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Circuit Lab.の仕事 「ポニポニとにんげんフェスティバルって何だろう?」

ユニバのCircuit Lab.チームでは、どのようなことをしているのでしょうか。この記事を通じて、これまで関わったお仕事の内容をご紹介します!

今回は、福岡県の最南端にある大牟田(おおむた)市に拠点を構え、地域内外との協働を通じて社会課題に取り組む「一般社団法人 大牟田未来共創センター」通称【ポニポニ】と呼ばれる団体とともに活動する松浦さんにお越しいただき、Circuit Lab.との関わりについて、Otasuketai がインタビューさせていただきました。

菊地さん:Circuit Lab. チームのリード。UNIBA INC.代表取締役。
松浦さん:2019年のポニポニ立ち上げ期から大牟田で様々なプロジェクトに参画し「地域と企業との共創」の難しさと可能性を探索。
2021年より株式会社地域創生Coデザイン研究所に所属。

(前回のCircuit Lab.記事はこちらからどうぞ▼)


ポニポニって何だろう?

ポニポニって何をしているところ?

松浦:ポニポニという団体は福岡県の大牟田(おおむた)市にあり、地域の方々や行政、地域内外の企業とともに、暮らしや政策、産業、文化などのあらゆる領域を統合しながら、より良い地域や社会を目指すための様々な事業を行っています。

具体的には「介護予防」「住まい」「就労」「産業」「教育」「デジタルデバイド」などのテーマでプロジェクトを企画し実践しています。ときには行政と協働して政策形成を行い推進までを担ったり、企業との協働によってそれぞれのテーマに対して「テクノロジー」をどう位置付けられるか、ということをコンセプトから探索するプロジェクトを行ったりと、一言では語れないくらい幅広く活動していますね。

私はもともとNTT西日本で新規事業開発を担っていたのですが、その際に「地域や社会の課題を根本的に解決すること」と「企業としての事業活動」は本当に両立するのか?というジレンマにぶち当たっていました。時を同じくして、現在のポニポニメンバーと、現在の私の同僚であるNTT研究所メンバーとが大牟田で出会い、いくつかの試行的なプロジェクトを進める中で、大牟田という地域に責任を持って活動する主体・団体が必要だよね、ということで、2019年に「大牟田未来共創センター(ポニポニ)」が立ち上がりました。

ポニポニが掲げるビジョンや問い立てが非常に面白く、私が抱えていたジレンマにも何かヒントがありそうと思い、ポニポニ立ち上げ期から私も参画しています。

松浦さん(左)、菊地さん(右)

大牟田市はどんな場所?(なぜ大牟田なのか?)

松浦:大牟田は、現在約11万人の都市です。元々は炭鉱産業で栄えた町なんですけど、最盛期に約21万人だった人口が、今ではほぼ半減してしまいました。高齢化率は37.3%(2021年10月1日現在)となっており、10万人以上の都市においては、全国で2番目に高い現状です。

言い換えると、いわゆる「都市」としての機能を一式持ちつつも高齢化の状況が日本平均の数十年先をいっている地域であり、日本の未来の縮図でもある訳です。この大牟田に面的に関わり、地域や社会の課題を根本的に解決する仕組みやモデルが作れたら、それは他の地域にとっても大きな価値があることなんじゃないかと考えたのが、大牟田に関わろうと思ったきっかけのひとつです。


福岡県の最南端にある大牟田(おおむた)市。
昭和30年代は福岡市、昭和39年に北九州市となった八幡、小倉両市に次ぐ規模だった。
地図引用:Map-It マップイット(c)

松浦:大牟田は、博多からさらに電車で1時間以上かかる場所にあり、市外の人たちにとって観光やビジネスの目的地になっているかというとそういう訳でもありません。
介護・福祉領域に携わっている方の中には、20年ほど前から官民連携で先進的な認知症ケアに取り組んでいる町ということで大牟田のことをご存知の方がいるかもしれません。一方で、「高齢化率」は上がっていくけれど、「高齢者の人数」自体は将来的に減っていくトレンドの中で、 病院や介護施設の経営が難しくなってきているのも大牟田のリアルです。

より良い仕事や暮らしを求めて他の地域に人が流れていく現状を受け止めつつ、どうしたら大牟田の産業や雇用を維持・転換しつつ、地域の人々が安心して幸せに暮らせる町になるかということを常に考えながら、政策的な観点と産業的な観点の両面で様々なプロジェクトを企画し、進めています。

ー菊地さんは大牟田市を訪れて、どのような印象を持たれましたか?

