ゆうかYUKA

教育系の企業で働いたのち、旅の途中で出向いた小笠原の島に居着くようになりました。

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教育系の企業で働いたのち、旅の途中で出向いた小笠原の島に居着くようになりました。

マガジン

  • 生きることがヨガ

    病気をきっかけにヨガを学びはじめ どんどん人生が至福に満ちて楽しくなる。 みんなスッキリ健康に生きられる。生きていい。 腑に落ちる気付きだらけ。 学びの備忘録。

  • 徒然なる小笠原日記

  • 宝石の島で出逢った物語たち

  • ゲストハウス放浪記

    ゲストハウスをめぐっています。すてきな場所がたくさんあります。

最近の記事

イマここにあることと、呼吸と、魂と

彼の子(つい最近7歳)に 「いのちってどんなの?」 って聞かれた。 「死んだ人と、生きてる人 まったくおなじものでできてるけど 死んでる人は全く動かなくて、 生きてる人は意識があって動いてる。 キミも生きてるよね。 それを動かしてるのがいのちとかたましいっていうものだと思うよ。」 と答えた。 そしたら 「のう?(が自分を動かしてる?)」 と聞かれた。 「そうだね、けど死んでたら脳も動かないよ。」 と答えたら 「さんそがのうをうごかしてる?」 と聞いてきた。 もー、

    • 意識次第でゆるやかになれる。ゆるやかで上手くいく。

      島にいるときに、いいね島、ゆるやかだよね といろんな人に言われたけど 東京にいるいまの方が全然ゆるやかに過ごしてる いままで東京って自分にとっては せわしなくてもっと成長すべき場所だったけど 中身や意識次第で どこにいてもゆるやかになれるんだと実感。 島、のんびりかと思いきや実際の自分は 稼がなきゃ、何かできる自分にならなきゃという思いから 朝の5時から夕方の5時までぶっ続けで働いて 休みの日も休んだ気がしなかったり やりたいこと楽しいことは ほとんど

      • 精神的な自立をするとラクに生きられる

        依存、不安、過度な自己否定が病気をつくりだすのは ほんとにそうだなと感じていて お恥ずかしながらヨガ始める前までは 彼氏にほんとよくヒステリックになってて 「楽しいことだけやってたいっていうけど じゃあつらい時は一緒にいないってこと?泣」 とか言ってたし (うわーめんどくさーって思ってたらしい笑 そりゃそうだ笑) 病気になったら自分のことみてくれるのかなとさえ思ったことある! (きゃーもう恥ずかしい!笑 けど、そりゃもう自分でつくってるよね) だから、相手

        • いまを味わう

          はー!ほんとにヨガのおかげで(何回目) 自分と自分の感情と付き合うのがうまくなってきたなー。 今日病院で検査だったんだけど (結果大丈夫だった!わーい!) もう待ってる間キンチョーキンチョー! けど、ただキンチョーしてるだけで 「もし結果が悪かったらどうしよう」とか そういう要らん未来の心配もなく 「前こんなんだったから…」 というトラウマ的なのも 全く頭をかすめることなく もう、ただキンチョーしてるだけ。笑 診察おわればもうこの緊張は 過ぎ去ること

        イマここにあることと、呼吸と、魂と

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          24本
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        • 宝石の島で出逢った物語たち
          1本
        • ゲストハウス放浪記
          3本

        記事

          自分の中心以外はすべて他の生き物でできている、生かされている

          瞑想してて、ふと、はーってなったこと。 自分自身の中心の部分って ほんと一部でしかなくて小さくって 服があるから暖かいし プラスチックがあるから便利な道具が使えるし お布団があるからぐっすり寝れるし コンビニ弁当があるから 急いでてもちゃんと食事がとれるし 草木があるから呼吸ができるし 身体に微生物や菌がいて それぞれの臓器が働いてるから 生きてるわけで 全てもののの支えによって生かされてる ちっぽけな存在なんだなと めちゃくちゃありがたい。 最

          自分の中心以外はすべて他の生き物でできている、生かされている

          任せることと放任のちがい

          多治見inヨガ(どこにあってもヨガだけど)の旅 ただイマにある。 これがほんとに意識しないと難しいなーと。 内側からでてくるもの 本当にいろいろあって その度にこんなんでいいのかなとか 思ったりするんだけど ただ、ただ、今あることは ふと空を見上げれば青く澄んでいて 山が雄大にそびえ立っていて 花が咲いていて 素敵な多治見の一部屋で 寒い中こたつでぬくぬくしている。 ええ、こんな幸せなことないじゃん。 内側にあるものはあるもので しょうがないから そっと片隅に置いときな

          任せることと放任のちがい

          ヨガのなにがいいか

          ヨガのなにがいいか。 病気って言われて絶望だった時に あたまの中それでぐるぐるぐるぐる 他のこと考えられない。 食欲もない。 下ばっか向いてる。 そんなときにヨガやったら 「あれ、身体は気持ちいいな?」 「あんなに逃れたいと思ってた思考が 呼吸と身体に集中することで止まるな。」 「わたし身体動くし全然元気じゃん。」 「いまの不健康作ってるの自分かも。」 そんな風に思ったのがヨガの入り口。 そうだ。 そういえば1ヶ月くらい前、 何回か小鬼みたいなお化けがでてくる夢を見た

