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【読書ノート】69『ロジャーズが語る自己実現の道』C.R.ロジャーズ著

原題は「On Becoming a Person: A Therapist’s View of Psychotherapy」。直訳すれば「人がひとになることについて:セラピストから見た心理療法」。アメリカで1961年に出版され、一躍カール・ロジャーズの名を世間に知らしめた。この本はロジャーズの著作の中で最も多くの人に読まれ,最も強く人々の心を打ったと言われている代表作。
本書では心理療法によりどのように変わっていくのかが具体的に記されており興味深い。自己概念が変化して自分ではないものであることから離れ、本当にあるがままの自分であるということがいかに大切なことであるかが理解できる。個人や小さな集団がこれらのアプローチによりより他者を受容するようになり、他者により受容されるようになるが、これが国家間においても同様のことが可能であるのか、という問いかけを著者は行っている。
心理療法のカウンセリングは人類全体の進歩に様々な可能性があることを示唆していると言えるのではないだろうか。


目次
第1部 自分を語る
第2部 どうすれば私は援助的でありうるか
第3部 人が“ひと”になっていくプロセス
第4部 人間の哲学
第5部 事実をつかむ―心理療法におけるリサーチの位置
第6部 さまざまな領域への示唆
第7部 行動科学と人間


以下、気になった個所の抜粋:

・・・そのような関係の中で、個人はより統合され、能力を発揮するようになる。その中で個人は、いわゆる神経症的あるいは精神病的な特徴を表すことが少なくなり、健康でよく機能する人としての特徴をより多く表すようになる。自分についての認知が修正され、自己のとらえ方がより現実的なものになる。 自分が本当にこうありたいと望む人間へと近づいていく。自分により高い価値を見い出すようになる。自己への信頼感が増大し、自己決定できるようになる。自分をより適切な理解するようになり、体験に開かれるようになる。体験の否認や抑圧が減少する。他者に対する自分の気持ちを受けれるようになる。他者を自分により近い存在として見るようになる。
 個人は行動においても同様の変化を示す。ストレスによって要求不満に落ちることが少なくなり、より速くストレスから立ち直るようになる。周囲の人々は、その日常的な行動がより成熟したものになっていくのを観察する。防衛的でなくなり、適応的になり、状況にもっと創造的に対処できるようになる。
 以上が先に私が描写したような関係を最大限に提供する、心理的風土を持ったカウンセリング面接を受けた個人に生じる変化である。ここで述べたことはどれも客観的な証拠に基づくものである。

第2部 どうすれば私は援助的でありうるか

心理療法においても、生活におけるつかの間の体験においても、彼女は全体として、また機能する人間として、自分自身を健全で満ちたりていると感じている。彼女は、喜びを持って自分の真価を理解するという体験をしてきたのである、と。 そしてこの体験は、彼女が自分の感情を拒否せず、それを生きるときにこそ起きるものなのである。
まさにここに、心理療法の過程についての重要で、見逃されがちな真実があるように思われる。それは、その人が自分の感情や情動を含む一切の反応を、目覚めた意識を持ちながら十分に体験するという方向に働くものである。このようなことが起こると、人は自分自身に肯定的な行為を感じ、自己を全体として機能するものとして純粋に理解するようになる。これが、心理療法の1つの重要な終局点なのである。

第3部 人が“ひと”になっていくプロセス p86

「心理療法において人は、人間生命体に実際になっていったのです。その人間生命体はそれが含むすべての豊かさを持っているのです。人は現実的に自分コントロールすることができますし、彼の欲望は強制不可能なほど根強く社会化されています。人間の中に獣性ありません。人間の中には人間があるのみです。 そしてそれを私たちは解放することができたのです」と。
 ・・・それはもし私たちが全動物界の特徴である五感とからだの内側での体験に、ただ人間という動物のみが十分になしうる自由で歪みのない意識という贈り物を与えることができるならば、私たちはそこで、美しく建設的で現実的な生命体になることができるという発想なのである。
 そのときその生命体は、食欲や性欲といった生理的要求を意識していくのと同じくらいに文化の要請をも意識することができ、自己を拡大したいという欲望を意識しているのと同じぐらい友好的関係に対する欲望をも意識することはできる。さらにまた、他者に対する敵意を意識しているのと同じぐらいに他者に対する細やかにして敏感ないたわりをも意識することができるのである。 アウェアネス(意識・気づき)という人間特有の能力がこのように自由かつ十分に機能するとき、そこに私たちは見出すのは、恐れなければならない動物でもなく、コントロールしなければならない獣でもない。
 それは、中枢神経の驚くべき統合力によって、また意識性の持つあらゆる要因の結果として、バランスの取れた、現実的な、自己を高め他者をも高めるような行動を成し遂げうる生命体なのである。言い換えれば、人間が十分な人間になっていないとき-----彼がその体験の様々な側面を意識に否定しているとき-----現在の世の中の状況が示すように、人間とその行動を恐れなければならない理由が生まれてくるのである。しかし人間が極めて十分に人間であるとき、人間が完全な生命体であるとき、つまり人間に特有の属性である体験の自覚がきわめて十分に働いているとき、人間は信頼すべきものであり、行動は建設的なものとなる。

