死肉の行方

近所のスーパーで、牛肉が安かったので、普段より、厚い肉を購入した。

歳をとるにつれ、食欲が落ち、特に「肉を喰いたい!」って気持ちが、若い頃より希薄になっていた。

お湯を注ぐだけで、食せる物や、レンジで温めるだけの食事で済ますと、「食す」という行為の本質を見失う。久しぶりに、血の滴る厚い肉を頬張って、我々が、「肉食動物」である事が実感出来た。

 虎だって、狼だって、補食の際、相手の必死の抵抗で、命を落とすリスクは有るだろう。食す方も、食される方も互いに「命がけ」だが、僕の食事は、業者が、潰し、捌き、業者が搬送した肉を金で買い、フライパンで焼くだけだったので、僕の負うリスクは焼く時油がハネたら熱いって事ぐらいだから、食した命とリスクのバランスが合わない。 なんて卑怯で、卑劣な肉食者だろう。

食が、我々を生かしているから、「今日」も「明日」も、他者の犠牲の上に成立している筈だが、毎日、目にする報道は、戦争・詐欺・汚職等と、ろくでもない事件ばかりです。 我々の築く、ろくでもない今日・明日。に、自らの命が犠牲に成るなんて、

牛さんも、豚ちゃんも浮かばれまい。

生きる事は、他者の未来を潰し・奪う事だから、「生きる」とは、本来、罪深い事なのに、宗教に無頓着な日本人は、その罪にも無自覚で、タチが悪い。

殺された上に、そんな獣の胃袋に収まるなんて、不条理で、気の毒です。

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