菊地:僕が初めて訪れたときの第一印象は「ふつうの大きな町」でした。僕の場合、大牟田についてほとんど何も知らない状態から、高齢化など社会課題を意識しすぎて、それが先入観になってしまっていたようです。行ってみればにぎやかで、親近感のわく町でした。

松浦:そうですね例えば高齢化率が既に50%を超えていたり近づいていて、公共交通機関や医療機関も無くなってしまった中山間地域の自治体のような切迫状況とはちょっと違って、大牟田は10万人規模の「都市」ではあるんですよね。

菊地:例えば大牟田と同じく炭鉱を持っていた夕張市は財政破綻したり、鉄道路線が廃止されたりしています。そういう自治体としてどう存続するかという苦境とは違って、大牟田はたくさん人がいて、都市のシステムが機能しているなかで、みんなの幸せをどう増やしていこうか、という話ができる状況にある。存亡の危機ではないけど問題はたくさんある。そういう意味で日本全体の状況と重なって見えて、ここから未来を考えようというポニポニの考え方は、確かに面白そうだなと思いました。

にんげんフェスティバルって何だろう?

2022年12月、ポニポニが主催の「にんげんフェスティバル」が大牟田市にて初開催されました。

フェスティバルの成り立ち

ー大牟田市で「にんげんフェスティバル」が初開催されたようですが、どういうきっかけで「フェスティバル」に結びついたのでしょうか?

松浦:ポニポニを立ち上げてから、大牟田において「介護予防」「住まい」「テクノロジー」などの切り口で取り組んできた様々なプロジェクトを通じて、何度も共通する問いや課題が現れてきました。そんなポニポニが直面した問いや課題を、地域内外の人たちと共有し、意見を交わすことで地域や社会の未来を描くことにつなげたいという想いが、「フェスティバル」を開催したいという原動力になりました。

ポニポニの立ち上げメンバーであり現代表である原口さんが、ポニポニという団体そのものやフェスティバルのあり方についてイメージしていたもののひとつにアルス・エレクトロニカ(Ars Electronica)があります。オーストリアのリンツ市を拠点に40 年にわたり「先端テクノロジーがもたらす新しい創造性と社会の未来像」を提案し続けている世界的な文化機関であり、「アルス・エレクトロニカ・フェスティバル」という芸術・先端技術・文化の祭典も毎年開催しています。

ポニポニという団体や、フェスティバルのメディアを立ち上げるにあたって、単にウェブサイトを作ってくれる人というよりは、テクノロジーのことやアートや社会のこととか、そういったことを統合的に見ている人で良いパートナーがいないかなと探していた時に、菊地さんに辿り着きました。

UNIBAでは、2011年から8年間毎年アルスエレクトロニカフェスティバルへ訪れており、2015年〜2018年に渡り「ARSOMORO (アルス・エレクトロニカおもろーの会) 」というイベントを都内で主催し、アルスに関心がある人々の交流の場を作ってきました。

松浦:アルス・エレクトロニカをひとつの参考にしつつも「じゃあ大牟田でフェスティバルをやるとしたときのあり方ってどんなものだろう?」っていうのはなかなか具体的にはイメージできていませんでした。

菊地さんにもメンバーとして入ってもらい、全体を貫くコンセプトや、フェスティバルに参加してもらいたい人たちとのコミュニケーション面やクリエイティブの面からフェスティバルのあり方を考えていった時に、ポニポニが今まで取り組んできた様々なプロジェクトにおいて直面した「未来に向けた問い」を、どうやったら参加してくれる人たちと共有できるのか?という大事な論点に辿り着きました。

「にんげんフェスティバル」体験型イベントの様子

菊地:2021年6月に、ポニポニの原口さんからメールをもらったのがきっかけで。お話しして最初に印象に残ったのは「ポニポニのメディアを作りたい」というモチベーションでした。

メディアの在り方は今も模索中なのですが、面白いことを色々やっていて、協力者がいっぱいいて、それが広がりになってきている状況は、出会ってすぐ分かったんですよね。 この広がりを目に見えるような姿を与えることが、まずはできることかなと考えて、Webサイトに対話のテキストや、活動の記録を公開する作業から始めました。

にんげんフェスティバルは、ポニポニと仕事を始めてから1年後くらいに着手してます。フェスティバルなので、あらゆる人に向けたものになってほしいなと思いました。なので、ポニポニ内部の論議を積み重ねて出てくるポニポニ側からの表現じゃなくて、いろんな人が、その人の側からポニポニを掴みにいけるツールをばらまきたいと思いました。ポニポニに興味を持った人は最終的には説明を読んでくれるだろうから、興味をもつきっかけを作ろうというのを自分の役割として設定していましたね。

