カナオカ

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父の面影を追って ~夏のすやぷか考~

気が付けば、2022年の年末になっていた。 年内に清算したい感情は、下記の文章だ。 夏の愛媛での書きかけの文章は気が付けば冬、仙台でまとめることになった。 本当はケリをつけたくない感情もあるのだろう。 だらだらと過去の感情はそのままに、言語化を挟み、意味づけなどしてたまるものか。 来年には持ち込まない、つもりのものを、誤字脱字はそのままに。 年末に急いで加筆訂正します。 あと書き始めのレポート的な、第三者じみた文体が気持ち悪いので、途中で常体敬体文語口語ぐちゃぐちゃです。

    • 「8時間も時差あったら向こうはティータイムよ」

      仲の良い友人は、大切にしたい話は、直接話をしてくれる。 広島出張中のワタシに、わざわざ、 「広島なんて、お前がいないと行かないから会いにいくわ。」 と、有給休暇まで使って遊びに来てくれた。 八丁堀の広島風お好み焼きを食べながら、思いついたように軽く、 「そういえば、別れるかもしれない。」とレモンサワーを飲んでいた。 わざわざ、新幹線で4時間かけて、伝えてくれる嬉しさと、それに少しは返答しなければならない厄介さで、瓶ビールを飲んだ。 大学1年生の語学の授業で出会った2人。 ひ

      • 「消費者金融にでも行って、金借りて来いよ」

        愛さえあれば上手くいく。愛さえあれば。 会社同僚の彼氏は、同棲の家賃を払ってくれないらしい。 名も知らぬ彼の話で、同僚とたまに話が盛り上がった。 「私が出張中で住んでもいない家の家賃を、私が全額払っているの信じられない。」 らしい。会社員の彼女と、フリーターバンドマンの彼氏、のカップル。 彼女は出張中で、東京の同棲中の家にはなかなか帰れない。 東京都大田区2DK家賃10万円。20代サラリーマンの彼女が毎月ひとりで払い続けるのは苦しい額面。 「家賃は折半にしようね。俺はア

        • べつのわたしをさがして

          仙台は松島。 どの島も同じじゃないけど、同じに見える。 前提知識なしに、観光地に来ると、ただ景色を楽しむ人になる。 遊覧船は日差しがちょうどよくて、ぽかぽか眠かった。 周りを見ても同じように寝ちゃっている人がいた。 あったかい日はいいね。 大事な考え事は夜じゃなくて昼間にしたい。 何気なく入った仙台の図書館で、別のワタシのことを考える。 旅人で各地に偏在するのは、天邪鬼で、それぞれの地での仲間たちとは長くはいられない。 あのとき、環境を変えることをしなけば。 まだいっしょ

        父の面影を追って ~夏のすやぷか考~

          懐かしさに頼りたくない

          2年後に仕事を辞めたい。 そう思うと2年前のことを写真で再確認して、この日まで戻るくらいまでは頑張れば良いのかと耐えている。 耐えている、というのは我慢するくらいならさっさと辞めてやりたいという気持ちもあるのだが、実はそんなに今すぐ辞めなければならない程限界という訳でもない。 いつからこんなにも日々は"程々"でつまらなく、それぞれのコミュニケーションを愛せなくなったのだろう。 泣くほど悔しいことも、死ぬくらい疲れることも、あんまり無い。拠り所の無い出張先でひたすらに次の

          懐かしさに頼りたくない

          西武新宿線で泣いていたあの子は。

          東京の電車でよく泣く男の子。 山手線、カラオケ夜勤バイトの後、どうしようもなくなり昼まで何週もして泣いた。 東海道線、人の多さと悪意に負けて帰宅できなくなり、神戸の友人に鈍行で行った。品川から乗った鈍行下りでも泣いた。 西武新宿線、家に帰る下り電車も、大学に通う上り電車も、泣いた。 自分じゃどうしようもないことが重なると、無力感と孤独感ですぐに泣いてしまう。 自分じゃ前に一歩も進めないのに、乗ってしまった電車は動いていくままだ。 もう進めない。進み続ける電車でなみだ。 学

          西武新宿線で泣いていたあの子は。

          好きな人にだけ会いたい

          無駄な駆け引きをやめたい。好きかもしれない人/かつて好きだった人に、会いに行って、「やっぱり今は好きじゃなかったな」と確認する作業を本当はやめたい。もしかしたら、今会ったら当時よりも好きかもしれない、という淡い期待は全て捨ててよ。 過去の好意を超えることはできない。昔好きだった人に会うことで当時のドキドキやワクワクは再現できない。「わたし、あの時本当はちょっと好きだったよ。」は訪れない。過去形の好意は、現在形ではただの思い出話にしかなれない。全ての映画がシーズン2が初代を超

          好きな人にだけ会いたい

          全部梅雨のせいにして

          季節のせいにしたい。情緒の乱れも、美味しいと思えないご飯も、クソつまんないやりとりも、不意に連絡を取っちゃうあの人のも、どうでもいいことをどうでもいいと言えない空気感も、全部わたしとあなた以外の責任にしたい。 責任を引き受ける梅雨も大変なもんだ。 洗濯物が乾かないと思えば、翌日にはカラッと晴れたりしやがる。俺様以上に不安定なやつめ。 元来、季節のせいにして寂しさを受け入れてきた。虚無感で死ぬほどバイトしたのが去年、誰かのせいにして全てを投げ合ったのが一昨年、自己嫌悪と破

