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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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#時間

兎がほざく1263

兎がほざく1263

時の進み方は緩急があると思います。

同じ五分でも長く感じたり短く感じたりします。

人間は日常生活の中でふと立ち止まる時、見ているものが美しいと感じたり、何か考えついたりします。

そういう時は普段と違った時間が流れている気がします。

人間と時間、不思議です。

兎がほざく1260

兎がほざく1260

人は何度も生まれ変わるならば、しはさして厭うものではなく、生きる欲にそうこだわらなくてよいでしょう。

輪廻説はたぶん善意によるフィクションだと思います。

でも有史以来誰もあの世を見て来た者はいません。

輪廻しないならば?

きっと有限だからこその人生です。

兎がほざく1238

兎がほざく1238

また変わったことを言ってみます。

時間とは始めと終わりがあってはじめて時間になります。

だから時間をあらしめるために誕生も死もあるのです。

後者はなんでこんなものがとみんな思いますがないわけにいかないのです。

終わりがなければ始めもないから。

時間とは一生です。

兎がほざく1235

兎がほざく1235

人間には朝も夕方も必要なのです。

新しい気分になる時間と、過去を振り返る時間と。

そして夜も必要なのです。

昼の自分としばし別れる時間。

このように時が切り替わることそのことが人間に必要なのです。

自分は不変であり続けられるものではないからだと思います。

兎がほざく1201

兎がほざく1201

身体で読むという意味の身読という言葉があります。

世界は心の中のものという唯心論。
世界はすべて言葉という唯言論。
それらにならえば身読は唯身論でしょう。

身体は自分の一生の時間の場でありしぬまで止まらない動きです。
声も唇の動きも。

働きかつ語り続けます。

兎がほざく1196

兎がほざく1196

時間は無駄に使うな、月日のたつのは早い、と言われます。

最大限時間を無駄に使うといったい何が起こるのでしょうか?

時間の使い方が無駄でなかったというのはどうやって知るのでしょうか?

そんな疑問が浮かんでもぼくは毎日時間を無駄にしないようじたばたし続けるでしょう。

兎がほざく1193

兎がほざく1193

空間が時間と対等でなくて時間の中にある、という話の続き。

そうならば身体とは時間の流れといえます。

身体は生まれてからしぬまでの自分の場所です。

起きて、寝て。
場をしつらえて、片付けて。

音楽や舞踊など時間の芸術は身体の芸術です。

美術や言葉もそうなのでしょう。

兎がほざく1190

兎がほざく1190

食器を並べて食事の場をしつらえそして片付けるように。

場はしつらえと片付けとの間の有期の時の流れとも言えます。

空間と時間とは対等ではなくて空間は時間の中にあるような気がします。

だからどうだということまでには考えが及びませんがただ不思議に思っています。

兎がほざく1183

兎がほざく1183

今とは過去の終わりであり将来の始めでもあります。

しかも過去はすでに去り将来はまだ手もとにはありません。

今とはほんとうにからっぽです。

わかりきったことなのにぼくはこのことをよく忘れます。

自分の一存で今をねじ伏せたりはできないです。

からっぽだから。

兎がほざく1069

兎がほざく1069

美とは、美しいものを見たい聞きたいという心と、それにこたえる作品との出会いにあると思います。

その心は見ておきたい聞いておきたいという心でもあります。

有限の時が終わらないうちに。

失われる運命にあるものごとを。

作品は時の経過と繋がっているのです。

兎がほざく1048

兎がほざく1048

音楽はひとつながりの時間を意識させますが、その一音一音は次々に消え去ります。

その全体はただ印象にしか存在できないのです。

この世で起こることも同じように消え去り、ただ印象にしか存在できないのでしょう。

残された物体は楽譜のように印象の手助けをするだけです。

時が好き 【詩】

時が好き 【詩】

ぼくは時が好きです

戻らなくてよいから
進めなくても進むから
誰だって逆らえないから
時が好きなのです

時はぼくにも流れているのです
もちろんあなたにも

つぎの春だって
もうすぐなのです

兎がほざく864

兎がほざく864

時間が「流れる」というのは比喩なので、本当は流れてはいないかもしれません。

時間は一瞬で終わるはずの一生をスローモーションにして見せるものだとしたら?

ブレーキとしての時間、急降下に逆行する時間です。

この風景もぼくは徐行運転で見ているのでしょうか?