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きみはごめんを言わせてくれない

きみはごめんを言わせてくれない

2人きりで会う約束だったのに段取りミスって3人になっちゃった時とか、お泊まりができなくなっちゃった時とか、きみはよくだまって帰った。

ちょっとコンビニ行って帰ってきたら部屋がもぬけの殻だったりして、ごめんも埋め合わせするねも言わせてくれない。

あとからLINEで「さっきはごめん」って送るんだけど、きみは絶対スルーするよね。
そして何事もなかったように次の会話をはじめてしまう。

でも、わたしは

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春にほだされんな

春にほだされんな

春生まれのきみの指先がつめたいこと。そのことについてかんがえる。

あたたかさってゆるさだ。春のやわらかな日差しのなかで、孤独や空虚さがほだされていく。無条件の幸福が、木々をさくら色にかえて、花びらが悲哀に降り積もって蓋をする。自己の溶解。

春が、
愛しかったあの寂寞を単純な愛へと変えてしまう。  

春が、
きみだけの小さな涙を単純な感動へとかえてしまう。

4月はうららかな侵略者だ。うららか

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オールオーケーになるよ、春だし

オールオーケーになるよ、春だし

あの日の横着や、積み重ねた怠惰によって錆びついてしまっている自分の可動域というものが誰しもあって、他の人たちが苦しみながら何かを獲得していた時期に、しずかに座っていることしかできないような時間が必然的に大きな穴をつくる。

たとえば自転車の乗り方や、国語辞典の引き方、身近な植物や山、道の名前を覚えること。それに、ふたり分のご飯の作り方とか。
人との健康的な距離の保ち方、あるいは、人とまっすぐ真剣に

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もっと鷹揚な愛情

もっと鷹揚な愛情

なんでも言葉にすればいいと思っていた頃もあったけど、言葉にだすと意味が変わってしまうこともあるとわかったから、正しく伝える方法が見つかるまでしっかりと口を紡いでおこうと思った。

恋愛映画とか友情ドラマとか、言葉を交わさないことによって生じる"転"がいつも付き纏っていて、その幼少期の記憶が私たちを言語コミュニケーションに縛り付けてるんじゃないかなと思う。
話せばわかるとか、言葉にしなきゃ伝わらない

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圧倒的正義 - オラファー・エリアソン展 -

圧倒的正義 - オラファー・エリアソン展 -

美しいものがつくれるって、素晴らしいなと感嘆してしまった。

ほんとうは、崇高な理念や理想を掲げているという、ただそれだけで素晴らしくあるべきで、実際素晴らしいと思う。

自由とか平等とか平和とか、自然との共生とか、愛とか、そうしたことが根底にあるというだけで、すべてのものはほんとうに尊い。

でも、O.エリアソンがつくる作品を見てしまうと、そうした素晴らしさがなんだか少しぼやけてしまうように感じ

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いちばんかわいい

いちばんかわいい

いつもいつだって、ズボンの丈がすこし足りない。
足がおおきくて男子用のローファーを買った。
ほんとうは、ヒールのついたやつが履きたかった。

いつもいつだって、着たい服は少し小さく、丈は少し足りない。どうしようもないことだ。

でも、だから、
いつも持ち歩く鍵につけるキーホルダーだけは、かわいいと思ったものにできるだけ正直でいようとしている。

あのかわいいパンプスも、しゃんとしたスラックスも、わ

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これはゼミの志望理由書

これはゼミの志望理由書

「かわいい」「かっこいい」「おとなっぽい」という形容詞では象ることのできない細かい凹凸が人間にはあって、そうした小さな違和感を拾い上げてくれるのが文学だし、詩作であればいいのにと思う。資本主義社会で、みんながみんな、上を向け、立ち止まるなと叫ぶけれど、たまにはしゃがみ込んでしまったっていいじゃないかと私は思う。

