思い切って、一文字ごとに話題を切り替えよう。まそずのは前、に死、体私のの話過を去しのよ話うを。し よ う 。やはりやめよう。
 どちらを話すべきか? 決めかねるので、一番話したいことを、投票で決めることにしよう。

 投票されればされるほど、開票には時間がかかるので、開票を待つ間、別の話をしよう。




[2017年執筆]



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