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どしゃ降りの朝に鳩がいた


今朝、とてもはやい時間に雨の中を歩いていたら鳩がいた。ずぶ濡れの鳩だった。
羽毛はもはや水を弾いてはいなくて、大量の水分を含んだ羽が癖毛のように膨らんで重そうだった。それでも鳩はずっと同じ辺りをむくむくと歩いていた。

激しい雨が降った時、きっと鳥たちには休める場所があって、だから雨の日に鳥を見かけることは少ないわけだが、この子は一体どうしてしまったんだろうと思った。

わざわざ雨の降り注ぐ道端に出て、とぼとぼと歩いている。あんなに濡れてしまっては飛ぶこともままならないだろうに。仲間を探しているのか、はぶかれてしまったのか。あるいは、雨に打たれたい気分だったのかもしれない。

私はあんなにずぶ濡れの鳥を初めて見たので驚いて、少しの間そこに佇んでしまった。

私は時々こんなふうにして、不可解な生き物に出会う。そしてなぜだか、そうした邂逅は1人でいるときにだけ起こる。
その光景の証人は私しかいないので、いつもなんだか白昼夢を見たような気持ちになってしまう。

こういうとき、物語が書きたいな、と思う。


3年前の5月、フェリーで四国へ向かう途中に、海上を一匹の蝶が飛んでいるのをみた。とても美しく、力強い姿だった。

私はその蝶をたしかに見たはずなのに、なぜだか記憶に不安があって、その話を人にすることができなかった。
自分のことがうまく信じられなかったのだ。自分だけが見たもの、感じた美しさに自信がなかった。

「そんなものは存在しない」と言われることが本当に恐ろしかった。
第三者の発する否定は大きな波のように力強いので、そんなふうに言われて仕舞えばたちまち、わたしのこの感覚や記憶は誤りとして消えてしまうだろうと思った。

そのとき、物語を書ければと思った。
私が発見した心持ちや、私が見た光景、そういうものをもっと確かにしたかった。
誰に理解されなくてもいいから、私だけは私の記憶を大事に抱いていたかった。

その時くらいから私は、物語を書くということ、言葉を紡ぐということを真剣に考えるようになった気がする。

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