          ヨガのなにがいいか

          自分の内側と向き合って変わったこと

          ヨガをやりだして 自分の内側と向き合って変わってきたこと。 ここ半年ぐらいだけど 徐々に、けど確実に変わってきてる。 まず、自分の人生に起こることは 全て自分の責任だという感覚。 (自分を責めるという意味ではない) モヤっとしたことがあったら 自分のどの部分が反応してるんだろう 自分と相手の境界線が曖昧だから 入り込んでるんじゃないかとか 自分を見つめるようになった。 そうすると、気持ちが安定してきて 人との関係も安定するようになってきた。 怒った

          自分の内側と向き合って変わったこと

          身体の言うことを聴く。出したいものは出す。

          インドにいって、おなか壊して熱出して思ったこと。 もう、身体の仰せのままに! 胃と腸の仰せのままに! というかんじで、全部身体にまかせていた。 するとなんか各部位が がんばって働いてくれてることが すごくわかって。 自分は辛いカレー食べたいんだけど ちょっとまって胃に聞いてみよう… もちろんNoだわ、食べない。 めんどくさいんだけど、 お腹痛くて腸が出してっていってるから 我慢しないで全部だす。 あとはひたすら休む。 ほかが頑張ってくれてるんだから

          身体の言うことを聴く。出したいものは出す。

          私は私にしかなれないんだから、そのままでいい

          島でライブやったんですが また、あっ!ておもったこと。 企画はして いちバンドとして歌ったんだけど その場を作ってくれたのは 演者さん方と来てくれた方々で わたしはなにもやってない。 ほんとになにもやってないんだけど笑 でも、なんか わたしっぽさが出るな〜と思って。 なにやってても、毎回この感じがでる。 そこから、気づいた。 あ、わたし 他のものになろうとしなくていいんだ。 ただ、自分を気持ちよくやればいいんだ っておもった。 なんかウダウダ考えちゃうときも (だいぶ

          私は私にしかなれないんだから、そのままでいい

          ただそこにある感情を味わう

          ほんとに、いろいろ出る出る小笠原滞在。 怒ったり悲しんだり心底有難かったり そのたびに大泣き(笑) そんな中で ここ最近「自分の感情を味わう」 っていうことがやっとできてきたんじゃないかなーと感じる。 いままで、悲しい不安とかの「感情を味わう」って よくわからなくてできず、 味わってるのかと思いきや ああだからダメだったんだ… とか もっと優しく言ってよ! とか これやっとけばよかった。 とか こうだったらどうしよう とか そういうものに浸ってて

          ただそこにある感情を味わう

          思考のエネルギーの使いかた

          小笠原にきてます! 今日はJAZZ FESTIVAL 、朝から晩まで太陽と音楽とみんなの愛を浴びてお肌つるつる そんな中でまた気づいたこと \瞑想ってすごい!/ フェス終わって、疲れたー!って思うと なんかどんどん疲れた感じがして ご飯食べるのも ちょっとおっくうになっちゃう。 そんなとき、瞑想してみると 自分がしっかりここにある感覚というか 自分が中心っていう感じに戻ってこれて 頭も考えが流れていったりしてスッキリ! 「あー疲れた」って 繰り返し自

          思考のエネルギーの使いかた

          常にほっくりしてればうまくいく

          なんだか、ほっくり そのときどきで 緊張したり 不安になったりすることもあるけど 喉元すぎればほっくり。 緊張するもんはするし 不安になるもんはなるもんねんっ ヨガとか瞑想してると 思考たくさん横切るな〜とは感じるんだけど すこしずつ いままで考えて考えて いらんエネルギー使ってた部分に エネルギーを割かなくなってきたかんじがある。 あーなったらどうしよう 前こんなんだったし、みたいな 過去や未来のこと考えなくなった そんで、ほっくりしてると シンプルに必要なことがわか

          常にほっくりしてればうまくいく

          過去の自分も、未来の自分も「死」んでいる。あるのは「イマ」だけ。

          はたまたハッとしたことがある。 「死」について考えていた。 嫌だな〜怖いな〜と思ってたから、何となく考えないようにしてたけど、ちょっと考えてみようと思った。恐れとか不安から気づくことって多いから。 もし半年後死ぬとわかったら、何するだろう? やりたいことやると言いつつも、まだまだ時間があるしどこかに怖さが残ると思う。 じゃあ明日死ぬとわかったら? 今ある瞬間が最後で、明日が来ないとしたら? ……あれ、こわいとか思ってるのを超えて今ある全てのことが有り難くて愛しくない

          過去の自分も、未来の自分も「死」んでいる。あるのは「イマ」だけ。

          すべては自分を救うことから。

          病気ちゃんのおかげで、自分の感情に色々名前をつけていくことができた。 今までは、 何かに追われてる感じ… 自分の意見あまり出さない方がいいのかな… なんかよくわからないものをそのままにモヤモヤしていた。 色々自分と向き合う中で 無価値感、孤独、不安、緊張、怒り、罪悪感、 ちゃんと外に出すことで認識して自分で気づいたり名前をつけていけるようになった。 そうすると、「これはこういうことなんだ!」 「じゃあ本当はどういたいんだろう?」問いが生まれて、 答えを探したり、ふとし

          すべては自分を救うことから。

          こころの矛盾に気づく

          量子力学の話で 波動の性質だった量子が、観測者(意識)が入った瞬間から 物質の性質(実体)になるっていう有名な実験がある。 これ、わたしたちにも言えることだなーと思う。 イマ自分が意識して決めたことや 在る状態の積み重ねで次の瞬間が決まる。 いま私は、この文字を打つということもできるし やめて寝るということもできる。 イマ決めたこと次第で未来が変わってくる。 なにが良い悪いとかじゃなくて ずっと絶望してる状態を積み重ねるのと、 少しずつ試行錯誤してゴキゲンな状態を積

          こころの矛盾に気づく