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「我思う、ゆえに我あり」はいかにして綴られたか(伊藤玲阿奈)

指揮者・伊藤玲阿奈「ニューヨークの書斎から」第3回
Discours de la Méthode” by René Descartes
方法序説』(岩波文庫) 著:ルネ・デカルト 訳:谷川多佳子
岩波書店 1997年7月

時は16~17世紀、日本では戦国時代から江戸時代初期にかけてのことである。

1510年(論文出版は1543年)にコペルニクスが地動説を初めて公にしてからというもの、ヨーロッパ人がこの世界の仕組みについて再考を迫られたのは改めて説明するまでもないが、それは知識を獲得するという行為、すなわち学問の方法においても同じであった。

それまでは天動説によって、神による天地創造の過程で最後に創られた人間は、他のあらゆる被創造物の魂よりも上位であり、かつ宇宙の中心である地球に存在することから、特権的な精神と位置をもって世界を見渡せるものとされていた。つまり、人間がこの世界に関する客観的な知識を持てることに、ごく一部の懐疑論者を除き、疑問を抱かなかったのである。

しかし、ガリレオケプラーなどの努力によってコペルニクスの説が実証されると、その常識も脅かされることになった。地動説を擁護して火刑となったブルーノが「無限宇宙」を唱えたように、人間は宇宙の中心に存在している訳ではなく、果てしない宇宙空間のごく一部で活動するに過ぎないという考え方が現実味を増したからである。

この新しい考え方のもとでは、人間は特権的な精神も位置も持っていないことになり、ちっぽけな人間が無限に広がっている世界について確実に説明するなど、本当に可能なのかという不安が湧いてくる。言い換えれば、哲学や科学といった学問、すなわち客観的な知識を得る行為の根拠が、実のところ薄弱だということに気づき始めたということだ。

時代は、確実な知識を得るための“根拠”と“方法”について、新しい思潮に合致するものを求めていたのである。

それまでに盛んだった学問の方法は「スコラ学」と呼ばれ、その根拠をキリスト教と古代ギリシャ哲学の権威に求めたものだった。大まかに言えば、ある現象について研究する場合、聖書や教皇書簡、アリストテレスの著作などと照らし合わせ、矛盾なく説明できるものを正しいとみなすというものだ。

たとえば天動説の場合、旧約聖書におけるヨシュア記第10章に「日はとどまり、月は動きをやめた」という一節があることが証拠の一つとされた。スコラ学をみっちり修め、宗教改革を始めたルターなどは聖書原理主義であったこともあり、コペルニクスを極めて口汚く罵ったほどだ。

さて、そんな状況を最もラディカルな形で転換させ、まったく新しい学問の“根拠”と“方法”を打ち立てた哲学者――それがルネ・デカルト(1596~1650)である

今回は、彼の主著であり、有名な「我思う、ゆえに我あり」の一節が登場する『方法序説』を紹介する。

若きデカルトが抱いた基礎教養への懐疑心

方法序説』とは、そのタイトルが示す通り、スコラ学に代わる学問の“方法”について、“根拠”を交えて説いたものである。必然的に、それまでのキリスト教神学から距離を置くスタンスとなるので、ブルーノの二の舞を怖れ、初版は偽名で出された。

現在、『方法序説』とされるのは100ページに満たない小著であるが、初版では、自ら考案した“方法”を適用して書いた光学・気象学・幾何学の学術論文が続いており、「序説」は、その新しい方法論を世に説明する役割を担う部分だった。それが後世、独立した哲学書として受容されるようになり、現在に至っている。

まずは、本書を面白くしている形式上の特徴から始めよう。

方法序説』は、デカルトが自身の来し方を振り返りつつ、どのようにして新しい“根拠”と“方法”へとたどり着いたのか、その過程が物語のように述べられるという、一種の自叙伝のような形式がとられていて、私たちが本書を楽しむうえで重要な要素となっている。

ひとつ例を引こう。

デカルトにしても、学問的な訓練は幼少時からスコラ学によって行われた。しかし、彼の時代にその根拠が弱くなってしまい、「何が確実な知識なのか?」という不安に変化したことは、先に述べた通りだ。その不安に悩んだ若かりし頃を、彼は次のように回想する。

終了すれば学者の列に加えられる習わしとなっている学業の全課程を終えるや、(中略)多くの疑いと誤りに悩まされている自分に気がつき、勉学に努めながらもますます自分の無知を知らされたという以外、得ることがなかったように思えた(中略)しかも、わたしがいたのはヨーロッパでもっとも有名な学校の一つで、地上のどこかに学識ある人びとがいるとすれば、この学校にこそいるはずだとわたしは思っていた。(『方法序説』第1部)