第3部 人が“ひと”になっていくプロセス p101

現代産業文化の中では「組織化された人間」として期待されるような特質を持つように強大なプレッシャーがかけられる。人は十分にその集団のメンバーでなければならないし、自分の個性をグループの要求に従わせなければならない。「角のとれた人たちを扱うことができる、角のとれた人間」にならなくてはならない。
・・・同調性へのこうした圧力あるにもかかわらず、クライアントが全く自由に、自分の進むどんなあり方もでもできるとき、彼らはある一定の方に自分をはめようとする自組織や大学や文化の傾向に憤慨し、それを問題するようになるようである。 私のクライアントの1人はかなり熱を込めて次のように語っている。「私は長い間、他の人には意味があったけれども、私にとってはまったく無意味だったものに従って生きてきました。しかしもうこれくらいでたくさんだと思いました」。他の人と同じように、彼もこうして期待されているものから離れていくのである。
・・・多くの人は他者を喜ばそうとすることによって自己を形成してきている。しかしまた、彼らが自由になった時、そこから離れていく。

第4部 人間の哲学 p157

この変化のパターンにおいて、個人は存在へ、つまり内的にかつ実際に、それである過程に向かって、意識的かつ需要的に変化していくように思われる。 彼は自分ではないものであることから離れ見せかけであることから離れていく。彼は、不安や大げさな防衛を行いながら、実際の自分以上であろうとしない。また、罪悪感や自分を軽蔑する気持ちを持ちながら、自分以下であろうともしない。彼は自分の生理的な情動的存在の最も深いところにますます耳を傾けるようになる。 自分が本当にそうであるような自分に。 より正確に、より深くなろうとするようになるのである。あるクライアントは、自分がどんな方向に進みつつあるかを感じ始めたとき、驚きと疑いを抱きながら、ある面接で次のように自分自身に問いかけている。「本当に自分がそうありたいようにあるならば、それでいいと思っているの?」。 彼自身の、そして他の多くのクライエントのさらなる体験は、肯定的な回答に向かう傾向がある。本当にあるがままの自分であるということ、これはどんな方向にも進んでもいい自由が与えられてる場合、最も高く価値づけられる人生の道なのである。それは単なる知的な価値選択ではない。しかしこれが、自分がそうありたい自分に向かって手探りで進んでいく時の、探索的で、試みの不確かな行動を最もよく表してるように思われる。

第4部 人間の哲学 p163

人間の本性への基本的信頼
・・・それは人間の基本的な本性は、それが自由で働いているときには建設的で、信頼できるものだということである。 私にとってこのことは、1/4世紀にわたる心理療法の経験からして免れることのできない、必然的な結論である。私たちがその人を防衛性から解放することができるならば、その人は広範囲の環境的及び社会的に要請や、広範囲に及ぶ自分自身の要求に対しても開かれていく。おそらくその人の反応は肯定的で、前進的で、建設的なものになると確信できるのである。誰がその人を社会化するなどと問う必要はない。なぜならその人の最深の要求は、他者と関わりを持つこと、他者とコミュニケーションを持つことに向かっているからである。その人がより十分に自分自身になるにつれて、もっと現実的に社会的になるのである。人間の攻撃的な衝動を誰かをコントロールするのかなどと通う必要もない。なぜならその人が自分の全ての衝動にさらに開かれていくにつれて、他の人に好かれたいという要求や愛を与えたいという傾向が、自分でやってやろう、自分で成功を掴もうとする衝動と同じくらいに強くなってくるからである。 その人は攻撃することが現実的に適切である状況においては攻撃的になるかもしれないが、逃避的な欲求から攻撃に向かうことはない。 自分の全ての体験に対して開かれていくにつれて、こうした領域やその他におけるその人の全体行動はもっとバランスの取れた、もっと現実的なものになっていく。それは、高度に社会的な動物としての人間の生存と強化にとって適切な行動なのである。

