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「美しい水死人」ガルシア=マルケス


浜辺に打ち上げられた巨大な物体。絡みつく藻やゴミを取り除いて現われた水死体のあまりの美しさに、村の人々は息をのみ、何くれとなく世話を焼く。

紀伊國屋書店


風がうねりをあげているあいだは、男の肉声によって語られる過去が遠くから運ばれてきて、島の女たちの与えた身勝手な名前や醜く膨張する妄想に蝕まれないでいられる。しかし、風がやんでしまえば、男は自身の過去から断絶され「エステバン」としてそこに横たわるしかない。「エステバン」という名前と溺死体が恣意的に結合されて、そこからあらゆる妄想や幻想がリアリティをもった虚構として男の周りで網の目状に拡大してゆく。

死んでしまった男の顔は威厳に溢れとても美しいが、それは生前の男の生き様がそこに残っているというよりは、死を契機としてその後も「成長し続け」た結果として獲得した美しさのように感じられる。都合の悪い過去や男自身の自我は切り離されて、都合のいい妄想や幻想が男の周りをぐるぐると取り巻いて、「この世でいちばん美しい水死人」が完成するのである。真の美しさは生きているものには宿らないのかもしれない。

その後男は、虚構の親戚をこさえて、その土地の人々にとって最も立派であるとされるやり方で葬られてしまう。

見知らぬ言葉で讃えれる美しさ、断絶された弔い、そういったものから抜け出して、男の魂が彼の愛した神の膝下へと帰れますように。そう願うばかりだ。


以前、仲の良かった友人の葬儀に参列した時、その遺体を目の前にして「きれいだね」と呟いている人がいて、それがとても嫌いだった。生前のその子なら絶対しないような真っ赤な紅を引かれて、スポーツを頑張ってこんがり焼けた肌は白粉で隠されてしまっていた。彼女には彼女の過去があり、自我があったのに、死んでしまうとこうやってされるがままになってしまう。だれにもまなざされないまま、土にかえりたいという願いはきっと叶うことはなく、虚構の記述がその冷たい肌に結び付けられていく。

だから私は生きて、私を抑圧する記述を断ち切り、虚構を塗り替えながら、自分の言葉で自身を紡ごうと思うよ。そして私のこの大きな裁ち鋏であなたの魂を一緒に守っていけますように。



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