山田ゆり

セルフコーチングで人生を変えたい。毎日連続投稿コミット中。kindle4冊出版。継続の…

山田ゆり

セルフコーチングで人生を変えたい。毎日連続投稿コミット中。kindle4冊出版。継続の人。アルツハイマー型認知症の実母10年介護。3姉妹の母。60代。この30年間で、父、母、独り身の伯母、弟、夫を見送った。生きろ。あり方。無意味な「スキ」「フォロー」はしないでね。

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  • 過去

  • 田畑を相続した我が家の場合

    代々続いた田畑を相続した場合、あなただったらどうされますか? 夫の急逝で女性4人だけの会社員の家族が田畑を相続した。 日中はフルタイムで働く家族は、田畑を耕す時間がない。 「農業はしない」と決断した。 私は、決断するだけでいいと考えていた が、現実はそれほど甘くはなかったのです。 写真は私です🤣

  • 残しておきたいnote  家族編

    父、母、伯母、弟、夫、長女、次女、三女、そして私。 家族の思い出を残しておきたい。

  • ショートショート

    「こうだったらいいな」「ああなりたいなぁ」「もしもこうだったら怖いなぁ」たくさんの「もしも」の世界です。

  • 残しておきたいnote

    忘れたくない大切な感動

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    わたしだけじゃないんだ: 突然、アルツハイマー型認知症になった同居の実母を介護した、子育てOLの10年と10日の記録

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    わたしだけじゃないんだ②: 母のデイサービスデビュー

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    わたしだけじゃないんだ③: 母の介護は10年と10日で突然幕を閉じた

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最後の家族ドライブ【音声と文章】

出棺の時間を伝えるクラクションと共に 夫の棺が我が家を出発した。 霊柩車の助手席に私 その後ろに二女が乗る。 霊柩車の後ろに続くカタチで 長女が運転する車がついてくる。 助手席には三女が座っている。 霊柩車は信号機で後ろの車とはぐれないように ゆっくり進んでいく。 出発して最初の数分間 おしゃべりしていた二女が 「お母さん、曲、聴いていい?」 と聞いてきた。 そうだよね。 娘のお気に入りの いつものNEWSの曲を聴きながら行きたいよね。 私も聴きたかった。 ところが、娘のアイフォンから流れてきたのは ビートルズの She loves you 夫がレコードでいつも聞いていた曲が流れる。 嬉しい。 ビートルズの曲が何曲か続き、 その次がABBAのダンシングクイーンから始まり いくつかの曲が流れた。 夫がご機嫌な時にいつも好んで聴いていた曲が続く。 二女はこの時のために 夫の好きな曲をアイフォンに入れておいたようだ。 ありがとう。 夫の嬉しそうな顔が思い浮かぶ。 出会いから今日まで26年間の 夫との思い出がよみがえる。 胸がいっぱいになる。 信号機の色が涙でかすむ。 火葬場までの数十分間。 私、三人の娘たち そして夫の家族5人。 大好きな曲を聴きながら 最後のドライブを楽しんだ。

    • 引き継がれたえつこさんのブログ【音声と文章】

      5月9日は私たちのビジネス仲間のえつこさん@megami_de_rich の命日です。 えつこさんは化粧品などの転売とイヤリング・ピアス・バレッタなど装飾品を手作りされ、販売されていました。 私は当時、悩みをえつこさんにメールし、そのお返事を音声でいただいたりして親しくさせていただいていました。 入院中のえつこさんのブログから、以前からえつこさんは不正出血があり、腰の痛みで歩くのにも困難を来たしていたことを知りました。 しかし、会社のお仕事が忙しくてなかなか病院へ行くことができず、検査をした時には既に子宮体癌ステージ4bと宣告されました。 そして、壮絶な闘病の様子はえつこさんのブログにたくさん書かれています。 ※えつこさんのブログ ↓それでも歩く~子宮体癌になって~ https://ameblo.jp/megami-no-powderroom/ 厳しい治療をされ苦しいであろうに、文章では茶目っ気たっぷりに書かれていて、えつこさんらしいなと思います。 強くて優しくてまだ若いえつこさんは 2020年5月9日(土)に残念ながらお亡くなりになりました。 入院したらまた元気なえつこさんに会えると思っていた私は 予想もしていなかった訃報に耳を疑いました。 たくさんの治療をされて、最期はご自宅に戻られて数日間を過ごされたようです。 辛かったでしょうが、でも、家族がすぐ傍にいる状態で最期を迎えられえつこさんは安心して旅立たれたのではないかと思います。 えつこさんがお亡くなりになってからえつこさんのブログは 歌い継がれていく歌のように、妹のみつこさんによって、えつこさんのブログは続けられました。 ブログには闘病中のえつこさんのご様子や、お亡くなりになられてからの、残されたご遺族の方々の心情などが書かれていて、私はそのブログの更新を楽しみにしていました。 ところが、そのうち、ブログの更新がなされないようになり心配していました。 みつこさんは看護師をされていらっしゃるので、お忙しいのだろうと思っていました。 そして、なんと、みつこさんは新しいブログを立ち上げられました。 ※【家族全員ガンで看取って出来た夢 ~それでも歩いていく~】 ↓ https://ameblo.jp/0306deradera/ ブログの中にも書かれていますが、以前のえつこさんのブログにある日、ログインできなくなり、何度か試しましたがえつこさんのブログに記事を書くことができないでいたそうです。 そして、新たにこちらのブログを立ち上げられたということです。 みつこさんは、えつこさんや今年1月7日(日)にお亡くなりになられたお母様を 最期はご自宅で介護をされたそうです。 その経験からホームホスピスを作る!という夢ができました。 自分の夢はなかなか人には話しづらいと思いますが、みつこさんは色々な方々にご自分の夢を語られています。自分の夢を堂々と言える人は凄いと思います。 夢は思っているだけでは叶わない。言葉にすると願いは叶うと言われています。 色々な方に積極的に話されているみつこさんの行動力はきっとしあわせをたくさん引き寄せると思います。 みつこさんの夢は絶対叶うと思います。 みつこさんが新しいブログの中でこう、おっしゃっています。 *************** 絶対にホームホスピスを作る! 夢では終わらせない! *************** 看護師のお仕事をされながら、ホームホスピス設立を目指されていらっしゃるみつこさんをこれからも応援します。 ※【家族全員ガンで看取って出来た夢 ~それでも歩いていく~】 ↓ https://ameblo.jp/0306deradera/ ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1833日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  引き継がれたえつこさんのブログ

