展覧会は無料で楽しめます

幼い頃から「絵心」が、なかった。無いだけに「憧れ」が強く、
 絵画を見掛けると、つい見入ってしまう。僕は「基礎疾患」の有る高齢の障害者なので「検査入院」だの、リハビリ入院だのと、病院に行く機会が多く、その際の滞在時間も、若く健常な人より長い。

 

どこの病院にも、玄関先や、待合室、病棟に、絵画の一枚ぐらいは飾って有る。

そして病院は、退屈だ。

退屈だから、入院中は、空き時間を持て余し、「リハビリを兼ねた歩行訓練」と称し、院内の「暇つぶし散策」をして過ごしている。すると、院内の絵画が目に付き、足を止め、のんびり鑑賞していると、それぞれの絵に愛着が湧き「今日は、玄関先の湖畔の桜の絵を見に行こう」とか、「次は病棟の滝の絵を見よう」って具合に

勝手に鑑賞会を開いて過ごしている。

退院時に支払う入院費は安くはないし、絵画鑑賞ぐらいして帰らないと、わりに合わない。 その際の請求内訳に「絵画鑑賞費」なんて請求も無いから「実質無料の展覧会」です。

湖畔・桜・滝といった具合に病院という無機質な人工物の中に木や、泉や、滝といった自然が、たくさん描かれているのは、どこか、ちぐはぐな気がする。しかし、そんな自然こそが、絵の起源・文化の起源かもしれない。

我々、ヒトという「狩りをする類人猿」にとって、コミュニケーションスキルは、狩りの結果を左右する、重要な狩りの道具の一つだった筈だ。

 

たとえば「いつ、どこで、どんな方法で、何を狩るか?」 何の打ち合わせも無く「行き当たりばったり」で狩場に向かえまい。「地平線のすぐ上に書いた太陽で、「早朝」を示し、山や川の絵で狩場を・・・と、意志を伝達し、狩りの作戦を共有し、効果的な狩を実現する為、我々は絵を書き始めたのではないだろうか?

それが、そのまま象形文字となり、文字文化が実現したかもしれない?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?