被災者じゃなかったとしても
お騒がせしまして、メンタルが死んでいた先週だかいつだかに、どうにもこうにも考えたくもない事案が起きまして、実家がニュースに取り上げられるような被災地へとかしました。
アレが起きてから、ずっと考えていたことは「ぼくは被災者なのか」ということです。間違いなく僕の実家のお友達は被災地にいて、気持ち的に被災者という感じまでは無いにしても、生活が大きく変わってしまった部分もあることでしょう。
僕は、こんなに、勝手に悲しい気持ちになっていいのか、という話があります。
地元の人たち同士のSNSでのやり取りの中には、「あそこのローソンはめちゃくちゃ並んでたよ〜〜」とか「アレは役立つよ〜〜」とかがやりとりとして流れている一方、同じSNSでも一方的に発信される感情的なものは、停電が怖い水がない生活の恐ろしさのようなものが並んでいたように感じます。
僕なんかの、悲しさよりも、もっともっとずっと本人たちは悲しいのだろうな。僕ぐらいは元気な姿を見せていた方が良いのだろうな。
地震当日。ハケ裏で、仕掛けのプリセットをするためにロープを片手にスマホで受けた母からの電話。停電と断水と、そこで、確かに生きる、人、よりも、僕の方が全然悲しくなんかないんだ。
いっそ、僕を巻き込んでそのまま全部無くなってくれればいいのにな、なんて思ってないよ。思ってないよ。思ってないよ。思ってないよ。
大きく被災されて生活が変わった人たちの悲しいもあれば、生活は変わらないのに悲しいこともあります。
ぼくは被災者じゃないです。
苦しいこともあるだろさ
悲しいこともあるだろさ
だけど僕らはくじけない
泣くのは嫌だ笑っちゃおう
進め
ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島
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