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父の面影を追って ~夏のすやぷか考~

気が付けば、2022年の年末になっていた。
年内に清算したい感情は、下記の文章だ。
夏の愛媛での書きかけの文章は気が付けば冬、仙台でまとめることになった。
本当はケリをつけたくない感情もあるのだろう。
だらだらと過去の感情はそのままに、言語化を挟み、意味づけなどしてたまるものか。
来年には持ち込まない、つもりのものを、誤字脱字はそのままに。
年末に急いで加筆訂正します。
あと書き始めのレポート的な、第三者じみた文体が気持ち悪いので、途中で常体敬体文語口語ぐちゃぐちゃです。



うみ 「母さんたちの旅行、のこと知れば、お父さんのこと、分
かるかな、みたいな。」

金岡大樹 2019 ”すやすやぷかぷか目覚めて起きてそのまま寝てればどんなに楽か”

 自分がどこからきたのか、そして自分はどう行くのか、そんなことを気にしてばかりの人生だったように思う。

 劇作家(というほど頑張れていたわけではないのだが)金岡大樹(筆者自身)は、それぞれの地域に生活者の面影と過去を見出し、自身のことを顧みるということが多い。
 上記の引用は、2019秋研(1)「すやぷか」からだ。母親・ふゆこ(演=八ヲ櫻子)の25年前の大学卒業旅行を旅行記を元に振りかえる娘・うみ(=秋葉彩弓)。うみは、行方しらずの父親のことを知りたがる。ふゆこの25年前の大学卒業旅行は、はるか(=白鳥悠香)、なつき(=田村梨奈)の3名で日本各地を思うがままにめぐる。その旅行には実は、ふゆこの彼氏・あきと(=坂井治樹)が内緒で同行しており、そのことをふゆこは隠している。25年後、ふゆことうみの母娘の家族旅行は奇妙にもかつての「卒業旅行」のルートを辿っていくことになる。うみは、母の当時の彼氏・あきとのことを自身の父親だと推察し、母であるふゆこに迫っていく。


(撮影 コトデラシオン様)

 自分の親が、いったい何者で、どのような場所で生活をしていたのか、それに思いを馳せることは自身の立ち位置を再度補強ないし揺るがすことになる。

筆者自身にとっての、揺らぎの場所は、愛媛県松山市であった。

 高校生の夏、父親が離れて暮らすことになった。父が前職から退職して半年ほど経ったある日のことだ。「お父さん、愛媛に行くことになったから。大阪の会社に転職するんだって。」母から事後報告的に伝えられた。思えば、父とのコミュ二ケーションは上手くいっていなかった。気が付いたら仕事を辞めて家にいるようになったし、知らないうちに家からいなくなっていた。もちろんそんなことはなく思春期の中高生とその親の問題だったかもしれないが、両親は夫婦の話合いの結果だけを筆者に伝えていた。
 父との関係は、彼の「勝手に仕事を変えて、家族と離れて暮らすことにした」以来、微妙なままだった。

 多感で思春期だったあの日以来、何の相談もなく松山に行ってしまった父親のことをなんとなく許せないままでいた。

 社会人2年目で筆者は広島に4か月間の出張に来ていた。広島から松山まではフェリーで片道3時間。松山という街にはいまだに少しだけ心残りがあった。


(以下 加筆) (文体が大きく変わります)


広島にいるから松山に旅行してみる、という連絡を父にいれることはできた。父が住んでいたまちを見てみたかった、という旨には触れることはできない。

松山駅から徒歩15分、彼の住んでいたアパートがあった。

自分の人生を生きるため、家族との生活には一時的な見切りをつけて、住んでいたアパート。1人で住むには、手ごろな、小さな一室に見えた。
かつて父が住んでいた部屋には、今は別の住人の面影が見える。
外から見える洗濯物、遠目に見える玄関先の自転車。
明らかに観光地ではない住宅街の他人の生活を覗くときの不安感がこみ上げてきた。不審者になっていることは間違いない。けれど、もっと父の過去の生活の様態が知りたい。私を置いて、母を置いて、単身赴任に望んで出て行った彼の面影を。もっとアパートに近づいた、かつての父の部屋、玄関扉の上のメーターは回っている、中の足音まで聞こえる近さ。周囲に見られたとき、現在の住人が出てきたときの対応策は思いついてない。

うみ「あきとさんって、お父さん?」

ああ、いなくなったはず、の父の生活と面影を追って、私は、ここまできてしまった。学生時代の演劇創作はすべて”父性の不在”と”ともなう三角関係”に依存してきた。思春期に抱えていたその不安と葛藤をここまで肥大化させて、ついに父親のアパートまで来てしまった。怖くなって走るようにその場を立ち去った。

かつての父のアパートから3分、近くに郊外型のドラッグストアがあった。暑い夏の、父の好みだった、アイス、チョコモナカジャンボを買った。父も同じように、ここで、アイスを買ったことがあるのだろうか。

父の面影を辿ったからといって、何もわからなかった。
なぜ、父は一人暮らしを選んだのか。なぜ、家族に金銭的援助はできなかったのか。母との話合いはどこでこじれて、わたしに伝わらなかったのか。
答えがあるはずもなく、松山まで来てしまった。

夏の松山も、「すやぷか」同様、海で終わる。

松山港の海

ふゆこ「なんか、この海はずっと思い出かな、言ったことあったでしょ、忘れられない海がるよって。うみ、って名前、別にここの海のことだけじゃないけどね。」
うみ「誰がつけたの?お父さん?」
ふゆこ「いや、わたしわたし、あの日以来さ、色々あったときは、とりあえず海みたいなって思うことにしてるよ。」
うみ「結局さ、お父さんって、あきと、さん?」

「すやぷか」の中での父親は不明のまま、そこで語りは終わる。
主人公「うみ」がこだわり続けた父親の問題は、不在の強化(結局語られない)をもって無視されて終わる。
執筆当時もいまも、父性は不在のままでよい、と思っている。

瀬戸内海の海は、向こう岸の島々がたくさんあって、波は穏やかで、ずっと続けばいいな、という落ち着く海だった。
父は何を思って、ここにいたのだろうか。

そういう話をできる関係にいつかなれたらいいな。

(1) 舞台美術研究会秋季研究会公演 2019年度は”すやすやぷかぷか目覚めて起きて そのまま寝てればどんなに楽か”(作 金岡大樹) 


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