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息子に紡ぐ物語

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1男1女の子供を持つ平凡なサラリーマンと、父で作家の「長谷部さかな」は、不思議なキッカケから毎日メールをやりとりすることに。岡山県の山奥にある見渡す限りの土地や山々はどのように手…
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#長谷部信連

■【より道‐117】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_尼子政久という男

■【より道‐117】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_尼子政久という男

尼子経久が、時代の寵児となっていくのは、三十歳を越えた頃、時代でいうと1486年(文明十八年)からでしょうか。

それまでは、「応仁の乱」に勝利した足利義尚による幕府立て直しの要請や出雲国守護の京極政経との対立、そして、有力国人たちへの対応に大変苦労していたように思えます。

そして、1484年(文明十六年)に出雲守護代の座を追い出され、初代「尼子の落人」となってしまいますが、そのときに自らを支え

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【347日目】:源氏か平氏か

【347日目】:源氏か平氏か

ご隠居からのメール:【源氏か平氏か】

『平家物語』には長谷部信連という人物が登場する。後白河法王代第三皇子の以仁王(もちひとおう)に仕えていた。治承4年(1180年)、以仁王は源頼政と平氏追討の計画を図り、源氏一族に平氏打倒の挙兵・武装蜂起を促した。以仁王も自ら挙兵を試みるが、事前に平氏に発覚してしまう。このときに以仁王を女装させて近江国(滋賀県)の園城寺(三井寺)に逃がしたのが長谷部信連(33

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【341日目】:「婦長は師長」

【341日目】:「婦長は師長」

ご隠居からのメール:「婦長は師長」 

今年は正月早々、コロナに感染して、入院する羽目におちいった体験を『続パンデミック体験記』として綴った。執筆するにあたって、心がけたことは「地道な事実の積み重ね」である。

ところが、読み直してみると、思い違いや認識不足による誤記がいくつか目につく。事実をそののまま鏡に映るように描写したつもりでも、事実の解釈は複数通りある。コロナ老人が書いた内容は信用できない

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【304日目】ステロイド効果あり

【304日目】ステロイド効果あり

ご隠居からのメール:【ステロイド効果あり】

医師回診で、点滴のステロイド効果ありと、告げられた。酸素飽和濃度が96%-97%まで改善したという。ステロイドは酸素投与が減少しても、酸素濃度は低下していない。これはよい傾向だーーと言われても、何のことやら意味がわからないが、好材料であることを信じて、結果を待つことにしよう。

どうやら私はハイフロセラピー(鼻に差し込んだチューブによって酸素投与を続け

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【280日目】続パンデミック体験記

【280日目】続パンデミック体験記

ご隠居からのメール:【続パンデミック体験記】

まさか「パンデミック体験記」の続編を書くことになるとは予期していなかったが、諸般の事情からやむをえない。どうやら避けられない運命にあるということは、「パンデミック体験記」のエンディングの歯切れの悪さから、察知できたはずだったが、しっかり察知できなかったところをみると、私は老化が進みすぎて、認知力と判断力が衰えているらしい。

ふりかえってみると、昨年

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【207日目】DNA解析

【207日目】DNA解析

ご隠居からのメール:【DNA解析】

われわれのDNA解析をするとして、まず確認するべき歴史的人物は、次の三人だ。

長谷部信連:以仁王の挙兵_1180・知名度A(30%)

長元信:厳島の戦_1555、傘連判署名1557、白鹿城の戦_1563・知名度B(10%)

長牛之助:上月城の戦_1578・知名度C(1μ%)  

金沢の資料によれば、長谷部信連の二代目は朝連だが、朝連のDNAを我々が継承

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【205日目】金持村の女

【205日目】金持村の女

ご隠居からのメール:【金持村の女】

「藤太郎実信」は、京の本妻(日吉社の娘=雅楽氏)の長男。だとすると、父の信連が鎌倉御家人として能登の大屋荘を知行したとき、能登へ同行するのが自然の成り行きだと思うが、信連が伯耆に流されたとき、伯耆にとどまって、日野厳島神社を勧請し、日野長谷部氏につながるということのようだ。一方、備後長氏は、「金持村の女」との子「良連」系統ということになるのかな。

次に調べな

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【203日目】雅楽氏

【203日目】雅楽氏

ご隠居からのメール:【雅楽氏】

①長元信の没年が38歳とはずいぶん若いね。それでは厳島の戦や白鹿城攻めでは活躍できたが、大倉山にまで遠征するヒマはないのではないか。子どもをつくるヒマもなかったかもしれないが、備後長氏と日野長谷部氏→雅樂氏にしっかり継承されている。しかし、神官系と武将系に分断されたともいえる。

高瀬大原は第三の系統で、帰農系あるいは農林系とでも称するべきか?

