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#02 デンマーク③ コペンハーゲンでの“食を巡る冒険”

いま注目すべき取り組みを行っている街を訪れ、街づくりの未来を探るプロジェクト。エストニアに続いて訪れたのは、世界最先端の“食の発信地”として注目を集めるデンマーク。人々の意識を変えた、完全無農薬のオーガニック農業。そこから生まれた食文化とは?
その意外な発信源と、「ニュー・ノルディック・キュイジーヌ(新北欧料理)」最前線のレストランから、新たな潮流が見えてきます。
▶前編 ② オーガニック先進国の“食と農”の関係
▶「Field Research」記事一覧へ

ヒッピー文化、進化する島食材……フードカルチャーの背景を探る

デンマークの食事情を変えたオーガニックをめぐる意識変革。「THE INOUE BROTHERS...」のデザイナー、井上聡(いのうえ・さとる)さん(記事①参照)に導かれて訪れた先は、あの世界的レストラン「noma(ノーマ)」も信頼を寄せる、完全無農薬のオーガニック農場でした。
「このみずみずしい食材の味わいが、都市住民たちのライフスタイルを変えていった。でも、それだけじゃない」と井上さんは話します。「ここでは田舎と都市の関係は、単純に“生産地と消費地”という形には当てはまらない。これから行く場所が、何よりの証拠になると思うよ」

常識を揺さぶるもう一つの“自治国家”「クリスチャニア」

「僕のアイデンティティを語る上でも、この国の魂を感じる上でも、ここだけは行かなければ」。そう語る井上さんと訪れたその場所は、コペンハーゲン中心部に建ち並ぶ伝統的な街並みから雰囲気が一変、グラフィティアートに覆われたセルフビルド建築が建ち並ぶ、“ヒッピーの聖地”でしたーー。
東京でいえば銀座や丸の内のような都心の超一等地にありながらアナーキズム(無政府主義)のもとに自治権を主張し、“フリータウン(自由の街)”と呼ばれる「クリスチャニア(Christiania)」。その発祥は1971年、海軍の倉庫跡地をヒッピーが占拠し、子どもたちの遊び場を作ったこと。現在はレストランにパン屋や八百屋、DIY用リサイクル素材のホームセンター、公会堂やソーラー発電所など社会生活に必要な施設や、電気や水道、郵便などのインフラまでが住民たちの手で整備され、思い思いの形に建てられた住宅が豊かな自然の中に点在しています。

クリスチャニアの一角、グラフィティで埋め尽くされた建物内にはオーガニックムーブメントの先駆けとなったレストラン「Spiseloppen(スピーセロッペン)」が入居している。

規制を強めるデンマーク政府と衝突を繰り返しながらも、約1000人の住民が独自のルールのもとに合議制でコミュニティを運営。ルールの大枠は「銃などの持ち込みをはじめとする暴力の禁止」「ハードドラッグ禁止」「自動車の通行禁止」の3つのみ。既存の価値観を疑い、主体的で自由な生き方を探求する人々が築いたこの“自治国家”の空気を体験するため、世界中から年間50万人もの人々が訪れています。

井上さん「ここは子どもの頃、白人ばかりの環境で差別を受けていた僕が初めて見つけた居場所であり、自分らしく生きるために既成概念や社会の不合理と戦うことを教えてくれた場所。僕がデザインを通して社会を変えるソーシャルデザインに興味を持ったきっかけも、元をたどればここにある。異質なものを嫌う人たちはこんな場所が都心の一等地にあることが許せないようだけれど、でもオーガニックムーブメントをはじめ、クリスチャニアの精神が社会全体に大きな影響を与えているのは紛れもない事実。ヒッピーたちがもたらした思想の影響で、オーガニック素材のレストランや幼稚園などがここで初めて作られて、人々の価値観を変えていったわけだから」

グラフィティが目を惹く幼稚園では、食材や玩具に至るまでオーガニックを徹底。運河沿いにはセルフビルドの家々が点在し、都心にありながら豊かな自然を感じることができる。

島の伝統食×現代の感性で挑む食の最前線「Kadeau」

社会・経済レベルでもデンマーク全体に多大な影響を与えているオーガニックムーブメント。その原点となったのは、都心の一等地に広がる“ヒッピーの聖地”クリスチャニアだったーー。
その意外な事実に触れる体験に続いて向かったのは、「ニュー・ノルディック・キュイジーヌ(新北欧料理)」の最前線を体現するレストランとして名高い「Kadeau(カドー)」。じつは、この店のルーツはコペンハーゲンからフェリーで7時間、“バルト海の宝石”と称されるボーンホルム島にありました。

