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2024年3月の記事一覧

のり子は食事も喉に通らないほどになっていた。

縁談を破談させてしまった人。

そのセルフイメージを自分で勝手に作ってしまい、その世界から抜け出せずにいたのり子は、ある日、温泉の体重計の数字を見て目が覚めた。

30kg台の自分。

大きな鏡に映る姿は頬がこけて目がくぼみ、骨と皮だけの貧相な体形の女性がいた。




自分の感情に流されていて、それが体中の雰囲気に溢れていた。

これではいけない。

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お見合いをしてその後2回だけその方と喫茶店でお話したりドライブしただけ。


紹介してくださったおば様から「どう?」と言われ、数回あっただけでは分からないとお答えしたのり子は、先方が言う「キメザケ」をしたら次回も会えるという条件を飲んで、またその方と会うことになった。

これまでは喫茶店でお話をしていたが当日は先方のお宅に招待された。


通された座敷を見てのり子は驚いた。

なんと、結納のセット

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高卒で入社したのり子の勤務先は毎年人事異動があり、都会から男性社員が異動してきた。

行動範囲が狭いのり子だったが、その都会的雰囲気の男性達を何人も見るうちに、理想の男性像はどんどんレベルアップしていった。




のり子が20代前半の頃、ご近所の方で着物販売の会社に勤めている方がいた。その方はのり子の母親と同じくらいの年代の女性で、時々、お見合いの話を持って来た。

毎日仕事が面白くて結婚なんて

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新入生歓迎会で、新入社員による余興の中で、ナガオ君が歌った松山千春さんのギターの弾き語りはピカ一だった。


彼のギターが終わっても拍手が鳴りやまなかった。

当時は、松山千春さん、長渕剛さん、さだまさしさんなどのフォークソングが大流行していた。


ステージの脇で順番待ちをしていたのり子は初めて聴くナガオ君の弾き語りに心が打ち抜かれてしまった。

この余韻をそのまま持ち帰りたかった。

しかし次

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※本日も口の中に脱脂綿を入れているため、サ行とタ行が特にできず、発音が変でお聞き苦しいと思います^^



のり子は高校の時に、生理痛が酷く、学校の保健室で寝ていることが多い生徒だった。


そんなのり子が社会人になったある日、生理痛が我慢できなくなり、会社の保健室的役割の部屋に向かった。

その会社には従業員の健康や福利厚生に関する仕事をする役職があった。
それを担当するサクラバさんはいつも笑顔

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※本日はいつもと違う声になってしまいました。口の中に脱脂綿を入れているため、サ行が特にできず、発音が変になり、お聞き苦しいと思いますが、これで通します。
生きていれば不都合は起こりえるものだから^^





高校を卒業したのり子は、本社が東京で地元に支店がある小売業に就職した。


事務所の入り口のドアを開けると左側に銀行の窓口のようなところがあった。
そこが、のり子の職場だった。

のり子の先

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のり子は就職活動をしていた時に「事務職」をしたいと思っていた。

社会経験のない女子高生のほとんどは事務職を希望するものだ。

のり子がこの会社の就職試験の面接の時に
「事務職の採用枠があまりないから販売職になります。それでもいいですか」と聞かれて、
「事務職の枠が無い場合は、御社には就職をいたしません。」とのり子はお答えした。


後で知ったのだが一緒に試験を受けた皆さん全員同じ質問をされ、「販

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入社前の研修が松戸市の研修センターで始まった。

東京に本社があり日本各地にお店がある小売業に就職したのり子たちは、社会人としての常識や、就業規則、接客方法などを一週間、研修センターに宿泊して学んだ。


まだ、誰がどこの売り場に配属になるかは分かっていない。それは入社式の時に辞令が渡されその時初めて分かるのだ。


1970年代の新人教育はスパルタ式だった。
「分かりましたか!」
と聞かれたら、

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高校の卒業式は、飛びぬけて何かに秀でた人に賞を与える。

例えば国体に出場した人とか、全国的に有名な展覧会で絵や書道が入選した人とかだ。

のり子の所属する合唱団も2年生の時に全国大会で銀賞を受賞していたが、それは団体であり、卒業式の時はあくまで個人に対する賞だったから、合唱団は該当しなかった。

また、特別勉学に励んだ人には学校長賞が贈られていた。



そのように特別何かに秀でていなくてもいた

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高校3年生ののり子は就職試験を受けるために寝台列車に乗り、上野に向かった。

当時、新幹線はまだなかったから大都会の東京に行くには寝台列車が主流だった。


のり子の学校からは3人がその会社の就職試験を受けることになり一緒に東京へ試験を受けに行った。

のり子達が寝台列車に乗り込もうとしたら遠くに学生服姿の集団が目に入った。地元でスポーツ校として有名な学校の生徒達だった。

5~6人の彼女たちは

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のり子の学校は2年生の時に就職と進学のそれぞれの進路ごとにクラス替えが行われた。

のり子は母親から、「その高校に入り、そして電電公社に就職してほしい」と言われていて、何の疑問も持たずに自分はそうなろうと思っていた。


なぜ、のり子の母親はそう言っていたのか。


のり子の家はとても貧乏だった。のり子の家は、両親と姉と弟との5人家族だった。

お米の専業農家だった父は田植えと稲刈りの時期以外は

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入学したら部活動は必ず入るもので、入部したら絶対に辞めずに卒業まで続ける事。

のり子の当時の常識はそうだった。
だからのり子は部活に入ることは当たり前だった。


校門に入ると上級生が待ち構えていた。「合唱部に入りませんか?」
漫画でこういう「部員の客引き」の図を見たことはあったが、その光景を実際に目にすることは、のり子は今までなかったので、「へー、高校って大人の世界だなぁ」と感じた。

部活の

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やりたくもないのに無理やり多数決でクラス委員長をすることになったのり子は高校に入学して半年間、迷走しきっていた。

学活の時の議長の時は会の運行をうまくまわせなかった。
話をどう持って行って結論を出せばいいのか分からなかった。

もしかしたらそれを文章にして静かに考えていたらできたのかもしれない。

しかし、人と話をすることが苦手で、ましてや皆さんの前に出て話をしなければいけない状況で、脳内はグ

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高校に進学して初回の授業はどの教科も先生の自己紹介や雑談で終わっていから
「高校ってそういうものなんだ」と、のり子は油断してしまった。


まさか、大好きな数学の初日に授業が始まるなんて思ってもみなかった。先生が自己紹介もせずに突然黒板に問題と解き方を書き始めたのには驚いた。

のり子達は慌ててその数式をノートに写し始めた。先生の説明はもう頭の中で素通りしていた。
とにかく早く書き写さなければいけ

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