立ち止まって、考える時間があったっていいし、コーヒーを淹れたり、花を愛でて過ごす火曜

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「美しい水死人」ガルシア=マルケス

「美しい水死人」ガルシア=マルケス

風がうねりをあげているあいだは、男の肉声によって語られる過去が遠くから運ばれてきて、島の女たちの与えた身勝手な名前や醜く膨張する妄想に蝕まれないでいられる。しかし、風がやんでしまえば、男は自身の過去から断絶され「エステバン」としてそこに横たわるしかない。「エステバン」という名前と溺死体が恣意的に結合されて、そこからあらゆる妄想や幻想がリアリティをもった虚構として男の周りで網の目状に拡大してゆく。

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それぞれの愛と食卓

それぞれの愛と食卓

「恋」という名前を当てはめたその瞬間から、私のこのすきという気持ちは端っこからゆっくりと燃えていくのだ。ぷすぷすと黒く細い煙をあげながら、わたしのすきは灰になっていく。

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恋に終わりはつきものだけど、
わたしのこの日向みたいな愛はずっときみをあたたかく照らすだろうと思う。

わたしは、みんなを愛してる。
同じくらい、違う仕方で。

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忘却と弔い

忘却と弔い

恋人との別れは良くも悪くも劇的で忘れることができない、でも友人との別れはとても緩やかで気がついた時にはその輪郭を忘れてしまっている、だからよっぽど悲しいのだという話をした、いつかの夜中、午前3時。

「だから僕は、友人であり続けるための、忘れられないための努力をする」と彼は言った。

清い心だ、まっしろの心。
忘却はいつも緩やかにおこるし、すでにおきたのだし、いまもおきている。

寺山修司はいう、

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どしゃ降りの朝に鳩がいた

どしゃ降りの朝に鳩がいた

今朝、とてもはやい時間に雨の中を歩いていたら鳩がいた。ずぶ濡れの鳩だった。
羽毛はもはや水を弾いてはいなくて、大量の水分を含んだ羽が癖毛のように膨らんで重そうだった。それでも鳩はずっと同じ辺りをむくむくと歩いていた。

激しい雨が降った時、きっと鳥たちには休める場所があって、だから雨の日に鳥を見かけることは少ないわけだが、この子は一体どうしてしまったんだろうと思った。

わざわざ雨の降り注ぐ道端に

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冷えていく

冷えていく

文字に対する圧倒的な信頼が世界に膜をかぶせているように思う。

「文字」「圧倒的」「信頼」「世界」という単語を目にして、それぞれに抱くイメージを疑わぬままに受け入れてしまう。海に「うみ」という名前をつけて、愛おしい立ち振舞いを「かわいい」と形容するとき、その海は死に、あの愛しさは消滅する。すべての海の最大公約数としての「うみ」は実態を持たぬ無色透明無味無臭の海である。

文字である「波」はこの世界

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私は愛で穏やかになりたい

ちいさいころ、家族でドライブをする車内には必ず中島みゆきかコブクロがかかっていた。
コブクロに「毎朝、ボクの横にいて」という曲があってそれがすき。日曜日の朝に、やわらかな日差しがシーツをあたためるような、そんな歌だ。一緒に暮らしている二人の他愛もない生活の物語は、愛のおだやかさをなびかせる。

わたしの家では平日の朝ご飯は必ず白米で、トーストは休日の特権だった。だから今でも、トーストの焼ける香りを

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神に乞うものが何もない

神に乞うものが何もない

3年前、秋の夜中。
よく知らない宮崎の神社で書いた絵馬。

あの頃、神様にねだりたいものなんていくらでもあった気がする。

3時間かけて宮崎へ向かう車のなかで、私はひっそりと何度も泣いていた。何が悲しいのかもわからなかったし、恨むべきものもなんなのかわからなかった。

私はあの時、人間には極力会いたくなくて、でもそのぶん、本はいくらでも読めた。読むたびに泣いて、その悲しみを癒すためにまた本を読んだ

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