表現として手に取りやすいこともそうですが、このフェスティバルには、アイデンティティを問い直すというテーマがありました。テーマそのものは壮大なんですが、自分にも関係あるし、自分も何か関われる可能性があるかもしれない、と思ってもらえるとよいなと。そのためにできることをやっていこうと思っていました。

具体的には「自分だったらどうするかな?」という解釈の余地がある、空白が多い表現を意識してます。例えばにんげんマークは、円形の組み合わせで描けるという意味では単純なので、誰でもペンで落書きできると思います。でも描けばその人の個性が形にでますよね。そういう仕掛けをたくさん入れています。

「にんげんマーク」を取り入れたスタッフパーカー


「にんげんフェスティバル」というネーミングについて

ー「ポニポニ」や「にんげんフェスティバル」って、とてもユニークなネーミングですが、どのような由来があるのでしょうか?

松浦:「ポニポニ」と言う団体の愛称の名付け親は、ポニポニ立ち上げメンバーで団体の理事でもある山内さんの発案でした。ポニポニの「ニ」は人間の「ニ」で、「ポ」はPersonのPと大牟田のO…実際には「ポニポニ」という語感がかわいくて良いよね、というところからの逆算でもあるんですけど(笑)

フェスティバルのネーミングについては、ポニポニメンバー内ではもともと別のネーミング案を持って進めていたのですが、それをひっくり返して、「人間」という言葉をひらがなで表現しようというアイディアをくれたのは菊地さんだったと思います。

「ヒューマン」でも「パーソン」でも漢字の「人間」でもない日本語の「にんげん」って、いま私たちが向き合っているいろんな矛盾 —— 自分と他者とか、個人と社会とか、地域と企業とか、人間と技術とか… そういうものの間にある概念を表現できそうだよねと。「にんげん」だったらいろんな人に自分ごととして捉えてもらえるんじゃないかなというようなことをメンバーみんなで議論しました。

菊地:フェスティバルがどう成立するか考える時に、アルスエレクトロニカを思い出していました。「アルス」という語は、僕の理解では「人間によるもの、人の作ったもの」を総称する言葉で、それにエレクトロニカがついています。人類と電子的な技術が存続する限りなくならない、根源的なテーマです。アルスエレクトロニカはこのテーマを40年間問い続けてきていて、その帰る場所として、毎年開催のアルスエレクトロニカ・フェスティバルがあります。そうなれるようなタイトルにまずできたらいいなと。

毎年のフェスティバルが扱うトピックが変化したとしても、「にんげん」は10年経ってもそれほど変わらない。まず「にんげんフェスティバル」という名称が、時代の変化を根源的なテーマでつないでくれるのではと思いました。

それから「にんげん」と言われれば、自分は人間じゃないよ、と思う人はあまりいないでしょうから。フェスティバルを支える人や、来場者の人、あらゆる人が、そのタイトルを聞いて、自分にもどこかで関係しているテーマを扱っていそうだな、と感じてくれるんじゃないかとも期待してます。

「にんげんフェスティバル」トークイベントの様子


メインビジュアルと「ぽにぽに物質」について

菊地:そこに存在しようとする力と、環境からの力の両方がせめぎ合って、その人の姿が現れる様子を表現しようとしています。輪郭から決定してしまうと、その人が存在できる範囲を恣意的に決めてしまうことになる。さまざまな方向に向かう力の世界の中に、自分も力の一つとして世界を押し返すと、結果として誰も予想できない「自分の形」になるーーそういう力の関係をそのまま物理シミュレーションにしたいと思いました。

外の圧力が弱まれば輪郭が曖昧になるし、ギュウギュウになればそれなりの形になる。環境とそれを押し返す力の結果として、予測しづらい形が立ち現れる仕組みを作って撮影しました。僕自身も予想できないので、いろいろ条件を変えて撮影しながら、これかな、とピックアップしたのがポスターに使われたヴィジュアルですね。動画版だと、どの部分がオリジナルの形とも言えないような状態になっています。

この衝突を表現している、いろんな色の、やわらかい球体が、「ぽにぽに物質」と呼ばれています。

「ぽにぽに物質」を使った、にんげんフェスティバルのメインビジュアル

松浦:今まで、ポニポニの大事にしていることをどうやってみんなに共有していくかって、あまり考えたことがなかったんですけど、菊地さんがCGで色々試行錯誤しながら「にんげんフェスティバル」のメインビジュアルを見せてくれてた時に、なんだか一つの方向性として腑に落ちたような気がしたんです。

