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2024年3月23日 「火曜クラブ」感想 ネタバレなし

アガサ・クリスティーの「火曜クラブ」早川書房をAudibleで聞きました。
その感想です。ミステリの古典と言ってもいい作品ですから、読んだことがある方も多いでしょうし、ネタバレしても問題ないような気はしますが、クリスティーに敬意を評してネタバレなしの感想です。
これまでの、アガサ・クリスティー作品の感想はこちら。




新鮮な気持ち


火曜クラブは、クリスティーの生み出した名探偵の1人、ミス・マープルが登場する短編集です。13編の短編小説が収録されています。
たぶん子供の頃に、絶対に読んだことがあるはずなのです…。なのに収録されている短編のトリックや犯人を全て忘れているという体たらく…。
全ての作品を新鮮な、まっさらな気持ちで読み、その都度、ハッとしたり、ショックを受けたりしながら、最後まで聴き切りました。
唯一、覚えがあるのは第二話のアスタルテの祠のお話です。確か読んだのは子ども向け、ティーン向けの本で、挿絵があったのではないかと思います。アスタルテの巫女となった女性のイラスト、特徴的な扮装がモノクロで描かれているいたのを見た記憶があります。子どもごころに妙な扮装でおどろおどろしいと思った気がするのです。勘違いでしょうか…。
何にせよ、面白かったです。

ポアロ<ミス・マープル


子どもの頃は、シャーロック・ホームズをはじめとする男性のエキセントリックな名探偵に憧れていたものですから、ポアロとミス・マープルなら断然、ポアロ派だったのです。
編み物をしながら、村のゴシップに重ねて事件を解決するミス・マープルが、子どもの目には、あまり格好良く見えなかったのでしょう。ミス・マープルは、ポアロ以上に、人間の感情、人と人との関係から事件を推理するのですが、それが何だか説教くさく、また、あまりにもけちくさい推理のように思えたのでした。
今になってみれば、ミス・マープルの記憶力と眼力の確かなこと!
今回、読んでみて、ミス・マープル贔屓になりました。
ただ、もちろん子どもの頃の自分が、ポアロ派だったのもわかります。ミス・マープルは、小さな村に住む、年寄りで、女性であることから決して、自由ではないのです。その制限の中で、最大限に推理力を発揮しているのですが、それが子どもには窮屈に見えたのでしょう。だって傲岸不遜な探偵と謙虚に見える探偵なら、子どもは傲岸不遜な探偵選ぶに決まっています。
社会のルールや不文律や階級を知り尽くしたわきまえた探偵なんてその頃には面白くなかったのです。今読み返してみると、ミス・マープルはずば抜けて才能のある探偵であることがわかるのですけれど。
作品の冒頭、他の登場人物も、ミス・マープルを完全に下に見ています。(もちろん、そんなことはミス・マープルは百も承知であるわけですが)
ご近所のゴシップを引き合いに出しながら、次々と語られる迷宮事件ををあっさり、解いていきます。そして、他の登場人物は、その鮮やかさにミス・マープルを見直すのです。

記憶より行動的


記憶の中のミス・マープルは、いつでも編み物をして、じっと椅子に座っているイメージでした。
しかし、今回読み返してみると、ミス・マープル、案外行動的ですし、しっかり事件現場に出かけています。
第6話の聖ペテロの足跡では、自分の姪を助けるために、その家まで出かけ、あちこちに状況を聞き取りにでかけていますし、
第10話のクリスマスの悲劇は、ミス・マープルがハイドロ(水浴療養施設)にいる際の事件ですが、殺人現場を荒らされないようにしっかり行動しています。
警察や私立探偵でもないというのに、周囲の人への聞き取りもあっさりこなしています。
ミス・マープルは時代や性別の制約さえなければ、どこにでも出かけていく行動的な探偵だったということでしょう。
こうして考えてみるとエジプトに行って、砂に文句をつけているポアロよりも、戸外の調査は得意かもしれません。
最終章に至っては警察OBにお願いして、自分の代わりに捜査をしてもらうなど、ポアロでは絶対やらない捜査をしています。
この辺りのキャラクターの書き分けができるのが、クリスティーの筆力でもある…としみじみ感じてしまいます。

古めかしい言い回しにはまる


「お許しくださいましよ」「〜でございますからね」など、ミス・マープルは古風な言い回しを使います。
翻訳した当時の、日本での女性言葉に勝手に翻訳したのか、もともとこの頃の英語にもそういう言い回しがあったのか、気になるところです。
しかしこの古めかしい言い回し、なかなか味わい深いのです。
こういう言葉が女性を縛ってきたといえばそうなのですが、
この言い回しでしか表現できないものもあるし、
こういう言い回しで守られるものもあるなぁと感じます。
現代でそのまま使うと驚かれるでしょうが、ほんの少しアレンジして使って見たい気もします。
手始めに、もう一度、お嬢様言葉速修講座を聞こうかしら。

階級と時代


読み返して、「子どもの頃はわかっていなかった」と感じたのは、ミス・マープルの異才だけではありません。1番感じたのは、この時代の階級の隔たりの大きさです。
ミス・マープルと共に、謎を語り合う面々は、小説家、前警視総監、医師、牧師、弁護士、大佐、女性は画家と女優です。皆、それなりの階級で、権威のある仕事についています。
こういう階級の人々は、お互いのお屋敷にお呼ばれしてしばらく宿泊したり、晩餐会に招かれたりするようです。
彼らが語る話の多くには、小間使やメイド、コンパニオン(現代的なものではなく、身分ある女性のお話し相手)が登場するものの、それらは、決して、彼らと「同等の人間」ではないのです。使用人がどんな人間なんて、誰も興味は持たない…というような一節があって、この時代の使用人は、そういうものなのだ、と思わされます。もちろん、ミス・マープルも例外ではなさそうです。
この時代の階級というものは、厳然としてあるものなのです。
我々はクリスティーが火曜クラブを書いてから、100年近くかけて、その階級というものを壊し、変化させてきたということでしょう。

こちらの本によれば、

クリスティーの他の作品ではその辺りが描かれていくようですから、
今後、他の作品を読むのが楽しみです。

ジェーン・ヘリア


火曜クラブは、3つの場面から構成され、2番目のパントリー夫妻の晩餐会には、美貌の女優、ジェーン・ヘリアが出てきます。
小説の中では、ジェーン・ヘリアが登場してから繰り返し、その圧倒的な美貌とその愚かさ、空虚さ、自己中心性が執拗に描かれます。そして、男性陣がその美貌に惹かれつつも、彼女の愚かさにうんざりする様子についても、描写されます。
読んでいると、「クリスティーは女性が嫌いだったの?」とか
「クリスティー、これはあなた、あんまり一面的な描き方じゃないの」と言いたくなるほどです。
でも、バンガロー事件を最後まで読み終わると、ジェーン・ヘリアがただの「頭空っぽ女優」でなかったことがわかります。
これにはあっと言わされました。
これは、クリスティーならでは、の描写でしょう。
彼女は女性というものを、同性としてよくよく理解していたのです。恐るべき観察眼!
ジェーン・ヘリア、嫌いになりきれないキャラクターとして造形されていると感じました。
それも、クリスティーの同性への愛、シスターフッドだろうなぁ…と思います。(ミス・マープルの忠告も考え合わせると)
個人的に、シスターフッドに希望を持ってるから、そう感じるのかもしれません。 

何はともあれ、今回も大満足のクリスティーの作品でした。
次は、ミス・マープルが最初に登場する「牧師館の殺人」を聞こうかしら…と考えています。


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