「ボーンホルム島は、豊かな自然と多様な生物相に恵まれた、日本でいえば屋久島のようなところ。その豊富な食材を余すところなく活用する知恵と新たな発想の融合を、ここでは存分に堪能できると思う」と井上さん。その言葉通り、島の食材が収められた保存瓶が棚一面に並ぶ様子は圧巻の一言。島で春から夏に獲れた海や森の恵みを燻製にしたり、酢漬けや塩漬け、乾燥や発酵を加えるなどして保存し、その滋味深さを現代の調理法によってさらに昇華する。サーモンは5日間塩漬けにしてからスモークし、イチジクの葉を添えて。キュウリの花や島で採れたガーリックプラントはアクセントに、レモンの代わりにアリで酸味を加えるなど…。驚きとクリエイティビティにあふれた料理はどれもシンプルで力強く、素直なまでに豊かな味わいにあふれていました。

客席を見渡すように設えられたオープンキッチンは、新たな北欧料理の形を追求する実験の場でもある。

“ジャガイモに豚肉”といった素朴な北欧料理のイメージを覆す、鮮やかにして奥深い味覚の冒険。「Kadeau」はその先に、どんな可能性を見据えているのでしょうか。共同創業者でヘッドシェフのニコライ・ノルガード(Nicolai Nørregaard)さんはこう語ります。

ニコライさん「ボーンホルム島は僕にとって生まれ育った故郷。小さな島だけれど、美しくて、多様で豊かな自然があって……その場所にロマンティックな思いを抱いている一人のシェフとして、ボーンホルムの食材で料理をするのは理に適ったことです。そのテロワールを料理という形で表現しようと考え、最初のお店をボーンホルムで開いたのが2007年。島の観光シーズンはとても短くて、夏の5〜6週間だけ。それ以外の期間は閑散期だし、ボーンホルムの素晴らしさを世界に伝えるような場所を作ろうと、コペンハーゲンに2軒目のレストランを出店しました。夏の間はコペンハーゲンの店はクローズして、35人いるスタッフ全員でボーンホルムへ行き、ファームハウスに泊まり込んで食材を集め、その体験や収穫をコペンハーゲンへ持ち帰るというスタイルです。ボーンホルムの食材といえばサーモンやニシン、サバなどの魚の燻製が有名ですが、僕にとって料理人としての原点は、島のスモークハウスから立ち昇る煙とその匂い。叔父が島でもいちばんシンプルで美味しいスモークを作る人で、子どもの頃はずっと一緒に過ごしていましたね。曾祖父は肉屋でしたし、母は温室でバイオダイナミックの野菜を育てていました。僕もボーンホルムの店の庭で野菜を育て始めて、いずれは乳製品も自分の手で作ってみたいと考えています。コペンハーゲンでも、新しい味覚に挑戦するためにテストキッチンを作っているところです。島での経験が素材に感謝する姿勢につながり、料理というクリエイティビティの表現につながってきたんだと思います」

井上さん「ニコライとの出会いは、ここのスタッフが僕の店『Jah Izakaya &  Sake Bar』へ来てくれたことがきっかけ。何より驚かされたのは、ボーンホルム島の食材だけでこれほどまでにストーリー性のあるフルコースを作り上げること。味噌や醤油など日本料理の知恵も好奇心旺盛にどんどん取り入れて、新しい実験や研究を重ねる一方で、その土地ならではのアイデンティティをナチュラルに体現した見事な料理を作り出している。まさにこれこそが『ニュー・ノルディック・キュイジーヌ』の真髄だと思う」

ホタテ貝の1皿は、ホタテの肝の塩漬けや干しニンジン、漬け込んで煮詰めた松の実や魚介の出汁などを合わせたもの。どの料理も素材の風味を活かしながら、繊細にして奥深い味わいを醸し出している。


→ 次回  02 デンマーク
④ 食から始まるソーシャルムーブメント


リサーチメンバー (デンマーク取材 2018. 8/15〜17)
主催
井上学、林正樹、吉川圭司、堀口裕
(NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室)
https://www.nttud.co.jp/
企画&ディレクション
渡邉康太郎、西條剛史(Takram)
ポストプロダクション & グラフィックデザイン
江夏輝重(Takram)
編集&執筆
深沢慶太(フリー編集者)


このプロジェクトについて

「新たな価値を生み出す街づくり」のために、いまできることは、なんだろう。
私たちNTT都市開発は、この問いに真摯に向き合うべく、「デザイン」を軸に社会の変化を先読みし、未来を切り拓く試みに取り組んでいます。

2018年は、いままさに注目を集めている都市や地域を訪れ、その土地固有の魅力を見つけ出す「Field Research(フィールドリサーチ)」を実施。訪問先は、“世界最先端の電子国家”ことエストニアの首都タリン、世界の“食都”と呼び声高いデンマークのコペンハーゲン、そして、アートと移住の取り組みで注目を集める徳島県神山町です。

その場所ごとの環境や文化、そこに住まう人々の息吹、地域への愛着やアイデンティティに至るまで。さまざまな角度から街の魅力を掘り下げる試みを通して、街づくりの未来を探っていきます。

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