②日野長谷部氏は

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■【より道‐58】歴史が刻まれる辺境の地_伯耆日野に残る跡

■【より道‐58】歴史が刻まれる辺境の地_伯耆日野に残る跡

安芸国、備中国、伯耆国への1泊2日でルーツを辿る弾丸ツアーは、宮島の「厳島神社」そして、ご隠居の故郷、高瀬の地での墓参りをすることができました。

高瀬の地は、過疎化が進み、長谷部の田畑も草木で荒れ果てていました。少なからずとも、室町時代に京都の東寺へ年貢を納めていた良質の畑は、みるも無残な姿となっています。これは、由々しき問題だなと思いました。

そのように、思えただけでも良かった。

そう思い

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■【より道‐43】義を失ったノモンハン戦争

■【より道‐43】義を失ったノモンハン戦争

昭和七年(1932年)に「五族協和の王道楽土」という理念のもと成立した満州国は、日本国(朝鮮)、中華民国、ソビエト連邦、モンゴル人民共和国、蒙古聯合自治政府と国境を接する緩衝国として「日・韓・満・蒙・漢」の五民族が協調して暮らせる国を目指す「理想国家」でしたが、実際には、日本の「傀儡国家」だったともいわれています。

そんな満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線を巡って発生したのが「ノモンハン戦争

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【87日目】歴史の空白

【87日目】歴史の空白

ご隠居からのメール:【歴史の空白】

三井財閥の益田孝は佐渡出身で出雲益田藩とは関係がない。では益田氏は消滅したかというと、どっこいDNAはどこかに生きている。成功者の有名人がいないからめだたないだけだ。萩の長谷部氏や出雲松田氏も同様。

高瀬の長谷部氏の古墓地には尼子の落人と呼ばれる大きな岩のような苔むす墓石があった。今は古墓地と新墓地がいっしょになってどの石が誰の墓かもわからなくなっている。

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【34日目】26万系統

【34日目】26万系統

ご隠居からのメール:【26万系統】

 西谷家に伝わる家系図の作者はあきらかに後世の人物が手を加えたものと思われる。長牛之介が豊臣秀吉から賜ったという感状の真偽も疑わしい。そもそも長谷部元信も長牛之介も没年すらわからないのでは、フィクションで想像するしかない。

 具体的な史実はほとんど不明なので、随筆では厳島の戦いや上月城の戦いや刀狩りがあった十六世紀後半に活躍したご先祖であり、平家物語に登場す

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■【より道‐10】長谷部信連

■【より道‐10】長谷部信連

長谷部氏の始祖といわれる長谷部信連のことを調べてみると、色々な伝説や逸話を知ることができた。現代の日本人で約25,000人くらいの人が、長谷部氏の姓を名乗っているそうだが、すべては、この人、長谷部信連から始まっているといっても過言ではない。

調べたことを自分なりにまとめてみる。長谷部信連が伝説となっている所以は「平家物語」に記されているからだ。長谷部信連は久安3年(1147年)1月16日に遠江国

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【17日目】平家物語

【17日目】平家物語

ご隠居からのメール:【平家物語】

「平家物語」によれば、長谷部信連は平清盛に反抗した罪により伯耆(ほうき=鳥取県)の根雨に流刑となったが、源頼朝の天下になってから頼朝にとりたてられて能登の守護になった。備中や伯耆の守護にはなっていない。

しかし、一族の長谷部元信の先祖が備後の上下地方の地頭になった。新見荘の地頭になったのは新見氏や多治部氏で、東寺が直営したこともある。

やはり、元信の頃、長谷

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