      • ~その時がついに訪れた~ ネガティブな過去を受け入れる【音声と文章】

        ※今回はこちらの続きです。 ~無菌室から一般病棟へ~ ネガティブな過去を受け入れる ↓ https://note.com/tukuda/n/naef583d520e0 弟はのり子が持っていないものをたくさん持っていた。 ユーモアがあり友達が多い。スポーツ万能でポジティブシンキング。 だから弟でありながらのり子は弟を尊敬していた。 年下でありながら自分とは違う偉い人と思っていた。 しかし、薬の副作用で吐き気をもよおしたり、高熱のあまり寒くてベッドをガタガタ揺らすほどになったりしたその都度、のり子は傍にいて弟の介護をしていて、弟が愛おしい、そう思うようになった。 入院中は「手が届かないほど上の存在の弟と、ダメな姉」という構図は全く無くなり、「姉と弟」の関係に戻れた。 だから、弟が愛おしくてたまらなかった。 ある夜、のり子の弟はこんなことを言った。 「これまで僕は、お姉ちゃんより優れていると思っていた。 でも、この入院中で、お姉ちゃんの献身的な看護を見てきてお姉ちゃんはとっても凄い人だと分かった。」 何でもできる弟。 何でも持っている弟。 それに比べて姉であるのり子は 運動音痴で人づきあいが下手。 一生懸命にやってもどこかズレている。 友達が少なく全く魅力のない姉である。 そんな姉弟が弟の入院という出来事で 本来の姉弟の姿に戻れたのである。 少しして弟のお友達がお見えになった。 たったお一人にしか連絡できなかったのに、10数人の方が来てくださった。 弟の人脈の深さを感じる。 のり子はすぐに病室を出て、ガラス越しで見る廊下に行き、皆さんにお礼を申し上げた。 そして、病名を聞かれ素直に本当の病名を告げた。 まさか生死をかけた入院だとは誰も思ってもみなかったから、「そうだったのか」というお顔を皆はされた。 その病名は当時、「不治の病」の代表的な名前だった。 大勢のお友達が廊下に集まっているところへ看護師さんがやってきて「他の患者さんのご迷惑になるため、今の時間のお見舞いはご遠慮ください」と言われた。 夜中にたくさんの人が集まっていると「その時」が近いのだと入院患者は感じるだろう。患者さんが動揺しないようにとの配慮が必要である。 それではということで、お友達はその場から去って行った。 先ほどまで黒い人だかりがあったガラス窓の向こうには誰もいなくなった。 のり子は心の中でありがとうございますとお友達に言った。 少しすると、目の前のエレベーターが開きそこから先ほどのお友達の半分くらいがやってきた。 そして、ガラス越しに弟をみつめ、少しすると階段を下りて行った。 少しするとまたエレベーターが開き、残りのお友達がガラス越しに弟を見つめていた。 それを何度も繰り返していた。 あとでお友達にお聞きしたら、1階の総合待合室に全員下りて、半数毎に上の階に上がって弟の様子を見て、下に降りたら残りの半数が上にいく。 もしかしたら、僕たちの思いが通じてヤマを越えることができるかもしれないからそうしようと、誰からともなく話が出てそれを実行していたそうだ。 なんと友達思いの方々なのだろうか。 これをずっと繰り返されていた。 普通、そこまでしないと思う。 弟の友達はその都度、1階から6階(くらい)までを何度も往復していた。 その内に、弟の勤務先の局長さんがお見えになった。 東京支社へ出張中の上司のTさんの奥様から局長さんに連絡がいったそうだ。 局長さんははあはあと息を荒くして横たわっている弟のすぐそばのすわり、弟に話しかけながら腕などを触り始めた。 ある程度時間が経てばお帰りになるだろうとのり子は思っていたが局長さんはなかなかお帰りにならない。 もう深夜である。明日のお仕事に差し支えると思い、お礼を申し上げても局長さんはお帰りにならなかった。 その方は弟に話しかけてずっと身体をさするのをやめなかった。 その行動を見て、この方は義理ではなく、本心からそうされていらっしゃるのだと分かった。 その内のり子は眠くなり、不謹慎にもウトウトしだした。 ここ2日間くらい、ずっと弟の様子が厳しく、ほとんど寝ていなかったから。 「お姉さんは横になって下さい。私が〇○君の傍にいますから。」 そう言われた。 弟が生死を彷徨っているのに、眠くてしょうがない自分を恥じた。 のり子は必死に起きていた。 何度か局長さんに「夜も遅いのでもうお帰り下さい。」とやんわりお声がけをした。 しかし、局長さんは帰ろうとしなかった。 本心は、できれば最後は水入らずでいたいと思っていたがその言葉は相手の好意を無にするようで、のどのすぐそこまで出かかったが、言えなかった。 やがて心電図がピーと鳴り、一本の水平な線になった。 すると医師がやってきて、両手に持った電気ショックを弟の胸にあてた。 弟はバンと音を立てて身体がベッドから跳ねた。 もう一度、電気ショックをかけ、同じように弟は大きくベッドの上で波打った。 しかし、心電図はまっすぐな線しかなかった。 医師が腕時計を見て時間を告げた。 終わったのである。 28歳の誕生日を無菌室で迎えた弟は この世からいなくなったのである。 のり子は局長さんに深々とお辞儀をした。 集まって下さったお友達の皆さんにも挨拶をして帰っていただいた。 その中に泣き崩れる女性もいた。 その方は両脇を仲間に支えられながら帰られた。 のり子は入院中の弟の前では泣いたことが無かった。 目をはらした顔を見られて弟を不安な思いをさせたくないから、絶対弟の前では泣かないと決めていたのである。 でも、もう、それもおしまい。 のり子は首に下げていたタオルに口を強くあてて、声を殺して思いっきり泣いた。 これまでの3か月余りの涙が堰を切ったように溢れ出た。 涙は気持ちに任せてたくさん流したが、しかし、泣き声だけは出さないように注意した。 それは入院されている他の患者さんやご家族に不安な思いをさせたくなかったからである。 数日前の夜中に、突然、「わーっ」と泣く声を聞いた。そして周りがざわざわと動き出している音を耳にしたのである。 誰かがお亡くなりになったのだと推測した。 その時のり子は思った。 ご家族がお亡くなりになってお辛いだろう。 そのお気持ちはとても良く分かる。 しかし、同じような境遇の人がいる病室で思いに任せで大声で泣くのは、他の皆様が動揺されると思う。 だからもしも「その時」がやってきても私は、泣き声は出さないように気を付けようとのり子は決めたのである。 弟の傍で泣いているのり子に 医師が究極の質問をされた。 長くなりましたので 続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1832日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~その時がついに訪れた~ ネガティブな過去を受け入れる

        • 自分の価値を知るために無価値感を感じる必要がある【音声と文章】

          「あなたはこんなこともあんなこともできて凄いですね!」 そう言われて素直に喜べる? 素直に受け入れられない人はその評価を自分が納得していないから。 たくさんの評価をいただいていて、はた目には満足そうに見えて 実は何をしても虚しいと感じるのは 自分というコップに他人の評価を入れているから。 自分は空っぽな人で価値がない人。 そう思うと他人からの評価を求めてしまう。 やがて自分の器の中は他人からの承認でいっぱいになる。 コップはいっぱいになっているから それで満足かというとそうではない。 他人からの承認だけのコップを見て 「これらは全て他人が決めた価値であって、本当の自分ではない」と 満たされたコップを見ながら、無価値感を感じ続ける。 だからそのコップを一度、空っぽにする必要がある。 他人が決めた自分の価値観もどきを全て外に出してしまうのだ。 偽りの価値観で満たされたコップを持っていても ずっと空しさを感じ続けることになる。 自分の器を一旦空っぽにする。 自分には価値がない。 無価値感を感じる必要があるのだ。 そこで気を付けることは 空っぽの状態にしておかないこと。 「自然は真空を嫌う」と古代哲学者のアリストテレスは言っている。 人は空っぽの状態を見るとすぐに埋めたくなる性質を持っているということだ。 どういう事かと言うと例えば、「やることリスト」を作成して、 リストの先頭に四角の枠があると、「早くその枠にチェックマークを書きたい」と思い、つい頑張ってしまう事ってないだろうか。 だから、空にした器に自分で決めた価値だけを入れていく。 他人の評価や過去のしがらみなどは入れない。 他人から良く思われているのに自分に自信がない人は 他人が決めた評価で自分の器が満たされているから。 だから「本当の私はそうではない。」という思いをずっと引きずりモヤモヤし続ける。 本当はたくさんの良いところがあるのに、自分が決めた評価ではなく 他人からの評価だけでいっぱいになっているから、 溢れている器を認めることができないのだ。 だから、そういう人が自分は価値がある人間だと感じるには、 一度無価値感を体験する必要があるのだ。 他人からの評価だらけのその器を一度空にする。 そして、他人ではない、自分が自分で評価したものだけを器に入れていく。 私はこんなところが凄いよね。 そう思えることを入れていく。 他人の評価は絶対入れない。 自分には価値がある。 それを知るためには「自分には価値がない」という「無価値感」を一旦、感じる必要があるのだ。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1831日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  自分の価値を知るために無価値感を感じる必要がある