いかがだろう。自分の基礎教養への信頼が揺らぐ青年の悩みが、率直に伝わらないだろうか。この、およそ哲学書らしからぬ素直な“自分語り”によって、私たちはデカルトの半生を追体験するような感覚で読める。

くわえて、この悩める青年が長じて新しい学問の常識を打ち立てるまでの道のり、その思索のプロセスが描かれているから、このことを時代背景も含めてあらかじめ知っておくと、本書は俄然面白くなるというわけだ。

「我思う」にまつわる革新的な思考展開

それでは、内容に移ってみよう。

方法序説』は6つの部分(章)に分かれており、このうち核となるのは、確実な知識を得るための新しい“方法”を記した第2部と、“根拠”について語る第4部である。

順序は前後するが、第4部の“根拠”から見てみることにする。スコラ学の根拠であるキリスト教神学の代わりに、デカルトはどのような根拠を据え、この広大無辺の宇宙における現象について確実な知が得られると考えたのか。

彼は、「方法的懐疑」という独創的なやり方で、それを探求する。少しでも確実でないと思ったら、それを排除していくのである。

当時わたしは、ただ真理の探求にのみ携わりたいと望んでいたので、(中略)ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない、と考えた。(第4部)

こうして確実な根拠を求めるデカルトは、人によって違う感覚を疑い、自身が愛してやまない幾何学(数学)を疑い、さらには、起きている時に持つ思考さえ夢かもしれないと徹底して疑った。

この方法的懐疑の果てに、彼が絶対に疑いえないものとして気付いたのが、例の「我思う、ゆえに我あり」である。この名高い一節はここで登場する。

「わたしは考える、ゆえに私は存在する」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。(第4部)

遂に、デカルトは新しい“根拠”を宣言したのである。これがあまりにも説得力を持っていたため、以降の西洋哲学は、彼によって確実な根拠とされた「我思う」、すなわち人間の精神活動(意識)を分析することで、どのようにこの世界の知識を正確に得ることができるのか(=主観と客観が一致するのか)というテーマを追求する「認識論」が中心となる。その傾向は、20世紀はじめにウィトゲンシュタインらの論理実証主義が出るまで続いたので、「近代哲学の父」というデカルトへの称号は伊達ではない。

つづいて、この宣言の後、物心二元論と呼ばれる興味深い考えが披露される。彼は、この世すべての存在物を「精神(または魂・心とも)」と「物質(または身体)」の二つに分けてしまう。この二元論自体は古代から見られるものだが、デカルトは、この基本形をいくつかの独創的な主張で彩った。

そんな主張の一つが、物質の世界(=自然界)は数学的・力学的な法則で支配される機械であって、機械である以上はすべてが解明されうる、というものだ。彼は、動植物さえ精神がないという理由で単なる機械とみなした。そして、人間については精神があるので単なる機械ではないが、私たちの身体そのものは機械であると言う。

突拍子もない考えに聞こえるけれども、世界は科学的な法則で貫かれていると考える現在の一般的な思考習慣につながるもので、今から400年近くも前にこんな主張をしたのは、実はとんでもなく革新的であることを理解せねばならない。ちなみに、この機械論は第5部で詳しく語られており、その尖った主張を味わえる。

第4部の続きに戻ろう。この二元論に言及したあと、さらに驚くべき展開が待っている。自然界を単なる機械だと言って憚らないこの哲学者は、なんと神の存在証明を始め、それを章末まで続けるのである。

つまり、デカルトは無神論者でも通りそうなものだが、実はまったく逆で、スコラ学のようにキリスト教義に依拠することは放棄しても、神そのものに依拠することはやめなかったということだ。具体的には、「我思う」という“根拠”を究極的に保証してくれるのは、「我」を創造した神だと考えたから、彼は一生懸命にその存在証明を試みたのである。その論証は非常にアクロバティックで、私など、そこまで神に対して情熱を傾けた彼の心理を知りたくなってしまうほどだ。

いずれにしても、この第4部は歴史を変えた思考の貴重なドキュメントであり、『方法序説』の白眉となっている。

現代の“常識”に通じる「四つの規則」

それでは、スコラ学に代わる新しい学問の“方法”はどのようなものだろうか。こちらは「我思う」よりも遥か若い時分に確立させていたため、第2部に書かれている。

ここでデカルトは「四つの規則」を“方法”として打ち出しており、これを私なりに要約すれば次のようになる。

(1)明証性の規則:速断と偏見を避け、明らかに真であるものだけを受け入れる。
(2)分析の規則:全体をなるべく多く、問題を解くのに必要なだけ細かく分けて考える。
(3)総合の規則:単純で小さいものから始め、少しずつ複雑で大きなものへと進む。
(4)枚挙の規則:すべての必要事項を枚挙できたか、見落としがなかったかを確かめる。

