眠剤はもう無い
悲しみがオーバードーズを持ってきたあの日は、悲しみが悲しみとしてやってきた。
悲しみはときに体調不良と仲良しで、悲しいのかツライのかダルいのか分からないまま連れてくる。
歯茎の痛みが笑えない。痛さがステキに朗らかに嬉しく伝わらない。
吐き気に効果音は無く、ゲロゲロしてくれない、ただ不愉快だけが真っ直ぐ傷つける。
来てくれるなシンギュラリティ。AIが仕事を奪い行く中、豊かに暮らすとは、つくる、というらしい。生産的活動を自律の中でやっていくことが、グローバルリーダーになるということなのらしい。
そんなことはいいから、まずは明日精一杯生きていてもいいだろうか。
全部季節のせいにして、長い長い5月病にのせいにして、不幸なフリでもしていようか。全部季節のせいだ。真っ当に生きてなんかやらない。
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