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        最後の家族ドライブ【音声と文章】

        最後の家族ドライブ【音声と文章】

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        記事

          無価値感【音声と文章】

          自分には価値がない。 人は自分の無価値感を拭い去りたくて 価値のある人にならなければいけないとあがく。 自分の無価値感をどうにかしたい。 違うんだ。 誰でも、もともと価値がある。 自分の価値を他人に委ねるから無価値感が生まれる。 自分の価値は自分で決めることができるのだ。 私に価値が無いから人に尽くすのではない。 「私の価値をあなたに分けてあげましょう。」 そんな気持ちで人に尽くす。 もともとある自分の価値を分け与えてあげる。 そういう気持ちで人と接したら無価値感から解放される。 自分の価値を他人に頼らない。 大丈夫。 あなたには生まれた時から無限の価値がある。 自分の価値は自分で決めることができる。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1830日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  無価値感

          無価値感【音声と文章】

          無価値感【音声と文章】

          劣等感【音声と文章】

          自分より優れている人の中にいると 自分はなんて劣っているのだろうかと劣等感を抱いてしまう。 だからこんな場所からはすぐに抜け出して いつものあの安心安全な場所に避難したくなる。 しかし、劣等感を感じて落ち込んでいるのはもったいない。 劣等感を「自分は駄目な人間だ」と 自分を責める材料にしているのならもうやめよう。 自分より優れている見本が 目の前にたくさんあることに気づくために劣等感がある。 「自分が」何かに気づくために劣等感がある。 劣等感は正しく使おう。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1829日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  劣等感

          劣等感【音声と文章】

          劣等感【音声と文章】

          ~無菌室から一般病棟へ~ ネガティブな過去を受け入れる

          ※今回はこちらの続きです。 ↓バッタさん~ネガティブな過去を洗い流す~ https://note.com/tukuda/n/n163d3558ee6e?from=notice 「これからの治療の方向性が分かりましたので無菌室から一般病棟へ移ります。」 佐々木医師はにこやかに弟に向かって話をした。 大学病院では数人の医師がグループを組んで弟の治療にあたっていた。 佐々木医師はその中で一番若い女医さんだった。 今年医師になりたてで、弟が初めての患者さんとおっしゃっていた。 土日祝日や深夜でも、ナースコールを押すと佐々木医師はすぐに飛んできてくださった。 化粧っ気のない、色白で目の下にはクマができているのに笑顔で接して下さり、弟には天使のように見えていた。 夜になるとのり子は弟のベッドの隣の床に布団を敷き、同じ天井を見ながらこれからの夢を語り合った。 その時、二人は佐々木医師のことも話題にした。 そして 「佐々木先生とは違う場所で出会いたかった。」と弟が言っていた。 のり子はうんうんと頷くしかなかった。 菌が全くない無菌室から一般病棟の個室に移る日がやってきた。 弟は自力で歩くことができず車いすに乗りながら病室まで連れていかれた。 その部屋は窓が開いていた。 これまで菌が体内に入ってくると危険だから無菌であることが第一条件だったのに、窓が開けっぱなしの部屋に通され、のり子はドキッとした。 弟もそれが一番気に障ったようでのり子にすぐ窓を閉めて欲しいと珍しくイライラしながら強い口調でのり子にお願いした。 ついさっきまで無菌状態の人が入る病室の窓を開けっぱなしにしている病院側の無神経な対応にのり子は不満をいだいた。 そして窓を閉めようと窓際に近寄ったのり子はもっとショックを受けた。 その窓に蜘蛛の巣が張ってあったのである。 蜘蛛の巣が張った開けっ放しの窓がある部屋に弟は移されたのである。 いくらなんでもその対応はないだろう。この部屋は一体、掃除されているのかと全てを疑いたくなった。 蜘蛛の巣のことは弟には黙っていた。 その事実を弟が知ったらどう感じるか想像できたからだ。 無菌室から一般病棟に移ることが決まった時、のり子だけ医師から呼ばれ次のことを言われた。 「無菌室に入る時に言った通り、無菌室を出るということは、終わりを意味します。」 弟はもう助からないということだった。 生きることを諦めていないのに。 のり子は、弟の親友に無菌室から個室に移ったことを電話で連絡した。 すると早速数人の友達が面会に来てくださった。 元気な弟にまた会えると思って集まったお友達はガラス越しでしか面会できないことと、その向こうには髪の毛が抜けてしまい色白で薬の副作用で膨れ上がった顔の弟を見て、集まった友人たちは愕然としていた。 のり子は 「弟は薬の副作用で今はこうですが、これから良い方向に向かいますので、これからも弟をよろしくお願いします。」とお願いした。 弟はうつろな目をしながらも来てくださった友人たちに「髪が抜けちまった」というジェスチャーを茶目っ気たっぷりにしていた。 具合が悪くてもサービス精神旺盛な弟である。 個室に移ってからの弟は高熱が続き、はぁはぁと息が荒くなってきた。 その頃はこれまでになく弟の容態が悪いため、今まで一度も休んだことのないワープロ教室も夜間のビジネススクールも、のり子は休んだ。 そんなことをしている場合ではない状態だと分かっていたから。 ある日、はぁはぁと荒い息を吐きながら 「かあさん」 と一言、弟は言った。 それが弟の最期の言葉だった。 「今夜がヤマです。伝えたい人がいましたら連絡をしてください。」 その日、医師がのり子を呼んでそうおっしゃった。 恐れていた日がとうとう来てしまった。 のり子は病院の公衆電話でまず家に電話をした。 すぐに両親はやってきた。そして家を片付けないといけない、そう言って帰って行った。 次にのり子は姉に電話をした。 弟が死と隣り合わせの病気だとは知らされていなかった姉は「どうして。。。」と何度も言っていた。 命が途絶える前に一目弟に会いたいが、こんな夜中に子ども3人を連れて出かけることは出来ないと言った。 姉のご主人様は県外に仕事に行っていて不在だった。 一番下が2歳の未就学児童3人を抱え、車の運転が当時は出来なかった姉は、病院に来ることができなかった。 のり子はあと誰に連絡すればいいか考えた。 入院当初、ほぼ毎日お見舞いに来てくださった弟の直属の上司であるTさんのお宅に電話をした。 すると奥様が電話に出られた。 Tさんはあいにく東京支社に出張中とのことだった。 残念だった。最期をTさんに看取ってほしかった。 のり子は弟がまもなく息を引き取ることを奥様にお伝えした。 奥様はとても驚かれていた。それもそうである。 職場には死ぬほど悪い病気にかかっているとは伝えていなかったから。 数か月したら職場復帰する予定でいると本人も周りも思っていたからである。 奥様に病名を聞かれた時、のり子は涙が溢れて言葉に詰まり言えなかった。 Tさん宅への電話を切ってから、弟のお友達に電話をしようと思ったが、あんなにたくさんのお友達がいるのに、のり子は弟からお友達の連絡先を聞いていなかった。 唯一、一人だけ電話番号を知っているお友達に電話をした。 その方も、今日がヤマだというのり子の話に絶句していた。 あんなに友達が多い弟なのに、のり子は連絡先を知らないから他に連絡できなかった。 たったお一人にしか連絡できなかったことがとても残念だった。 でも仕方ない。 もう、病室に戻ろう。 こんなところで長居をしている場合ではない。 のり子は深夜の病院の廊下を音がしないように静かに歩いた。 病室に戻り弟の傍にずっと座っていた。 どうして弟が死なないといけないのか。 家族の中で一番身体が丈夫でスポーツ万能じゃないか。 何かの間違いなのではないか。 しかし、はぁはぁと苦しそうに息をしている現実が目の前にあった。 のり子は弟の手を自分の掌で包んだ。 「ごめん。本当の病名を言わなくって。」 のり子は弟の手を頬に持って来た。 長くなりましたので 続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1825日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~無菌室から一般病棟へ~ ネガティブな過去を受け入れる