今の私たちにとって、この規則自体に驚きや発見はない。おそらく大半の方は納得されるか、当たり前のように感じることだろう。しかし、それは裏を返すと、デカルトが苦心して案出した“新しい方法”が、現在では“常識”として根付いているからである。実際、この規則は科学的な思考法のルーツとなって、近代文明を支えることになったものだ。

この点は本書を読むうえで特に注意しておきたい。なぜなら、今の私たちを縛っている常識について、その発生過程を伺うことが出来るうえに、同時に現在の私たちが抱えている問題点さえも考えさせてくれることを意味するからだ。

たとえば、大学の同じ学部、同じ学科であっても、となりの部屋でやっている研究についてチンプンカンプンという現象。

ある学者はバッハが活躍した地域の古文書を入手しうる限り研究して、彼の足取りを追おうとし、ある学者はバッハによる自筆楽譜の紙質を科学的に測定し、年代などを割り出すことで、ある楽曲の作曲年代を特定しようとする。それぞれの学者がそれなりに専門知識を持っていなくてはならず、部外者はうかつに手を出せない。

昨今、専門分野がどんどん細分化しているのだが、これは明らかにデカルトの「分析の規則」に起源をもつ。しかし、細分化したからといって、バッハの真実に近づき、聴衆の感動に結びついているかと言われれば、そこに疑問符を付ける方も多いだろう。あなたの会社や組織でも思い当たらないだろうか。(ちなみに、最近の哲学者の間では、残念ながらデカルトの評判は芳しくない。)

このように本書全体を通して、新鮮でないと感じられる部分でも、視点を少し変えるだけで、私たちが普段当たり前すぎて気付かない思考習慣を反省する機会へと変貌する。本物の哲学書を読むという行為の真骨頂をしかと体験できるだろう。

“理性”はすべての人へ公平に分け与えられている

ところで、『方法序説』という題名には、正式には「理性を正しく導き、学問において真理を探求するための」という枕詞がかかっている。(岩波文庫版の訳による)そして、本書は次のような一文から開始される。

良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。(中略)正しく判断し、真と偽を区別する能力、これこそ、ほんらい良識とか理性と呼ばれているものだが、そういう能力がすべての人に生まれつき平等に備わっている……(第1部冒頭)

「良識」は「理性」と同義で、人間の知的能力全般を指すと考えて間違いない。とすれば、この題名と冒頭部分からは、「この本に書いてあることを実践すれば、すべての人間に備わる理性があなたにもある限り、真理へとたどり着きますよ」というデカルトの自負が読み取れる。

先ほど紹介した「物質世界(自然界)は機械である」という主張も併せ、より大きな視点から言い換えると、聖書や教皇書簡を信じなくても、儒教のように道徳を先に修めなくても、生まれ持った理性さえあれば、この自然界の謎は必ず解けるという確信があるのだ。

それは何と気宇壮大な哲学であることか。合理主義の狼煙(のろし)を上げ、近代の幕を切って落とし、のちに科学へと発展する思考の原型を創り上げたうえ、人類の知に平等と解放をもたらす旗手としての役目までをも請け負ったのだから。

それが至高の純度をもって言の葉に託される――それが、『方法序説』である。

<参考図書として>
哲学書に挑む常として、ある程度の前提知識、そして何よりその哲学者への興味や共感をあまり持ち合わせていないと、大抵はみじめな結果に終わってしまう。『方法序説』は読みやすい部類に入るものの、もし不安なら、ポール・ストラザーン著『90分でわかるデカルト』(浅見省吾訳・青山出版社)を先に読んでみよう。とても気軽にデカルトについて知ることができるし、エピソードも豊富で、この哲学者に共感が持てるはずだ。本稿では、ストラザーンが触れていない部分をカバーするように努めた。第1回目の連載でも冒頭でふれた通り、哲学でも音楽でも、対象への共感を先に築くことが、素晴らしい体験へのカギである。
執筆者プロフィール:伊藤玲阿奈 Reona Ito
指揮者。ニューヨークを拠点に、カーネギーホール、国連協会後援による国際平和コンサート、日本クロアチア国交20周年記念コンサートなど、世界各地で活動。2014年に全米の音楽家を対象にした「アメリカ賞(プロオーケストラ指揮部門)」を日本人として初めて受賞。講演や教育活動も多数。武蔵野学院大学SAF(客員研究員)


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ありがとうございます。次回の記事もお楽しみに!
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