吾,テレビドラマに戦慄せり。

僕は、ケータイの「メモ」とか「メモ帳」ってアプリをよく使う、もの忘れが多いので「備忘録」替わりに使っている。

こうして僕は、物忘れが多い癖に「記憶」には、ある種の執着が有る。

人生とか、自己とは、記憶や、記録の集合体にすぎないと思うからです。
 僕が何者か?僕が覚えてなければ、僕という現象は、成立しないし、僕が、いかにそれを力説したって、それを証明する資料(記録)が無いと、その主張(自分が誰であるか)は、通らない。

話は変わりますが、僕は「刑事ドラマ」をよく見るのですが、
見ていると、ヒヤッとする事が、よく有る。それは、ストーリー展開や、番組内容によるものとは別に、ドラマの中で、響いているパトカーのサイレンを聞いて、何の騒ぎだろう?と、自室の窓を覗いてしまい、当然そこに、パトカーも、変わった様子も、見当たらず、驚く。という失態を演じるのだ。

また、劇中で、刑事さんが、聞き込みの為に、鳴らした呼び鈴を押して鳴ったブザー音に「は~い」と返事をしながら自室のドアを開け、誰もいない為、ようやく「しまった!ドラマの中の音だったのね」と、一人赤面する。なんて事が、よく有り、「これも老化だろうか?」とヒヤッとするのだ。

そんな僕は、最近始まった自然災害のドラマ(古いSF小説が原作の「○○沈没」ね)が、非常に怖いです。
テレビ画面越しの震災を、現実と混同し、外へ避難し、全く揺れていない屋外の様子に茫然と立ち尽くす自分の姿を想像してしまう。災害より更なる老化の方が怖い。やはり、様々な、老化現象の中で体力の衰えや、病症の悪化は、仕方ないものだと、諦めはつくが、「脳の老化」程、怖いものはない。脳の機能の中でも記憶は、認知・知覚と並び最も重要な機能である。
昨日の夕食のメニューは何だったか?今朝、朝食は済ませたか?は、些細な忘却だが、自分が何者で、誰なのか?忘れてしまえば、自己の喪失で、それは、死(物理的な消滅)より、遥かに恐ろしい。 こんな記事読んだって「老い」なんて、まだまだ先って、若い方には、ピンと来ないかもしれませんが、

 そんなあなただって、ほんとに大丈夫?昨日の晩飯は何だったか、覚えてます?

朝食、食べ忘れてない?ほんとに?今は大丈夫でも、それが分からなく成るんじゃよ。
老いは、誰にでも訪れます。「生」の末路が「死」であるように「成長」の代償が、「老化」なのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?