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#エッセイ
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幼い頃から「絵心」が、なかった。無いだけに「憧れ」が強く、
絵画を見掛けると、つい見入ってしまう。僕は「基礎疾患」の有る高齢の障害者なので「検査入院」だの、リハビリ入院だのと、病院に行く機会が多く、その際の滞在時間も、若く健常な人より長い。
どこの病院にも、玄関先や、待合室、病棟に、絵画の一枚ぐらいは飾って有る。
そして病院は、退屈だ。
退屈だから、入院中は、空き時間を持て余し、「リ
持病と加齢と病床と/旅情と山人
僕は、昔患った、病(脳卒中)の後遺症と、加齢が元で、よく体調を崩し、ちょくちょく入院をする。幸い今年はまだ無事だが、入院生活から離れていると、ふと入院生活を懐かしく思ったりする事が有ります。
それは旅人が、旅情に、山男が山に、誘われるように、ふと思うのです。
旅と、山と、病床の共通項は「非日常」です。そんな普段と違う空間を流れる時間は独特だから、病室を流れる時間は、特殊な時間なのです。どう特殊かと
吾,テレビドラマに戦慄せり。
僕は、ケータイの「メモ」とか「メモ帳」ってアプリをよく使う、もの忘れが多いので「備忘録」替わりに使っている。
こうして僕は、物忘れが多い癖に「記憶」には、ある種の執着が有る。
人生とか、自己とは、記憶や、記録の集合体にすぎないと思うからです。
僕が何者か?僕が覚えてなければ、僕という現象は、成立しないし、僕が、いかにそれを力説したって、それを証明する資料(記録)が無いと、その主張(自分が誰で
廃れ言葉(すたれことば)なんていかが?
先日読んだ、古い小説に「沓脱(くつぬぎ)」という単語が有り、その表現のレトロな趣に、感嘆したが、初めは、ピンと来ず、意味が分からなかった。
もちろん沓脱とは、玄関の扉を開くと、足元に広がる、廊下までの「あのスペース」の事だけど、僕は、あそこも玄関の一部だと思っていたので「いったい玄関って厳密には、何処の事だろう?」と思い、調べてみたが、その説明にも「三和土(さんわど)」とか「たたき」等と現代では、