【DINKs(ディンクス)という選択肢】
$${DINK=Dual income, no kids}$$
海外で生活していた頃に、この単語を聞いたことがあった気がする。
結婚を機に子作りについて考えることが増えた。
現在、私たちは「選択的子なし」夫婦だ。
あくまで"現在"の話で、"一生"子なしを選択したわけではない。
しかし、考えれば考えるほど、私にはディンクスという生き方が合っているのではないかと思えてならない。なぜ自分がこう思うのか、順を追って書いていくとしよう。
●生まれてきたくなかった
これまでの人生を振り返ってみても、「やっぱり生まれてきたくはなかった」と思う。自分自身がこう思っているのだから、子どもを作る気にはならない。
「幼少期の家庭環境に問題があった?」「暴力を受けていた?」「貧乏だった?」と思うかもしれない。
全てNOだ。
私は共働きの両親の元で育った。習い事も色々していたし、衣食住には困ったことはない。むしろ恵まれた環境だ。
それなのになぜ生まれてきたくなかったと思うのかー。
私の場合は、社会、地域、学校、会社、家庭、という檻の中で過ごしていると、人間という生き物が醜いと感じて苦しかった。人間が醜いと感じない檻がない。10代の頃から、世界で紛争が絶えないのもどこか納得していた。
たまたま生まれ育った、この日本という社会が私には合わなかったのかもしれない。家庭環境の要因なのか、社会的要因なのか、他の要因なのかーあらゆることが複雑に絡み合った結果、「やっぱり生まれてきたくはなかった」と漠然と思ってしまうのだろうか。
いずれにせよ、私の根底には「生まれてきたくなかった」思いがあるため、子どもを作る気にはならない。
●この日本社会で生きていかねばならい子どもが酷である
私には日本社会が合わなかったのだと思う。具体的に言うと、日本の義務教育過程が合わなかった。
小学生時代、昼休みはクラスみんなでレクリエーションをするように担任は指導した。外で遊びたい日もあれば、友達とお喋りして教室で過ごしたい日もあった私には、昼休みがちっとも休みではなかった。
勉学はわりと好きだったのでテストもよくできていたし、学校で友達と遊ぶのも好きだった。だが、どうも学校という囲われた場所が好きにはなれなかった。
中学高校と勉学を進めるうちに、日本が戦後に確立した均一で良質な人材を大量生産する義務教育過程に疑問が募った。時代にそぐわない旧態依然とした教育現場、大学に行って有名な企業に入ると立派と言われる世の中が、高校生の私をモヤモヤさせた。
私はこの日本の多様性を押さえ付ける教育、社会に子どもを放り込みたくない。きっと日本社会がアップデートされるのは10年も20年も先だろう。その頃には私もおばさんと言われる歳だー。
●どんな子どもが産まれてくるかわからない恐怖とリスク
もっと技術が進化すれば、どんな子どもが産まれてくるのか、事前にもっと把握できるときが来るのかもしれない。
"どんな子どもが産まれてくるのか”ー具体的に言うと、持病や障がいの有無だ。子どもを作るにあたってこの可能性も考えると、経済的にも精神的にも相当な覚悟が必要だ。私は正直、そんな覚悟はない。もし産まれてきた子が障がいを持った子だったとしたら、きっと私は自分も子どもも責めてしまう気がする。精神崩壊するのではないかー壊れてしまう自分を想像する。
さらに、仮に子どもが健康で五体満足であったとしても、現状の日本社会では精神疾患や引きこもりになる可能性もある。また、事故に遭い加害者にも被害者にもなり得る。それは私たち夫婦にも言えることだが、家族が増えればその可能性も高くなる。
最悪の事態しか考えない消極的人間、リスクヘッジの塊だと思ってもらっていい。ただ、子どもを作ることは、人生最大の賭けなのではなかろうかー。子どもが欲しいというのは、親のエゴに過ぎないのではないか。親を扶養する義務ー子どもに老後を見てもらうことも、親のエゴで生まれてきた子どもに与えたくないと思ってしまう。
●自分のために人生の時間を使いたい
これは、「生まれてきたくなかった」から繋がることなのだが、自分のために人生の時間を使いたい。
生まれてきてしまったら仕方ないと思う。であれば、自分にとことん幸せになってもらおうではないか。もしも子どもを作ることがその人にとって最大の幸せなら子どもを作るといいのではないかと思うが、私の幸せは、子どもがいることではなさそうだ。
今はまだ思わないが「生きてて楽しい」と、いつか感じることができることを願って、見たいものを見て、食べたい物を食べ、自分の人生、もっとわがままに生きたいと思う。
●まとめ
多様な考えを受け入れ合い議論をしやすい社会になることを願って、私は自分の考えをオープンにした。批判や誹謗ではなく、一考えとして人々が捉えることのできる社会になってほしい。
私は普通の家庭環境で育ったのに、社会生活も普通に送れているのに、このような考えを持つ自分が不思議でならないし怖くもある。
医療技術も進歩し、食生活も向上、ライフラインもあり平和で衣食住に困らないこの日本で、なぜ人口減少や自殺者数が増加するのか。
私がディンクスを選択したいと思ったことと紐づいている気がしてならない。
今は(もしからしたら一生)子どもは生みたいと思わなかもしれないが、子どもを育てたいと思ったら、今ある命を救いたい(孤児を養子にすることも検討したい)と考えている。
余談
面白いことに、ディンクスについての海外の記事を読んでいると、教育も十分に受けてきて恵まれた環境で育っていても、ディンクスという選択をする人が一定数いるということがわかっている。これについてはここでは語らず、改めて記事にしてみたいと思う。
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