「火曜5限のときの僕、は、多文化共生できていたか。」

このnoteは火曜5限の期末エッセイそのものです。あんまり適切じゃない文章もあります。色んな意味で、適切じゃないです。こんなのを期末レポートといか、期末エッセイとして受け取ってくれた先生本当にありがとう。唯一の救いでした。

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やっぱり、多文化共生とは、「みんなが直感的になんとなくでいいから、いいなと思えている状態」だと定義付けたい。僕は多文化共生が好きだし、この半期の火曜5限のおかげで多文化共生っていいなって思えるようになったから、僕の好きな状態が多文化共生である状態なら、少なくとも僕は幸せだから。でも、僕だけじゃなくでもみんなも幸せだな思っている状態にしていかななければならない。


 この定義における「みんな」とはどのようことを指すのか、ということが重要である。理想は世界中の人間全てが、「みんな」であり、世界中の全ての人が幸せなだなと感じることなんだろうけど、アフリカの飢餓に苦しむ子供たちを僕が直接的に嫌な思いをさせているとは思えない、ホントは環境問題の意識の低さとかで傷つけてしまっているのかもしれないけど、まあ置いといて。「みんな」というのは、僕の直接会える人とその人が直接会える人、ぐらいのことな気がしている。バイトのみんな、家族、同じサークルの同期、次スタッフで入るお芝居の人たち、火曜5限のグループの人たち、フランス語再履修の仲間たち、と僕にとってのみんなはたくさんのコミュニティのなかにいる人たちで、僕もたくさんのコミュニティの一員である。そのみんなが、そのコミュニティにいるときに幸せを感じる、とはいかないまでも嫌な思いをしないぐらいを目指していけばいいんじゃないだろうか。「火曜5限のグループのときの自分」が「1時間にはカラオケ店でバイトしている自分」になることはよくあることで、コミュニティが違えば人との接し方も柔軟に変えている。それは同時に、同じようにバイトをしている仲間が1時間前には「学校から電車に乗っていたときのあの人」だったかもしれないし「掛け持ちの別のバイト先でバイトしてたあの人」だったかもしれない、ということでもある。しかし、そんなことは関係なくその日はバイトをしなきゃいけないのである。


 「火曜5限」というみんなの中でも、「バイト先」のみんなの中でも、「演劇サークルの稽古場」のみんなのなかでも、なんとか幸せに傷付くことなくやっていきたい。どうでもいい誰かの言葉になんか傷つきたくないし、誰のことも傷つけたくない。


 5月22日の火曜5限、どんな授業だったはもう忘れたけど、この回には出席した。5月21日まで僕は所属団体の新歓公演のため早稲田小劇場どらま館に小屋入りをしていた。舞台監督の仕事の初チーフの現場でめちゃくちゃに疲れた小屋入りだった。21日の夜に打ち上げがあって終電で帰って火曜1限のフランス語再履に出ようと考えていた。しかし行けなかった。多分とても疲れていて、大きなお仕事が終わった解放感と虚無感でもうどうしようもない気持ちだった。サークルの同期のあんまり好みじゃないお芝居の舞台監督をやってイライラしちゃったし、舞台監督としてちゃんとお芝居に向き合えてないなって悲しくて、それでいて責任は重くて、劇場管理さんには怒られたし、好きな人には想いを伝えられないし、もう、どうしようもない気分であった。気が付けば、講義の3限をサボって、東京タワーに上っていた。東京の町は小さかった。つらかった毎日も小さく感じた。そういうつらさと悲しさと少しの勇気の気持ちで、火曜5限に出た。


ということを火曜5限のみんなは知らない。なんとなくとても苦しくて悲しくてやるせない思いの中、東京タワーから授業に来ている、ということは知らなくていい。


同じコミュニティいるよく会うようなみんなが、今日会う前にどんなことがあって、どんな思いで来ているのかは、たいていの場合分からない。だからこそ、傷つけてしまうこともあるのかもしれない。けれども、相手が伝えようと話そうとしてくれない限り、相手のことは、「みんな」のことは分からない。


だからこそ、多文化共生が必要なのである。そのためには、想像力と否定しないことが必要である。


今自分が相手に関して知っている範囲の中でいいから、「これを言ったら傷つけてしまうんじゃないか」という想像力を大切にすること。相手のつらい嫌だという気持ちや言葉を否定しないこと、これれを大切にしていきたい。「つらい」「嫌だ」という発信を否定してはいけない。つらいときにはつらいといえる「みんな」でありたい。


今期は本当に授業に出席できなかった。やるせなくなって東京タワーから授業に向かったり、稽古場の雰囲気が耐えられなくなって稽古と授業をサボって鈍行で神戸に行ったり、鬱々とした気分から抜け出せなくなりこころの相談室でお医者さんに睡眠薬をもらったりして、とにかく授業には行けなかった。けれども火曜5限には行けた。行けなかった回もあるけど。それはなんとなく、授業のテーマの影響か、自分の苦しさとか嫌な気持ち学校にいけないこととかを、否定はされないような気がしていたからかもしれない。


自分がこんなことで悩んでいてツライのだと周りに伝えて知ってもらう必要は無い。知ってほしい思いを、知ってほしい人に伝えればいい。自分がツライときのために、誰かの苦しい思いをたまに聞いてあげるくらいでいい。
ところで、火曜5限のときの僕は、僕の定義するところの多文化共生に向かっていただろうか。みんなのうちの誰かを、もしくはみんなを、嫌な気持ちにしてしまっていたのではないだろうか。


だとしても、この「みんな」がまた「みんな」として同じコミュニティを共有することはもうない。半期限りの終わりのあるコミュニティだから。区切りの無いコミュニティだとしても、どうしても嫌な「みんな」だとするなら逃げてしまえばいい。考え方や行動の仕方がどうしても合わない人もいるだろう。相手のことを否定して、否定され傷つく前に逃げることも重要かもしれない。多文化共生しなきゃ、みんなとなんとなく幸せにならなきゃ、と思うことは無い。逃げられるような小さな「みんな」なら、多文化共生を諦めて逃げても良い。また新しい「みんな」と多文化共生を目指せばいい。それくらいの軽い気持ちで、みんなの幸せに向かえればいいのにな。

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