安芸国、備中国、伯耆国への1泊2日でルーツを辿る弾丸ツアーは、宮島の「厳島神社」そして、ご隠居の故郷、高瀬の地での墓参りをすることができました。
高瀬の地は、過疎化が進み、長谷部の田畑も草木で荒れ果てていました。少なからずとも、室町時代に京都の東寺へ年貢を納めていた良質の畑は、みるも無残な姿となっています。これは、由々しき問題だなと思いました。
そのように、思えただけでも良かった。
そう思い親戚の信谷さんにご挨拶をして先を急ぐことにしました。なにせ、本日中に神奈川の家に帰らなければいけません。
次に向かったのは、鳥取県日南町日野にある「長谷部館」です。
「長谷部館」とは、平安末期に、後白河法皇の皇子、以仁王を平氏の追っ手から逃がして、源平合戦のキッカケをつくったといわれている長谷部信連が、平氏に捕まり流罪となって生活をしていた地と言われています。
「平家物語」に登場するご先祖様が過ごした「長谷部館」までは、故郷の高瀬から車で30分ほどの距離にあります。大倉山を越えて、鳥取県に入り、日野川を渡ると「長谷部館跡」と書いてある案内板をみつけました。
見渡す限り田畑の地にポツンと一軒母屋があり、その隣に案内板があります。
案内板の隣には、顕彰碑がたっており、なにやら、数々のご先祖様の名前が刻まれていましたが、雨風に打たれ読めない文字などもあり、よくわかりませんでした。
そして、母屋を挟んだその隣に「厳島神社」がありました。日野「厳島神社」は木々に囲まれ、日の光が差し込む様子は、まるで映画のワンシーンにでてくるような、荘厳な雰囲気でした。灯篭などには寄進したと思われる長谷部氏の名が記載されていて、「信」の字が諱として引き継がれている様子がうかがえます。
この勢いで、31代当主の長谷部氏にお話しを聞きたいと思いましたが、なにぶんシャイな性格でして、尋ねる勇気がでませんでした。いつの日か、お話しをうかがえたら嬉しいです。
日野「厳島神社」の裏山をのぼると中腹に、長谷部信連が建てたといわれている延暦寺や長楽寺の存在を確認することができたので、次なる目的地「金持神社」に向かうことにしました。
10分ほど車で進むと、目を疑います。
なんとも、たくさんの若い人たちが集まっているのです。こんな、村人に会うことでさえほとんどない、辺境の地にこれだけ多くの人が集まるとは思ってもみませんでした。
とりあえず、案内板があったので読んでみます。
どうも、これだけ、若者がこの地に集まっている理由は、長谷部信連がかかわっているらしいです。携帯で理由を調べてみると、「金持神社」でお参りをすると、宝くじが当たるといわれていると書いてあります。実際に当たった人たちが書いたと思われる絵馬がたくさん掲載されているのです。
いやいや、自分はルーツを辿る旅に来たのです。山根さんにわざわざ福岡から車で来てもらって、長谷部信連や金持氏、名和氏などの歴史が刻まれる真実を知ることができて十分満足です。
でも、たまたま、サマージャンボ宝くじを買っていたのです。
だから、「長谷部信連の子孫なんだから、当ててください」と、ロクデナシ根性まるだしで参拝することにしました。
それは、それは念を込めて。
そして、今回のルーツの旅は終了。家路に向かいます。神奈川の家までは、7時間半ほどかかりますが、無事に旅を終えることができました。
もちろん、宝くじは当たりませんでしたが、自分にとっては、宝のような経験ができた旅だったので、よしですね。ありがとうございます。
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