          ~無菌室から一般病棟へ~ ネガティブな過去を受け入れる

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          ~バッタさん~ ネガティブな過去を洗い流す【音声と文章】

          ※今回はこちらの続きです。 ↓同じ病室だったNさんの死 https://note.com/tukuda/n/n7757ab342385 のり子の弟は無菌室で28歳を迎えた。 単調な入院生活にならないよう、二人はちょっとしたイベントを計画して楽しんでいた。 その中の一つに宝くじを買うことがあった。普段購入する機会がない二人だったが、夏と冬に大きな宝くじがあることは知っていた。 その宝くじはどこから買っても同じようなものだと思うが、「宝くじが当たりやすい」売り場があり、県内で一番というその売り場にのり子が買いに行くという計画を立てた。 その売り場は列車に1時間揺られていくところだった。 事前に大体の場所を地図で確認しておいた。今のようにスマホがあればすぐに検索できるが、1990年のその頃は、スマホどころか、Windows95も発売されていない時代だった。 のり子が習っているPCは、何やら英数字を入力すると画面が変わるようになっていた。0と1の二進法の説明があったが難しくて理解できていない状態だった。 宝くじを購入する日がやってきた。 二人は「壮行式」を行った。 「ただ今より、宝くじ購入の壮行式をおこないます。」 ベッドに横たわった弟が言い、のり子は少し離れたところから弟の目の前に大きく手を振りながら歩いて行く。 そして選手宣誓をのり子がするという、バカげたことをして二人は笑いあった。 「じゃぁ、行ってきます!」 のり子は右の耳辺りに手を挙げて敬礼をした。 無菌室のドアを開け、廊下から弟に向かって大きく手を振る。 そして廊下を進み、ドアを開け、そこで不織布の帽子と割烹着を脱ぎ捨て、マスクを外し、手指の消毒をしてエアシャワーを浴び一般病棟へ移った。 無菌室に入ってから何度も新しい「治療」という名の「実験」が繰り返された。 その度に弟は高熱と吐き気などに見まわれた。 そして、恐れていたことがとうとう起きてしまった。 薬の副作用で髪の毛が抜けてしまったのである。 今後の治療で髪が抜けることがあるかもしれないと医師から言われていた弟は、無菌室に入る前に、頭を五厘刈りにした。 しかし、髪が抜けることもなく髪の毛は1㎝位に伸びてきたところだった。 頭を触ると髪の毛が手にたくさん溜まって取れた。 弟はうつろな目でその髪の毛をゴミ箱に捨てていた。 どんな思いでいるのだろうか。 「大丈夫。薬が効いてきているから髪が抜けてきたんだよきっと!」 のり子は根拠が全くない励ましをした。 無菌室への面会は家族だけ許されていた。 たまたま、髪の毛が抜けたその日に母親が面会にやってきた。 そして、髪の毛が抜けた息子に向かって 「わぁ~、どうしよう。髪が抜けてしまったぁ。」と本人の不安な気持ちを煽るような言葉を発した。 尋常小学校しか出ていない無学な母親である。気の利いた言葉を発する知識がない人である。 だから素直な気持ちしか言えないのである。 弟の気持ちを察するのり子は、その素直過ぎる発言をする母親をその時はとても憎んだ。どうしてもっと気を配るような言葉がけができないのかと思った。 6月の下旬に入院し、暑い夏を肌で感じることもなく秋になった。 そろそろ稲刈りの季節である。 稲刈りをすると目の前からバッタの大群が 「大変だ、大変だ」と言って左右に飛び出していく。 もう、9月の中旬になっていた。 その日は風雨が強い夜だった。 部屋の窓のカーテンを閉めようと窓に立った弟は、窓にしがみついている一匹のバッタを発見した。 こんなに風が強いのにガラスにしがみついていたのである。 弟はそのバッタが気になった。 そしてそのバッタが明日の朝もいたら自分の病気も良い方向に向かうかもしれないと言った。 つるつるしたガラスに必死にしがみついているバッタと自分を同一化しているのだ。 落ちないで欲しいとのり子も思った。 外は相変わらずビュービューと音がし、木の枝が時々窓をバサッバサッと叩いていた。 翌朝めざめた弟は、自分で立ち上がることができず、のり子にあのバッタがいるかどうかを見て欲しいと言った。 「どうか、どうか、バッタさんがいますように」 のり子は祈る気持ちでカーテンを静かに開けた。 すると昨日のバッタはまだそこにしがみついていた。 「いるよ!バッタさん!」 のり子は思わず大きな声で言った。 弟はうんうんと頷き、とても嬉しそうだった。 あれほど風が強かったのに。 その生命力の強さに私たちは感動した。 無菌室での生活の中で一番うれしかった思い出である。 この出来事があってからのり子は、 バッタを見ると弟が来てくれたと思うようになり、 静かにバッタさんを見守るようになった。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1824日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~バッタさん~ ネガティブな過去を洗い流す

