私は愛で穏やかになりたい

ちいさいころ、家族でドライブをする車内には必ず中島みゆきかコブクロがかかっていた。
コブクロに「毎朝、ボクの横にいて」という曲があってそれがすき。日曜日の朝に、やわらかな日差しがシーツをあたためるような、そんな歌だ。一緒に暮らしている二人の他愛もない生活の物語は、愛のおだやかさをなびかせる。

わたしの家では平日の朝ご飯は必ず白米で、トーストは休日の特権だった。だから今でも、トーストの焼ける香りをかぐと日曜日の朝がすこし重なる。
朝、トーストの焼ける香りと紅茶の香りがゆるく混ざって、私はきっとそれだけでよかった。あのころ、家族というひとつの世界はまだ壊れてはいなくて、壊れていないことがあたりまえだった。そういうあたりまえの上にだけ宿る愛情というものがこの世には存在するのだと思う。でもそれは、やがては波にすくわれてしまった。愛のおだやかさ、そういうものがときどき恋しい。

確かだということが、愛情のすべてだとすら思う。愛の確信、愛の手ごたえ。疑うことすら忘れてしまえるような安心を欲している。いつか消えてしまうもの、いつかなかったことにされてしまう予感を、私は愛情として迎え入れることができない。だれかの愛によって、わたしはおだやかになりたいのです。ただ、それだけを望む。

落ちていきたいわけでもない、嫉妬したいわけでもない、ましてや裏切られて泣きたいわけでもない。ただ、おだやかになりたい。

でも、こういうのって弱さだ。
自由の責任を引き受けるところから、幸福は始まるのに。

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