第4部 人間の哲学 p178

心理療法によって変化するのは理想自己ではなく、主として自己概念であることがわかっている。理想自己はほんの少ししか変化せず、その変化の多くを要求しない、達成しやすい方向に向かう。心理療法を受けた後に現れてくる自己像は、臨床化が(バイアスを除いた方法によって)より適応していると評定している。ここに現れてくる自己は、内的な気楽さ、自己理解と自己需要、あるいは自己責任の程度をより大きくしている。この心理療法を受けた後の自己は、他者との関係に大きな満足と気楽さを持つことがわかっている。このようにして少しずつ、心理療法によって起こる認知された自己の変化について、客観的な知識を加えていくことができたのである。 

第5部 事実をつかむ—心理療法におけるリサーチの位置 p229

・・・クライアント中心療法において、心理療法を受けると以下のような学習や変化が明らかに生じる、ということがわかっている。
※ その人は自分自身を違うように見るようになる。
※ 彼は自分自身や自分の感情をより十分に受容する。
※ 彼はより自己信頼的になり、自己によって方向づけられるようになる。
※ 彼は自分がそうありたいと思うような人になっていく。
※ 彼の自己や世界の認知は、より弾力的で柔軟になる。
※ 彼はより現実的な目標を自ら採用する。
※ 彼は成熟した仕方で行動する。
※ 彼は不適応的な行動を修正する。それが例えば満性のアルコール依存症 
     のように 長い期間の中で定着した行動であっても修正される。
※ 彼は他者をより受容するようになる。
※ 彼は自分の外側で生じてることに対しても、自分の内側で生じているこ
     とに対しても、事実に開かれていく。
※ 彼は自分の基本的な人格特性を建設的な方向へと変化させる。
これらが意味のある重要な学習であるということは、十分におわかりいただけると思う。

第6部 さまざまな領域への示唆 p248

一致
心理療法を行うためには、セラピストがその関係の中で1つにまとまった統合された、もしくは一致している人であることが必要だと思われる。私が言いたいのは、その関係の中でセラピストが、仮面や役割や見せかけなどから離れて、まさしくありのままの自分であるということである。 私は、体験と意識とが正確に合致してるという意味で、「一致」という用語を使っている。セラピストが完全に一致しているのは、その関係におけるこの瞬間に、自分が体験していることを十分にそして正確に意識している 時である。 こうして一致がかなりの程度存在しない限り、意味のある学習は生じ得ないようである。249

無条件の肯定的配慮
第三の条件は、セラピストはクライアントに対して温かい配慮を体験するということである。その配慮は、相手を支配するのもなければ、個人的な満足を求めるとするものではない。それは、「もしもあなたが~といった行動するなら、私はあなたに関心を寄せます」というあり方ではなく、「私はあなたに関心を寄せています」ということを真に表すような雰囲気のことである。・・・それは、クライアントが彼自身の感情や体験を持つこと、その感情や体験の中に彼自身の意味を見い出すことを許容しながら、クライアントを独立した人として受容し、配慮するということである。250-251

共感的理解
心理療法の第四の条件は、セラピストはクライアントが自分の世界を内側から見てる通りにその世界について正確で共感的な理解を体験している、ということである。クライアントの私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように、しかも、この「あたかも」という質を決して失うことなく感じることである。これが共感であり、心理療法にとって本質的なものと言えるであろう。クライアントの怒りや恐怖や混乱などをあたかも自分自身のものであるかのように、しかも自分自身の怒りや恐怖や混乱と混同せずに感じ取ること、これがここで描き出そうとしてる条件である。251

第6部 さまざまな領域への示唆 p249-251

私たち相手を理解しながら傾聴する時、真のコミュニケーションが生じて、評価的な傾向はなくなる。これは何を意味してるんだであろうか?それは、相手の観点から、表現された考えや態度を知り、相手がどのように感じたかを感じ、相手が話してることについて、相手が持つ枠組みに近づこうとすることを意味している。
このように簡潔に説明してしまうと、何かおかしなほど単純な感じを与えるかもしれないが、そうではない。これこそが心理療法の分野で私たちが大きな可能性を見出したアプローチなのである。すなわちこれこそ個人の根本的な人格の構造変化させ、他者に対する人間関係とコミュニケーションを改善させるために、最も有効に働くものなのである。相手が私に向かって話すことに私が耳を固めることができるなら、相手が語ることがその人にどのように感じられるかを私が理解することはできるなら、また、相手が話していることの中にその個人的な意味を私が理解することはできるなら、そして相手がまさに感じている情緒的な感触を私が感じ取ることはできるなら、その時は私は、相手が持っている変化への強い潜在力を解放することはできるだろう。295