          ~バッタさん~ ネガティブな過去を洗い流す【音声と文章】

          ~バッタさん~ ネガティブな過去を洗い流す【音声と文章】

          大切な人を大事にしたい【音声と文章】

          「今日は残業で遅くなるから~!」 のり子はPCを打ちながらキッチンに立っている娘に軽く話しかけた。 「えっ!遅くなるの?」 不機嫌そうな声が返ってきた。 のり子は一瞬で思い出した。 そうだった。 今日、私は誕生日なんだ。 そして娘は休日で、久しぶりに家族全員が夕食の時間に揃うのだ。 そうか、特に言われていないけれど今夜は誕生日会をするつもりなのだ。 のり子の仕事は毎年、この月が一番多忙な時期である。 のり子は今の会社に入ってからゴールデンウイークに休日出勤しなかったことは一度しかない。 その時は北海道で行われた姪の結婚式に行っていた。 それだけ忙しい月なのである。 だから今日が特別な日だということを忘れていた。 不機嫌そうな娘に対し、慌ててのり子は言った。 「遅いと言っても、2時間だけ残業だから、19:40頃には帰って来るから。」 言ってみて、全然フォローになっていないと気が付いた。 普段、18:00に夕食をするから1時間半以上待たなければいけない。 本当は残業せずに帰宅したかったが、今日はどうしても決めなければいけない仕事がありそれは通常の就業時間内では終わらない仕事だった。 「いってらっしゃい。」 いつもより低音で抑揚が無い娘の言葉を背に受けながらのり子は玄関を出た。 それは既に肩に矢が突き刺さった状態で これから戦場に向かう戦士のようだった。 のり子はその日、なるべく早く帰れるように工夫した。 今日は娘達のためにどうしても、1分でも早く上がりたい。 のり子は淡々と仕事をこなしていった。 今日は娘たちが自分の帰宅を待っている。 先に食べてていいからと言っても絶対、食べずに待ってくれるのである。 だから約束通り、19:40頃までには帰宅したい。 のり子はつい横道にそれそうになる自分を奮い立たせて、本日終わらせるべき仕事に集中した。 18:00頃、今日の仕事が決まりそうな目途が見えてきた。 これなら終われそう。 今日のすべきところまで終わることができ、しかも約束の時間までに帰宅できそうだ。 のり子はコーヒーをガブリと飲み、そしてまたPCに向かった。 19:04タイムカードを打刻してのり子は駐車場までの砂利道を急いだ。 ごろごろとしたその感覚は今ののり子の状態に似ている。 一歩一歩、しっかりと踏まないと転びそうになる。 うわべだけ繕っていてはいけない。 一番大切なことを大事にしよう。 小雨の中、肩をすぼめて小走りしたのり子は、車の運転席にドカッと座った。 すぐにエンジンを掛け、のり子はゆっくりハンドルを右に切った。 たくさんの雨粒が窓についていた。それはのり子のわだかまりに見えた。 ワイパーでそれを払う。 これまでの邪悪な粒々が払われ、けがれのないさらっとした心になった気がした。 さぁ、我が家へ帰ろう。 我が家の玄関に着いた。 玄関に鍵を挿すのを一瞬ためらう。 まだ娘は怒っているだろうか。予定より数分しか早く着かなかったが、自分の思いは伝わるだろうか。 重厚なドアはいつも以上に重く感じられた。 すると、朝、あれほど不機嫌そうだった娘は、そんなことあった?というくらい明るくのり子を迎え入れてくれた。 そして、やはり娘たちは食べずに待ってくれていた。 ありがとう。 たくさんのお寿司 https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2024/05/20240501_193653-scaled.jpg https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2024/05/20240501_193658-scaled.jpg 美味しそうなケーキ https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2024/05/20240501_201002-scaled.jpg 朝、不機嫌だった娘が作ってくれた澄まし汁は特に美味しかった。 https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2024/05/20240502_060408-scaled.jpg そして、娘たちからのプレゼント。 https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2024/05/20240502_054156-scaled.jpg ありがとう。 これからも大切な人を大事にしていきたい。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1825日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  大切な人を大事にしたい

          大切な人を大事にしたい【音声と文章】

          大切な人を大事にしたい【音声と文章】

          家族との団欒はしているか【音声と文章】

          「お母さん、家族みんなの話、聞いてる?」 帰省中の二女にのり子は聞かれた。 時間は22:30を回っていた。 当日は21:00までズームがあり、その後お風呂から上がり、再びPCを立ち上げて本日の日報を入力していた。 のり子は遊んでいるつもりはない。少しでも自分の為になることをしていると思っている。 ゴールデンウイーク前半は 餃子をみんなで作った。 さくら祭りに行った。 たこ焼きを作った。 業務上、どうしても行かなければならず休日出勤もした。 そして、たまたまなのだが、それらのイベントの夜にズームがあり、夜はその時間に合わせてバタバタしてしまった。 以前申し込んでいた講座が4月に始まったこともあり、4月は全部でズームが15回あった。2日に1回はズームをしていた計算になる。 自分でも「ちょっときついかな。」とのり子は感じていた。 PCに向かっているのり子に二女が言った。 「お母さん、お姉ちゃんが、最近のお母さん、ズームばかりやって私たちの話をゆっくり聞いてくれないって言ってたよ。」 その言葉にのり子はハッとした。 自分は遊んでいるつもりはない。 少しでも学びを自分事に落とし込めるよう頑張っているつもりだ。 今の学びをこれからの人生に役立てたいと思っているから 少しきついと思いながらも続けている。 しかし、母親に聞いてほしいことがあっても忙しそうにしている親に話ができない。そのような状況を作っているのを知り、のり子はPCの手を動かしながら今後のことを考えていた。 私は少し、思いあがっていたのかもしれない。 家族みんなと幸せに過ごすことが私の願いで、その為の努力をしているつもりでいた。 しかし、実際は、忙しさという理由でバリアを張っていたのではないだろうか。 4月は忙しすぎたと自分でも反省している。言い方によっては充実していたが、しかし、それらのひとつひとつを振り返ると、その時に、家族の話を聞いてあげる時間はなかった。 家族が我慢している状態にのり子は気が付いていなかった。 全てはうまく行っていると勘違いしていた。 家族との団欒を大事にして 自分がなりたい未来になるための努力を これからも続ける。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1825日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  家族との団欒はしているか

          家族との団欒はしているか【音声と文章】

          家族との団欒はしているか【音声と文章】

          私のセルフチェックシート【音声と文章】

          都会に住む二女が帰省した。 新幹線で帰るから駅まで迎えに行く。 いつもだったらのり子がしっぽをバフバフ振りながら車で迎えに行くのだが、あいにくその日はズームが行われる日であり、迎えに行く時間が丁度、準備で忙しい頃に重なった。 娘たちにそのことを話しして、結局三女が車で迎えに行くことになった。 三女の運転する車に乗って二女が帰宅した。 ワインレッドのキャリーケースを床にドタッと置き色違いのネイルが施された指が解放されたことを喜んでいた。 おみやげはいいからと言ってあるが今回もいくつか買ってきてくれた。 「これ、絶対美味しいから。」 二女は美味しいものしか買ってこない。そして人に勧める時に「粗末なものですが」なんて絶対言わない。 「美味しいから食べてみて」と言う。 自分の部屋で着替えた二女がピンクのTシャツを着て下に降りてきた。 学生時代、ソフトボール部で鍛えた体は現在も健在だ。2日に1回は会社の帰りにスポーツクラブに行っていることもあり、広い肩幅、引き締まった体形は二女の性格そのものだ。 二女の身体の周りに光が溢れている。 「今日の晩御飯は何?」 「ごめん、今日はありものしかない」 本当は二女のためにご馳走を作りたかった。 しかし、毎日会社と家の往復で、のり子は準備ができなかった。もっと計画的に生きたいとのり子は自分に言い聞かせた。 「オッケー。」 二女は冷蔵庫の中のモノを電子レンジで温めながらご飯を食べた。 二女がさくら祭りに行きたいと言ってきたので、翌日、のり子と二女は桜の名所である公園に向かった。 年々、桜の開花は早まって来ている。 のり子が小学生の頃は、お花見と言えば4月29日~5日頃が一番の見ごろだった。ゴールデンウイークと桜の見ごろがぴったりなこともあり、「日本一の桜」と言われ全国各地から観光客が訪れ賑わっていた。 しかし、年々、地球の温暖化が進み、今では4月下旬頃で花は散ってしまうようになってきた。 のり子と二女が行ったその日もメインの桜はほぼ散ってしまい、緑の葉っぱの景色が多かった。 花筏を期待していたのり子だったが、水面には花びらは全く落ちていなかった。 花は散ってしまったがそれでも公園に行きたい二女の狙いはお店で売っている食べ物が目当て。 あれも食べたい、これも食べたいと、お店を通るたびに二女が言う。何事にも興味を持つ二女をのり子は尊敬するのだ。 のり子は自分よりも娘たちを最優先にしてしまう性格だから、つい、自分のやりたい事を押し殺してしまう。 そして、自分は何をしたいのか、何をしたら自分は喜ぶのか、それがいつの間にかわからなくなっているのだ。 自分はどうでもいいから娘たちが良ければそれでいい。 会社にいても自分はいいから、周りがよければいい。 そう思ってつい過ごしてしまっている。 だから、自分が中心だと信じて生きている二女といると、自分はこのままではいけないとのり子は感じる。 まずは自分なのだ。 自分を満たしたい。 自分が我慢して相手が良ければそれでいいという考え方は一見、美しいようで実は全くそうではない。 例えば、目の前に美味しそうなサンドウィッチが1個あり、お腹のすいている自分は食べたいと思うが傍にいた我が子にあげる。 お腹がいっぱいの我が子はそれほど食べたいとは思わないが与えられたから食べる。 自分は我が子が喜んでくれると思って期待するが、子どもはお腹がいっぱいの状態なのに食べたからそれほど喜んではくれない。 自分が食べたいのを我慢してまでサンドウィッチを上げたのに・・・とつい、自分は思ってしまう。 このカタチである。 自分が満たされていないのに他人を満たそうとするのには無理があるのだ。 まずは自分。 自分を満たしたらその次が他者。 この順番をのり子は分かってはいるが時々忘れる。 二女の帰省はのり子のセルフチェックシートのようなものである。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1824日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  私のセルフチェックシート

