春にほだされんな
春生まれのきみの指先がつめたいこと。そのことについてかんがえる。
あたたかさってゆるさだ。春のやわらかな日差しのなかで、孤独や空虚さがほだされていく。無条件の幸福が、木々をさくら色にかえて、花びらが悲哀に降り積もって蓋をする。自己の溶解。
春が、
愛しかったあの寂寞を単純な愛へと変えてしまう。
春が、
きみだけの小さな涙を単純な感動へとかえてしまう。
4月はうららかな侵略者だ。うららかな春の陽気のなかで、空虚さも孤独もその輪郭がとろけてゆく。ひらかれる境界線をこえて、春が、きみのなかへと進水する。さくらの枝の上を跳ねるあの小鳥も、ひざしのなかにあるあの淡い花も、きみのなかへと流れはじめる。心地良さのようなもの、幸福のようなものがきみの心のうちを満たしていく。
「でも」、ときみは思うだろうか。ほだされてく自己と、同化していく世界について。そう思ってくれるところがすきだ。
そんなとき、つめたさって強さだ。
単純な愛とか幸福とかへの小さな抗い。
春のやわらかい日差しのなかで、つめたさが輪郭となってきみの姿を押し留める。
それはきっと鎧としてきみの情念をまもるだろう。
単純明快な愛や幸福に沈んでいけないこと。春が担ぎ上げる美しさへ生ぬるい懐疑を抱くこと。きみのそうしたつめたさを、わたしはずっと肯定したい。それでこそきみは美しく、正しく、そして誰よりも幸せを志していられるのだから。
春生まれの可愛い後輩へ
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