今回のフェスティバルって、「はじめましてポニポニです」っていうことを言いたいわけでも、ポニポニの事業やプロジェクトを紹介する会とかでもない訳じゃないですか。
そういう時にいろんな人が、「何これ?」とか「かわいい」とか「ちょっと気持ち悪い」とか思ったり、「どういう意味なんだろう?」っていうのを自分の感性や課題感で捉えて、フェスティバル自体に興味を持ってもらうっていうような、最初の入り口をビジュアルとして表現してくれたと思っています。

ポニポニのいろんなプロジェクトをやるときに通底しているものとして、人はひとりの「個人」として独立して存在している訳では無く、いろんな人や社会との繋がりがあって成り立っていたり、力が引き出されるという考え方を大事にしていて。そういう人間観が現れているものになりました。

菊地:自分だけで完結する仕事で終わるのは簡単なんですけど、それでは自分がやった分しかプラスにならない。色んな人が自分なりにやってみたり、そのアイディアを受け取って別の形を作ったりして出来るものを意識しています。


フェスティバルを開催してみて

ーフェスティバルを開催してみて、何か変化はありましたか?

松浦:フェスティバルの開催は今回が初めてなので、どのくらいの人が来るのか全く読めない状況でした。実際に蓋を開けてみると、地元の方はもちろん、福岡の高校生や、東京・大阪・熊本のビジネスパーソンが来てくれたりと、想定以上に幅広い層の人が来てくれたという印象でした。

一方、このフェスティバルが直接何か大きな変化を生んでいるとはまだ思っていません。ただ、この期間限定ではあるけれど、大牟田にいながら先進的でユニークな問いを生み出している全国の有識者・実践者との対話に参加できたり、楽しいテクノロジー体験ができたり、駅前にいつもと違う賑わいが生まれるような場ができたことをポジティブに捉えてくれた人たちはいるんじゃないかなと。それをきっかけとして「ポニポニって何だろう」と、興味を持ってくれた人もいるかもしれないと思っています。

私がフェスティバルをやって何より良かったと思っていることは、運営チームとして社会人・学生・クリエイターなど多様なバックグラウンドを持つ人たち約50人が一同に会し、準備や当日の運営を行えたことです。

その50人というのは、例えば介護予防のプロジェクトや、住まいのプロジェクトなどで、これまでにポニポニがお世話になっていた人たちだったんです。大牟田でフェスティバルをやりたいと思っていると言ったら、みなさん快く集まってくれました。

業界や職種、年齢も様々で、普段はそれぞれのテーマに向き合い、取り組んでいる人たち同士が一緒に何かをする機会があまり無い中で、このフェスティバルをきっかけに新たなつながりも生まれたり、ここからまた何かが生まれそうな「チーム」になれたのは、とても嬉しかったですね。

このにんげんフェスティバルがきっかけとなって、大牟田では「VRを活用した地域とつながるプロジェクト」という取り組みが始まっています。フェスティバルにゲストで来てくれた登嶋健太さんが取り組んでいる「VR旅行」をベースに、大牟田なりの形を模索しながら地域のみなさんとともに実践しているものです。

臨場感のある映像を撮影・視聴できるVRというテクノロジーの面白さについてシニアや学生の方がチームになって学びながら、「大牟田のまち」の映像を360度カメラで撮影し、介護施設に入居している方々にVRゴーグルで見てもらうという全5回のプログラムとして実施しています。撮影する人も見る人も、お互いに元気になったり、意欲が湧いてきたり、中には大牟田の映像を見ながら、涙を流してくれた方もいました。

楽しさや感動があるから、心理的なハードルを越えて新しいテクノロジーに向き合うことができるし、介護現場の課題解決というテーマに対してもテクノロジーをどう位置付けられるかということの一つのトライアルにもなってるんじゃないかなと思います。VRはあくまでひとつの例ですけど、このプロジェクトを通じて、自分たちの暮らしや仕事に、新しいテクノロジーを前向きに取り入れていこうと考える一歩にはなってる実感がありますね。

菊地さん、松浦さん、ありがとうございました!

さいごに

松浦さん、菊地さん、ありがとうございました!
「ポニポニ」から「にんげんフェスティバル」に発展していった経緯や、大牟田市に暮らす方々の想いが繋がる場所づくりについて伺いました。
これからの時代、社会と人そしてテクノロジーが手を取り合った先に、私たちの暮らしがどのように続いていくかを一人一人が考えていくことの大切さを感じる取材となりました。