          私のセルフチェックシート【音声と文章】

          私のセルフチェックシート【音声と文章】

          同じ病室だったNさんの死【音声と文章】

          ※今回はこちらの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/nc441491ddd01 のり子の弟は入院してから毎日、勤務先である新聞社の新聞を読んでいた。 そして、必ずお悔やみ欄はひとりひとり、自分に関係がある方かどうかを見ていた。 ある日、弟はお悔やみ欄のお一人にくぎ付けになった。 その方はNさん。 ついこの間までの一般病棟で向かいのベッドにいた方だった。 その方は「病気が治った」ということで退院されたのだ。 弟の病室の方々はこれまで数回、同じ病名で入退院を繰り返している方が多くÑさんもそうだった。 それぞれ病名は違うがしかし、誰もが、いつか病気が治って退院するという同じ希望を抱いていた。 だから、退院していく人は残された人たちにとって、英雄に見えていた。 Nさんにはいつも奥様が寝泊まりして付き添っていた。 ある日、Nさんが無菌室に入ることが決まった。 Nさんは無菌室で治療をし、その後退院するのだと嬉しそうに話されていた。 弟はNさんのそのお話をとても喜んで聞いていた。 奥様はいつも通りの暗い表情をされていたが、それは看護疲れによるものだと感じていた。 やがてNさんは無菌室に移って行った。 その後、風の噂でNさんは退院されたと弟は聞き、僕もこの病気を早く治して退院しようと思ったのである。 お悔やみ欄には、名前・年齢・住所しか書かれていないが、記憶力の良い弟の脳内であのNさんと全て一致した。 ショックだった。 同じ病棟にいた方がお亡くなりになったのだ。 そのことをその晩、弟のベッドの床に布団を平行に並べて寝ていたのり子は、弟からNさんがお悔やみ欄に載っていたことを聞かされた。 あの病室は「死」と隣り合わせの人達の集まりなのではないかと、弟はその頃から感じ始めたようだった。 これまで骨折などのけがでしか入院したことのない弟である。 ある程度の時が経過したら退院して以前のようになれると思っていた弟は、無菌室での辛い日々とNさんの死は弟の心の奥に暗い影を落とした。 のり子の弟が無菌室に入り何度も新しい「治療」が続けられ、その度に吐き気や高熱・倦怠感・手足のしびれなどを体験し、身体はどんどん弱って行った。 弟の病室に寝泊まりしているのり子は、税のプロになる夢のために、無菌室からワープロ教室や隣の市の夜間のビジネススクールに通っていた。 弟の新しい「治療」(という名の試験)が始まり、吐き気などの症状が強い時に外出しなければいけない時、のり子は「今日は予定をキャンセルしようか」とつい、弱気になった。 しかし、のり子がやりたいことをやる人だと弟は分かっているから、そのやりたいことを諦めるほど、自分の病気は悪いのかと思われたくなくて、のり子は自分の予定をキャンセルせず、予定通り、出かけていた。 それは苦渋の選択だった。 無菌室を出る時にのり子は弟を見る。 その日の弟は起き上がれないほど弱っていた。 「じゃぁ、○時くらいまでに戻るから。」 のり子は明るい笑顔を弟に見せた。 「いってらっしゃい。早く帰ってきてね。」 弟は顔だけのり子のほうに向け、弱々しく言った。 のり子は弟の付き添いをするにあたり、自分で決めたことがある。 それは弟には絶対、自分の泣き顔を見せないこと。 自分の病気のためにお姉ちゃんが泣いていると思われてはいけないと思ったからである。 小説の中で悲しい場面が出てくるとすぐにボロボロ泣いてしまうのり子だったから、弟の入院中はその類の書籍は読まないことにし、自己啓発などの本を読むようにしていた。 無菌室と一般病棟を繋ぐ密閉された廊下で不織布の割烹着・帽子を脱ぎ、マスクを外し、エアシャワーを浴びて、のり子は一般病棟に出た。 するとそれまで張り詰めていたものが一気に噴き出し、大粒の涙がぽろぽろと頬を駆け足で落ちていった。持っていたタオルで顔を吹きながら西日が差す駐輪場に向かった。 弟が入院した頃から比べると日が短くなってきた。 今年、弟に夏はやってこなかった。 あっという間に夏が過ぎ、駐輪場には落ち葉が舞い落ちていた。 きっと治る。 弟だもの。絶対治る。 のり子は何度も心の中で自分に言い聞かせた。 長くなりましたので、続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1823日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~同じ病室だったNさんの死~ ネガティブな過去を洗い流す

