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自分を取り戻すための日記 23

2022.5.15 幻影

最近、過去の人間が出てくる夢をよく見る。
 
昨日も元夫が別れた時と同じ若い姿で現れた。
もう20年も前に別れていて、それ以来ただの一度も会っていない。
だから私の記憶の中の元夫は若い青年のままだ。
夢の内容は忘れてしまったけど、目覚める瞬間に私は泣いていた。
泣いて「ごめんね。ごめんね」と言っていた。

先日は死んでから14年もたつ母親が出てきた。
母親の姿は死んだときの60代の姿ではなく、私がまだ小さい頃の30代ぐらいの姿だった。
夢の中の母は若くて綺麗で元気でわがままで、かつての姿のままで、私の前にいた。
私はいつも畏怖と嫌悪と愛憎のこもった目で母親を眺めていたけれど、夢の中では何故か愛しくて切なくて懐かしくて胸が痛かった。
そして、やっぱり泣いて目が覚めた。
寂しくて淋しくて胸が苦しかった。

もう二度と会えない人たちを最近よく思い出す。
それは私の死期が近いからか、それとも最初からすべてやり直したいと思っているからか。

もう会えない人たちにはひたすら感謝をして、心の中で謝るしかない。
若くて幼くて未熟で自分勝手で、いろいろ迷惑をかけてごめんなさい。
自分のことで精一杯でごめんなさい。
自分の痛みばかり見て、他人の痛みに寄り添えなかった。
自分勝手な過去の私を恥ずかしく思うし、側にいた人たちに申し訳なく思う。

今までの私なら、このまま行ったら完璧に鬱に突入していた。
自己否定して自分を卑下して自己憐憫に陥って、深い鬱になっていた。
でも、いま必死で踏ん張っている。
苦しいし、気分も上がったり下がったりしているけれど、まだ崩壊していない。
必死に留まっている。

何度も深呼吸して、冷静に考える。
過去を思い出すのは「今」を見ていないからだ。
「今」に集中していないからだ。
「今」やりたいことをやらずに、「今」に退屈しているからだ。

過去はただの経験。
それ以上でもそれ以下でもない。
良いことも悪いこともない。
ただの体験の記憶。
そこに深い意味はない。

だからひたすら「今」に集中する。
過去を思い出す暇もないぐらい「今」を噛み締める。
「今、私が、ここ」にいること。あること。生きていること。
それだけを見て、感じて、存在する。

意味はもう考えない。
理由はもう考えない。
価値はもう考えない。

明日はどうなるかわからないけど、いまここにいる。生きている。
その刹那を、その瞬間だけを、ひたすら生きる。

過去の幻影にはもう惑わされない。

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