第6部 さまざまな領域への示唆 p295

傾聴共感によるアプローチがコミュニケーションを改善し、より他者を受容するようになり、他者により受容されるようになり、自然に肯定的で問題解決的な態度をもたらすものであることは研究によって示されている。そこでは防衛や誇張された発言、評価的で批判的な行動などは次第に減少していくのである。しかし、こうした発見は小さな集団の中でだけ起こるものなだろうか。地理的に離れたより大きな集団の間で理解を発展させようという試みに関してはどうだろうか?国連の代表者のように、自分たちのためというよりも人々の代表として話し合うような場面についてはどうだろうか?正直なところ、こういった問題に対しては、私たちはまだ答えを出せていない。 私は、人々が置かれている状況が解決の道を与えるのではないかと思っている。私たちは、コミュニケーションの障害の問題に関して、社会科学者としての仮説的で実験的な解決方法は知っている。しかし、この実験室的な解決方法の妥当性を確かめるためには、そしてその方法を階層間、集団間、国家間のコミュニケーションの断絶という幅広い問題に応用するには、より多くの研究式が必要であるし、たくさんの研究と高いレベルの創造的な思考が必要となる。

第6部 さまざまな領域への示唆 p298

 これまでの私たちの研究と経験によれば、コミュニケーションの断絶やコミュニケーションの大きな障害となる評価的な傾向は、回避することができる。その解決は、様々な集団のメンバー1人ひとりが他者の身になって理解する状況を作ることで実現されるのである。これは、たとえ感情が高ぶっている時でも、積極的に共感的に相手の考えを理解しようとし、そうすることで相互理解を促進する媒体となる人によって実現される。
 この方法には重要な特質がある。それは、相手にその準備ができていなくても、一方の集団によって始めることができる、という点である。また、集団の中で最小限の協力が得られさえすれば、中立的な第三者によって始めることも可能である。この方法は、コミュニケーションのほとんどあらゆる失敗を特徴づける不誠実や防衛的誇張、嘘、「偽りの仮面」といったものを取り扱うことができる。こうした防衛的な歪曲は、人々が、大切なのは評価することではなく理解することだ、ということを発見すると、驚くほど急速に消えていくものである。
 この方法によって私たちは、真実の発見に向かって着実かつ急速に進んでいくことができる。コミュニケーションの客観的な障害となっているものを現実的に認めることはできるようになる。一方の集団の防衛が少しでも減少すると、他方の集団の防衛も減少することになる。こうして次第に真実に近づいていくのである。

第6部 さまざまな領域への示唆 p299

この方法は、現在では消集団の中で生じるコミュニケーションの断絶に対する実験的な解決法と考えられている。この小規模な解決を取り上げ、さらに研究を進め、磨き上げ発展させていけば、現代の世界の存立自体を脅かしてる悲劇的で宿命的なコミュニケーションの失敗と欠如に対して、これを応用することできるようになるのではないだろうか?私たちがこれから探求していかなければならない可能性と挑戦は、まさにここにあると私は考えている。 

第6部 さまざまな領域への示唆 p300

・・・だが私は、人間関係の分野で活動し、この分野の基本的な在りようを理解しようとしている私たちすべては、現在の世界で最も重要な取り組みにかかわっているのだという事実を考えると、少なくとも多少は励まされる気分になれる。 私たちが管理者として、教師として、教育相談や職業相談のカウンセラーとして、また心理療法化として、私たちの課題を思慮深く見極めとすることは、この地球の未来を左右する問題に取り組んでいることになるのである。未来は自然科学の発展にかかっているのではない。未来は、人間の相互作用を理解しそれに対処しようとしている、つまり援助的な関係を創造しようとしている私たちにかかっているのである。あなた方が、人間関係の中で成長を促進しようとする際の理解や展望を得るうえで、この章で私が自分に投げかけたと問いが何かの役に立つことを願っている。

第2部 どうすれば私は援助的でありうるか p57

(2024年6月5日)


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