          同じ病室だったNさんの死【音声と文章】

          同じ病室だったNさんの死【音声と文章】

          「私らしい人生」とは【音声と文章】

          第2回のお茶会を開催しました。 私のお茶会は「茶話会」さわかい と名付けています。 私は人さまとお話をするのが下手です。 そんな私には壮大な夢があります。 それは、過去の私のように自己否定が強すぎてどうすればいいか分からない方のお役に立ちたいということです。 それにはまずは、自分を救いたい。意識革命で自己否定しない体質にしたい。 自分を救えるようになったら、次は自分以外の人を救いたい。 自分以外の人とは、いきなり知らない他人ではない。 まずは家族。 家族を救って、その次が全く知らない他人。 この順番で私は迷える人たちが自分で気づき成長していけるようにお手伝いをしたいと考えています。 それにはお茶会などで人さまと触れ合う機会を設けたいと思い、お茶会を開催することにしました。 昨日は、まず、ただ生きるのではなく、強い目的があった方がいいということを、かつてのドイツがユダヤ人を虐殺した話を例にお伝えしました。 そのあと、全メンバーが揃ったところで、セルフイメージアウトプットを二人一組のブレイクアウトルームで話し合っていただきました。 最近、私は学びの場でブレイクアウトルームを何度も体験していて、「これは面白い」と感じ、自分のお茶会にも活用してみたいと思い、トライしてみました。 このブレイクアウトルームはひとりではできないのでなかなか試すことができません。 夕方になってやっと三女がやってきたので思い切って三女にお願いをしました。 三女は快く受け入れてくれ、まずはズームのアプリのインストールからやってくれました。 そして私のズームに入ってきてもらい、ブレイクアウトルームを何度か試してみました。 3回試してみて、たぶん、これで大丈夫と思いました。 実際は、最初、設定を間違えるというアクシデントもありしましたがすぐに設定をし直し、皆さんにブレイクアウトルームに行っていただくことができました。 ブレイクアウトルームが初体験の方もいらっしゃって、「楽しかった」とおっしゃってくださり、開催して良かったと思いました。 当日、主催者の私はアイコンではなく顔出しをしました。 私の顔が初めてという方もいらっしゃって最初の内は恥ずかしかったのですが、もう私はまな板の上に乗ってしまいましたので、笑顔で乗り切りました。 茶話会の写真をこちらにアップします。 https://twitter.com/ebinabotukuda/status/1784320610514186305 noteには自分の顔をお見せしようかとも思いましたが、まだその決心はできず、この状態でお許しください。 今回は女性限定でしたが、男性の方からのご要望をいただいておりますので、いつかは性別にこだわらない茶話会を行いたいと思います。 茶話会は今後も定期的に行いますので、実物の私を見たい方は、ぜひ、茶話会へご参加ください(*’ω’*) (なんだ、こんなおばちゃんか~ってガッカリされるかも^^) 私はこれからも「やりたい」と思ったことはできるだけやろうと思います。 「ゆりちゃんの好きなようにやっていいんだよ」 私がおもちゃ売り場に転属になった時の売り場のチーフから言われたお言葉はずっと心の中にあります。 「私らしい人生」とは やりたいと思ったことはする。 自分の気持ちに素直になります。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1821日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  「私らしい人生」とは

          「私らしい人生」とは【音声と文章】

          「私らしい人生」とは【音声と文章】

          健診の結果とスコトーマ【音声と文章】

          健康診断の結果が来た。 今年も又、どこも悪くない「オールA」だった。 「また、オールAか。普通だな。」 以前の私はそうとしか感じなかった。 どこも悪くないのは普通だと思っていた。 普通なことは人に言うほどの事ではないからその事実に感動することはなかった。 https://twitter.com/ebinabotukuda/status/1783819124436775196 でも、今の会社に転職し、健康診断の結果をファイリングする係になり、 高卒の10代から60代まで、幅広い年齢層の全従業員の結果を知る立場になった。 そこで分かったことがある。 20代、30代の方々は若いからどこも悪くないだろう思っていたら、若い方でも、何かしらBやC、それ以上の結果になっている。 どうして若いのに異常値になるの? この人だったらどこも悪くないだろうと思っていても、何かしらの数値に異常があり、「何でもない人」は二人くらいしかいないのである。 健康な人=当たり前な人であり、特別ではないと思っていた私は、当たり前=滅多にないことだと分かった。 勿論、健康診断は簡単な検査であり、その人が100%健康体だという証明にはならないが、しかし、一般的に健康体の目安にはなると思う。 これまでは「オールA」の結果票を見ても、それは当たり前だと思っていた。 「それ、当たり前」「それ、知っている」「それ、前に聞いた」と感じた瞬間、人の脳は目の前にある情報を受け入れようとしなくなる。 すると目の前に「ある」のに脳はそれを「無いもの」と判断して見えない状態にしてしまう。 これを「スコトーマ」(心理的盲点)という。 世の中の情報は同じことを言い方を変えて伝えていることが多い。 だから、学ぼうとした時に「あっ、それ、知っている」と感じた瞬間、スコトーマが働き、脳はそれ以上の情報を入れようとしなくなる。 同じ学びを受けてもそれを生かせない人の特徴である。 だから、学びの際に、知っている情報でも「何か他に気づきが得られるかもしれない」と思いながら学ぶ人には更に新しい情報が入ってくるのである。 「どこも悪くない」という結果票は自分にとって当たり前過ぎて、スコトーマが働きそれ以上見ようとしていなかった。 しかし、今回、結果と基準値を見比べてみた。そうか、評価はAだが、昨年と比べてこの値は微増しているから少し注意しようなど、スコトーマが外れ、今まで見えていなかったことが見えてきた。 目の前のことは「当たり前」「知っていること」と感じた瞬間、人の脳はそれ以上の情報をシャットダウンしてしまう。 だから「知っていることかもしれないが、何か新しい気づきがあるかもしれない」という気持ちで物事に接していきたいものである。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1821日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  健診の結果とスコトーマ

          健診の結果とスコトーマ【音声と文章】

          健診の結果とスコトーマ【音声と文章】

          大好きなスポーツが今後できないと言われて【音声と文章】

          ※今回はこちらの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n21a49f2f9ed5?from=notice 弟は一般病棟から無菌室に移る前に、病院の理髪店の方にお願いして散髪をしていただいた。 弟はこれから治療が厳しくなると医師から聞いていたから、自分に気合を入れる意味もあり、髪を五厘刈りにした。 そんなヘアスタイルは高校の野球部以来である。 顔立ちのはっきりしている弟の坊主頭をのり子は久しぶりに見た。 今後、薬の副作用で髪が抜ける可能性を示唆された弟は、どうせ抜けるのなら先に髪を短くしようと思ってのことだった。 弟の決意がその坊主頭に反映されていた。 のり子の弟は治療という名の「試験」を受けていたのだと思う。大学病院はそういうところだと何となく分かっていた。 それはその人のためではあるが、同じような病気になった将来の人のための「お試し」でもあるとのり子は思っている。 その試験は弟を苦しめた。 新しい治療が始まると吐き気が何度もして高熱が出た。 のり子は何度も洗面器を洗いに行った。 広い病室には洗い場もあったから、部屋を出ることなくすぐにできた。 筋肉質の身体だった弟はどんどん痩せていった。 目は窪み顔色はいつも悪かった。 治療の合間に弟は会社への手紙を書いた。 新しい治療が始まり毎日が戦いであること。しかし、この厳しい治療に耐えて一日でも早く会社に復帰したいことなどを縦書きの便せんにびっしりと書いた。 そしてポラロイドカメラで入院着の姿を映し、写真と手紙を一般的な白の封筒に入れた。 のり子は弟に頼まれ、その手紙を弟の勤務先である新聞社に持って行き、弟の直属の上長であるTさんに箱菓子と一緒にお渡しした。 毎日のようにお見舞いに来てくださったTさんは面会謝絶の無菌室に移ってから会えなくなっていたので、弟からの手紙をとても喜んでくださった。 目が窪み、点滴の棒につかまって立っている弟の姿を目を細めてTさんは眺めていた。 小学校から現在の社会人野球まで、20年以上野球を続けてきた弟は、退院したらまた野球ができる、そう信じていた。 ある日、弟はそのことを医師に話した。 すると男性の医師に「退院後、スポーツはしないでください」と言われた。 ずっとスポーツをしてきた弟にとって、それができないことはとてもショックだった。 その夜、弟は珍しく落ち込んでいた。 治療をしてくださる医師団の中には心無い言い方をされる医師がいらっしゃった。 弟が退院後、スポーツができないと言ったのは、「君は生きてこの病院を出ることができるはずがない」という思いでおっしゃったのだと、弟の本当の病名を知っているのり子は感じた。 たくさん勉強ができる方なのだろう。しかし、患者に希望をもてるような言葉がけができない医師は、いて欲しくないとのり子は思った。 これまで辛い治療にも耐えていた弟だったが、今後の人生でスポーツをすることができないと言われ、初めて真剣に落ち込んでいた。 やがて弟は、「スポーツができない体になっても、観戦することはできるのだ。 これからはスポーツをしている人を応援する側で頑張る」と言った。 身体を鍛えるのが趣味の弟にとってスポーツができなくなることは、片腕を取られたようなものだ。 それでもそれを受け入れて前を向いている弟がいじらしかった。 弟に付き添っているのり子は毎晩、弟のベッドの隣の床に布団を敷いて弟と同じ天井を眺めていた。 小さい頃の思い出を語ることもあった。 しかし、過去のことよりも将来の事を語る方がダントツだった。 のり子と弟は毎晩、真っ白に粒々の穴がある変わらない天井を眺めながら、たくさんの未来を語り合った。 治療が合っていて副作用がほとんどない時もたまにあった。 そんな時は「もしかしたら弟はこれからどんどん良くなっていくのではないだろうか」と希望の光が差していた。 しかし、そんなことは少ししか続かなかった。 長期入院で一日中寝ているだけの人にとって、食事は楽しみの一つだと思う。 医師にお聞きしたら「何を食べても大丈夫ですよ」と言われた。 だからのり子は無菌室を出て売店から毎日のように、ヨーグルトや口当たりの良い食べ物を購入してきて弟に差し出した。 具合の良い時は美味しそうに食べていて、そんな弟を見るのがのり子は嬉しかった。 「なんでも食べていい」と医師に言われていたが、無菌室での食事は最低だった。 ある日のメニューは ご飯とお皿に山盛りのほうれん草のおひたしと味噌汁。それだけ。 人の悪口を言う人ではない弟だが 「馬じゃないんだから」と言っていた。 無菌室での食事はとにかく酷かった。 のり子の弟は毎日、勤務先の新聞を隅から隅まで眺めていた。 自分が担当する広告を見て、「そうか、こういうデザインもいいな」とか「文字の配列をこうしたのはそういう意図があってか」など、職場復帰のために自分の感覚を磨くことにも入念だった。 そして仕事柄、お悔やみ欄は欠かさず見ていた。 それは社長の運転手をしていた時代からの習慣だった。 知っている方のお悔やみを逃してはいけない。その思いからだった。 ある日、弟はそのお悔やみ欄にくぎ付けになった。 長くなりましたので続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1820日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~大好きなスポーツが今後できないと言われて~ ネガティブな過去を洗い流す