          全部梅雨のせいにして

          どこまでも行けるはず

          朝6時代の西武新宿線の下り電車急行が、拝島ライナーの車両であることを知っているか。 ただの急行なのに、いつものゲロ運び列車とは違い、拝島ライナーの車両を下りの奥まで運ぶために。ゆったりシート肘掛もあって。夜勤明け帰宅に向けて。 思えば地上を走る電車には親しみがない。札幌市の中での移動の18年間は、地下鉄に揺られる毎日であった。 人生初の高田馬場は、忘れもしないあの12月11日。泣きながら山手線を降り、西武新宿線のホームに間違えた。東西線で早稲田に向かいたいのに。電車は地

          どこまでも行けるはず

          眠剤はもう無い

          悲しみがオーバードーズを持ってきたあの日は、悲しみが悲しみとしてやってきた。 悲しみはときに体調不良と仲良しで、悲しいのかツライのかダルいのか分からないまま連れてくる。 歯茎の痛みが笑えない。痛さがステキに朗らかに嬉しく伝わらない。 吐き気に効果音は無く、ゲロゲロしてくれない、ただ不愉快だけが真っ直ぐ傷つける。 来てくれるなシンギュラリティ。AIが仕事を奪い行く中、豊かに暮らすとは、つくる、というらしい。生産的活動を自律の中でやっていくことが、グローバルリーダーになると

          眠剤はもう無い

          おやすみも言えなくて

          急激に大きな不安に襲われる夜は、大体脳と身体の疲労度が一致していない。 1人で泣いてしまう程明確な悲しみを持っていないがために、気持ちはどこにも発散されず暗い部屋の天井にも届かない。 寝てしまえばこのいっときの苦しみは、明日の健康的な生活に影響しない。 どうか少しだけでも良いから寝させてくれやしないか。 ツラさばかりが増えてしまえ、また眠剤と精神科の季節だ。前向きに豊かに次へと進めない雨の時期は、僕には味方しない。 何もできない。 悲しさが勝つような季節はもう来な

          おやすみも言えなくて

          ワンルーム 5.7万円は夜

          熱がある。明らかに発熱。部屋の電気は消して、一度寝てまた起きたのが今24時。近くに体温計は無く、本当に発熱しているかは分からない。 久しぶりに(久しぶりというのは立場よらず純粋な意味でのあ久しぶりに)めちゃくちゃ良い稽古ができた。と思っている、僕は。僕以外は今日の稽古はゴミクソ回で正直あの人らの稽古場なんかもう行きたくないなと思っているかもしれない。 稽古場の鍵をインフォに返したあたりからどうにもこうにも体調が良く無い。 早く1人になって寝たいなと思うような帰り道。1人

          ワンルーム 5.7万円は夜

          被災者じゃなかったとしても

          お騒がせしまして、メンタルが死んでいた先週だかいつだかに、どうにもこうにも考えたくもない事案が起きまして、実家がニュースに取り上げられるような被災地へとかしました。 アレが起きてから、ずっと考えていたことは「ぼくは被災者なのか」ということです。間違いなく僕の実家のお友達は被災地にいて、気持ち的に被災者という感じまでは無いにしても、生活が大きく変わってしまった部分もあることでしょう。 僕は、こんなに、勝手に悲しい気持ちになっていいのか、という話があります。 地元の人たち

          被災者じゃなかったとしても

          帰る場所なんて無い

          ただいま東伏見。 もう二度と東伏見なんか帰ってこないと思ってたよ。なーんて嘘だけど。 小学校の頃の人たち、と、会う機会が札幌であって。今の僕はあんまり受け入れてもらえないような気がして。お互いあの頃のままなんかじゃないのに、あの頃のままいるふりをしたり、あの頃とは変わったようなふりをしたり。僕はホントは変わったのかな。 札幌にいた頃の自分、は、確かにこんな髪でもなかったし、もっと楽しげに健やかに生きていたような気もするし。だけれども、あの頃の僕しか受け入れてくれないよう

          帰る場所なんて無い

          「火曜5限のときの僕、は、多文化共生できていたか。」

          このnoteは火曜5限の期末エッセイそのものです。あんまり適切じゃない文章もあります。色んな意味で、適切じゃないです。こんなのを期末レポートといか、期末エッセイとして受け取ってくれた先生本当にありがとう。唯一の救いでした。 ――――――――――――― やっぱり、多文化共生とは、「みんなが直感的になんとなくでいいから、いいなと思えている状態」だと定義付けたい。僕は多文化共生が好きだし、この半期の火曜5限のおかげで多文化共生っていいなって思えるようになったから、僕の好きな状態

          「火曜5限のときの僕、は、多文化共生できていたか。」

          忘れていようこのまま

          「忘れていたこと。忘れちゃいけないこと。思い出さなきゃいけないこと。これから思い出すこと。」 その書き出しで、インスタのポストを書いたのは一年以上前のことだ。 あのときは今以上に寂しかったと思う。友達なんてできなかったし、東京に来たばかりで色んなことに馴染めていなかった。それだからこそ目の前の 全行審査 札幌帰省に胸を踊らせ それだけを頼りに生活をしていた。 演劇サークルに入る前の話で、大真面目に死にたくて、大真面目に悲しかった。 あの思いを鮮明に思い出すことはできない

          忘れていようこのまま