幾つかの死と【エッセイ】
かつて、入院療養中にこんなことがあった。
私は結核で入院していたが、呆れたことに、肺の病気を患っているというのに煙草を止めないのであった。更に呆れたことに、病棟には私の同類が女性も含めて他に何人もいるのだった。
療養所の早い朝食を終えると、病棟の西の出口に一人、二人と顔を出し、ある者は短い階段に腰を下ろし、ある者は地べたにしゃがみ込んで、食後の一服というわけだ。
ある朝、私はいつものように食事を済ませて西の出口に向かった。階段に腰を下ろし、ポケットから煙草を取り出そうとした時、ふと気が付いた。
はて、今朝は何かがいつもと違う。
その理由はすぐに分かった。私の目の前に立っている筈のプラタナスの樹が無くなって、遠くの山や畑の見晴らしが良くなっている。残っているのは真新しい切り株だけだ。
私は横に座っている同室の患者に尋ねた。
「ここにあった樹はどうしたんですか?」
「ああ、8号室のお爺さんが首吊って死んどったんよ。明け方に見つかって、この樹はすぐに伐ったんよ。」
「え‥‥」
その日の煙草はいつもと違う味がした。
また、こんなこともあった。
夜中の二時か三時頃だったろうか、私は男の子の泣き喚く声で目を覚ました。
「おかあちゃーん、いたいよー、おかあちゃーん、いたいよー、いたいよー‥‥」
聴こえて来るのはこの病室の斜め前の個室からだ。看護師達の慌ただしく出入りする足音が聴こえる。声の感じでは小学校の高学年くらいだろうか。大きな声で何度も「おかあちゃーん」と叫び、「いたいよー」と繰り返している。
療養生活の朝は早い。眠らせて欲しいと私は強く願った。やれやれ、子供は痛みの訴えも元気がいいな‥‥大人に比べて生命エネルギーに満ち溢れているからなぁ‥‥。私はしばらく目覚めていたが、いつの間にかまた眠りに落ちていた。
朝食後、病室に数人の患者が集まり、いつもの世間話が始まった。
「ゆうべは眠れんかったねえ。」
ベッドに腰を降ろしながら私が言うと、ぼそっとした声が返って来た。
「しょうがないよ。死んだんじゃけえ。」
「え‥‥」
あれが臨終の時だったのだ。
世間話に加わった女性看護師から、その母子は母ひとり子ひとりの境遇だったことを聞いた。
「お母さんがね、二人で苦労して来たんですよ、って言ってたよ。」
また、こんなこともあった。
一週間後に手術を控えていた私は、手術前の患者専用の四人部屋に移っていた。
「うーん、う―ん‥‥」
ベッドに寝ている私の頭の後ろ、壁を隔てた隣の個室から、呻き声が聴こえて来る。
「うーーん‥‥」
ああ、痛むんだな‥‥。
翌朝、廊下に出てみると、隣の個室のドアが開いている。私はそっと中を覗いてみた。
中年の男性がベッドに寝ていた。床頭台に花瓶が置いてあり、タオルが掛かり、コップに入れた歯磨きと歯ブラシと、その他病室にありがちの小物があった。
二・三日後、廊下に出ると、やはり隣のドアが開いている。私はまた中を覗いてみた。
誰もいなかった。
開け放たれた窓と微風に揺れるカーテン。裸のパイプベッド。剥き出しになったマットレスに淡い日差しが当たり、床頭台の花瓶も身の周りの小物も何も無い。
亡くなったのだ。
この時、私は奇妙な感覚に襲われた。
あの人は死んだのだ。だからもうここにはいない。ここにはもう何も無い。闘病生活の痕跡すら残っていない。当たり前だ。死んだのだから。当然至極の成り行きだ。
だが、何と言ったらいいのか、もういないこと、もう何も無いこと、その当たり前のことが、どうにも不思議で、私の世界の中にすんなりと収まってくれないようなのだ。
これは何なのだ? 一体どういうことだ? 私は再度自分に言い聞かせた。あの人は死んだのだ。遺体は今は霊安室か、或いは家族の元に帰っているだろう。もう引き払ってこの部屋には何も無いのだ。当たり前のことじゃないか。
しかし私は、この当たり前のことが不思議でならなかった。
最後に、こんなこともあった。
手術を終え、私は二人部屋に移された。同室には、脳卒中で倒れた年配の男性が、ベッドに寝たきりになっていた。私よりも先にこの病室に来ていたらしい。
看護師がその男性に話し掛けても、返ってくる答えは、アウアウ、ガー、ゴーとしか、私の耳には聴こえなかった。
しかし彼女は、その声から言葉を聞き取っていた。
「ええー? タケウチさん、何? うん。うん。息子さん夫婦に? 言うて欲しい? 何を? ええ? 仕事が忙しいのに? ああ、お嫁さんと共働きじゃ言よったねえ。家から遠いのに? 見舞いに来んでもええ? そう言うて欲しいん? そう? そう言うて? 来んでもええ言うて?」
大体そんな事を言っているらしかった。
「あのねえタケウチさん。息子さんらはねえ、タケウチさんのことが気掛かりなんよ。元気な時は疎ましゅうてねえ、なかなか家族もうまくいかんもんよねえ。でもねえ、息子さんらはタケウチさんの顔が見たいんよ。いろいろ都合つけてねえ、見舞いに来んと家でも気が休まらんのよ。じゃけんねえタケウチさん。息子さんらのためにもねえ、来さしてあげりゃあえんよ。そうさせてあげりゃあええんよ。」
辛抱強いやり取りだった。タケウチさんは彼女の言葉を聞いて納得したようだ。
それから何日か経った日のことだ。いつものように看護師が、タケウチさんの尿道カテーテルと採尿バッグの処置をしにやって来た。すると彼が何か言おうとしている。
「どしたんタケウチさん。ええー? 何? えっ!? おしっこ? おしっこ? ほんとにおしっこ? タケウチさん! おしっこがしたいん? ほんとに? ほんとに?」
何度も確かめている。
「ちょっと待って!」
彼女は小走りに病室を出て行くと、すぐに三・四人連れて帰って来た。その中には医師もいた。
「タケウチさん! おしっこがしたいんですか? おしっこが? おしっこがしたい? ああー、タケウチさん、良かったですねえ。良かったですねえ。」
排尿関係の神経が回復し、失われていた尿意が戻って来たのだ。これを徴候として、今後はかなりの回復が期待できるのだろう。カテーテルの処置をしながら、看護師達も口々に、良かったねえ、良かったねえと祝福の言葉を掛けていた。
それからまた何日か経ち、私はもっと軽い病状の人達がいる病室に移った。私の手術は肺を切除したわけではなく、術後の経過も良好だった。体力の回復はまだ充分ではない。だが健康な身体を取り戻す日はそう遠くない。
退院したら何をしようか。色付き始めた樹々の見える窓に向かって、私は大きくひとつ伸びをした。
*エッセイ誌『R』No.81 掲載作品を推敲したもの。
( 旧「国立療養所 広島病院」で療養していた頃の話 )
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