          大好きなスポーツが今後できないと言われて【音声と文章】

          大好きなスポーツが今後できないと言われて【音声と文章】

          無菌室で将来の夢を語り合った【音声と文章】

          ※今回はこちらの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/nb314d9df08ff?from=notice 話は少し前に戻ります。 のり子の弟が入院してまもなく、今後の治療中に血液が急遽必要になることもある為、献血をお願いしたいと医師から言われた。 のり子はまず、弟の勤務先である新聞社に電話をした。 いつもお世話になっている弟の直属の上長のTさんに事情をお話した。 Tさんは快く話を受けて下さり会社の方に話をしてくださった。 まずは弟の勤務先に話はついた。しかし、それだけでは少ない。何人来てくださるかは今のところ分からない。 そこでのり子は11年間勤め、1か月前に円満退社した前職の会社のSさんに電話をした。 彼女は会社の福利厚生を担当する方で、保健室の先生のような立場の方だ。 のり子は弟が入院し、今後の治療でB型の血液が必要で、献血者を探している旨をSさんに伝えた。 そして、献血の日時と場所をお伝えした。 献血の当日は、姉も病院へ来た。私たち3姉弟は同じB型なのだ。 待合室に弟の上司のTさんを筆頭に新聞社の方々が集まった。 そして、のり子の前職の方々も同じくらいの人数が集まり、合計で30名くらいの人数になった。 のり子の前職の懐かしい皆さんのお顔がたくさんあった。 退職したのに自分の為にわざわざお越しくださり、のり子は少し涙ぐみ、姉は「こんなに多くの人が集まってくれてありがたい」と言ってのり子の背中をさすってくれた。 弟の病名は両親とのり子しか知らない。嫁いでいる姉には余計な心配をさせたくないから本当の病名は教えていなかった。 だから今日はただの献血だと教えていた。 たくさんの人の中にのり子の前職で同じ売り場だった工藤君がのり子に小声で聞いてきた。 「弟さんはもしかして○○?」 それは弟の病名だった。 のり子は内心ドキッとしながら 「いいえ。弟はそれではなく、血液不全という病名だから治る病気よ。」と答えた。 弟の病名は当時は不治の病と言われていた。その病名はテレビドラマなどでおなじみでその病気に罹ったらそれは死を意味するようなことだった。 のり子と両親は弟の病名を、本人には勿論、周りに一切、公表しないと決めたのである。 例えば、その人を「白色」だと言うと、本当は「黄色」なのに「白色」な人だと決めつけてしまいがちである。 だから、弟が不治の病に罹ったとは言いたくなかったのだ。 予想以上にたくさんの方々が献血にお見えになり病院側も驚いていた。 この献血は、輸血が目的ではあったが実はもう一つの目的があった。 それは骨髄移植の可能性を探していたのだ。 血液型にはO型、A型、B型、AB型の4つがあるが、骨髄移植をする場合、もっと細かい分類があり、それに適合しその方から骨髄を提供していただくともしかしたら弟は助かるかもしれない。 しかし、大勢の方が集まっていただいたが、弟の血液に適合する方はいらっしゃらなかった。 姉弟である姉ものり子も不適合だったのである。 入院当初は骨折で入院した時のような気楽な気分だった弟は、その後の化学療法で高熱や吐き気が続き、これまでの入院とは全く違う状態に自分はいるのだと認識するようになった。 そして大学病院は次の治療法に移った。 それは「治療」という名の「試験」「研究」だったのではないかと、あとあと、のり子は感じたが、当時は、とにかく、治る見込みがあるのならと病院側を信じていた。 そして一般病棟の6人部屋からのり子の弟は「ICTU」通称「無菌室」に移った。 無菌室はもう一つ上の階にあった。 その病室に入るにはまず通路でエアシャワーを浴びた。上下左右から風が吹いてきて、きっと体に付着している雑菌を吹き飛ばしているのだろう。 そして、棚に用意されている、不織布の割烹着のようなものを上に羽織って、使い捨てのマスクをし、手指の消毒をして、不織布の帽子をかぶって各個室のドアを開ける。 この格好は、その30年後の今、全世界を恐怖に陥れたあの疫病の時と同じである。 のり子は30年後の未来を既にその時体験していたのである。 だから、その疫病が蔓延した時の様子を見て30年以上前の当時を思い出し、再び胸を痛めたのり子だった。 病室は恐らく4つくらいあったようだ。 ひとつひとつが個室になっていて広い病室だった。 のり子は弟が入院してからずっと付き添って寝泊まりしていた。 だから、無菌室に移った際も、のり子は弟と一緒に無菌室で生活をした。 一般病棟とは違い、無菌室は完全看護の状態だから付き添いは不要なのだが、のり子は付き添いを許されていた。 無菌状態を保つために、家族以外の入室は禁止されていたので、お見舞いもできなくなった。 のり子は無菌室に移ってもワープロ教室やビジネススクールに通っていたから、のりこは一般病棟を一日に何往復することもあった。 夜は床に布団を敷いて、弟と同じ天井を見ながら将来の夢を語り合った。 長くなりましたので続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1819日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~無菌室で将来の夢を語り合った~ ネガティブな過去を洗い流す

          無菌室で将来の夢を語り合った【音声と文章】

          無菌室で将来の夢を語り合った【音声と文章】