山田ゆり

コーチングで人生を変えたい。毎日連続投稿コミット中。kindle4冊出版。継続の人。ア…

山田ゆり

コーチングで人生を変えたい。毎日連続投稿コミット中。kindle4冊出版。継続の人。アルツハイマー型認知症の実母10年介護。3姉妹の母。60代。この30年間で、父、母、独り身の伯母、弟、夫を見送った。生きろ。あり方。無意味な「スキ」「フォロー」はしないでね。

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  • 残しておきたいnote  家族編

    父、母、伯母、弟、夫、長女、次女、三女、そして私。 家族の思い出を残しておきたい。

  • 残しておきたいnote

    忘れたくない大切な感動

  • ショートショート

    「こうだったらいいな」「ああなりたいなぁ」「もしもこうだったら怖いなぁ」たくさんの「もしも」の世界です。

  • 田畑を相続した我が家の場合

    代々続いた田畑を相続した場合、あなただったらどうされますか? 夫の急逝で女性4人だけの会社員の家族が田畑を相続した。 日中はフルタイムで働く家族は、田畑を耕す時間がない。 「農業はしない」と決断した。 私は、決断するだけでいいと考えていた が、現実はそれほど甘くはなかったのです。 写真は私です🤣

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    わたしだけじゃないんだ: 突然、アルツハイマー型認知症になった同居の実母を介護した、子育てOLの10年と10日の記録

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    わたしだけじゃないんだ②: 母のデイサービスデビュー

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    わたしだけじゃないんだ③: 母の介護は10年と10日で突然幕を閉じた

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最後の家族ドライブ【音声と文章】

出棺の時間を伝えるクラクションと共に 夫の棺が我が家を出発した。 霊柩車の助手席に私 その後ろに二女が乗る。 霊柩車の後ろに続くカタチで 長女が運転する車がついてくる。 助手席には三女が座っている。 霊柩車は信号機で後ろの車とはぐれないように ゆっくり進んでいく。 出発して最初の数分間 おしゃべりしていた二女が 「お母さん、曲、聴いていい?」 と聞いてきた。 そうだよね。 娘のお気に入りの いつものNEWSの曲を聴きながら行きたいよね。 私も聴きたかった。 ところが、娘のアイフォンから流れてきたのは ビートルズの She loves you 夫がレコードでいつも聞いていた曲が流れる。 嬉しい。 ビートルズの曲が何曲か続き、 その次がABBAのダンシングクイーンから始まり いくつかの曲が流れた。 夫がご機嫌な時にいつも好んで聴いていた曲が続く。 二女はこの時のために 夫の好きな曲をアイフォンに入れておいたようだ。 ありがとう。 夫の嬉しそうな顔が思い浮かぶ。 出会いから今日まで26年間の 夫との思い出がよみがえる。 胸がいっぱいになる。 信号機の色が涙でかすむ。 火葬場までの数十分間。 私、三人の娘たち そして夫の家族5人。 大好きな曲を聴きながら 最後のドライブを楽しんだ。

    • その高校に入学した理由【音声と文章】

      のり子の学校は2年生の時に就職と進学のそれぞれの進路ごとにクラス替えが行われた。 のり子は母親から、「その高校に入り、そして電電公社に就職してほしい」と言われていて、何の疑問も持たずに自分はそうなろうと思っていた。 なぜ、のり子の母親はそう言っていたのか。 のり子の家はとても貧乏だった。のり子の家は、両親と姉と弟との5人家族だった。 お米の専業農家だった父は田植えと稲刈りの時期以外は岐阜県に出稼ぎに行っていた。 だから普段の切り盛りは留守を預かる母がしていた。 時々田んぼの草をとり、小さな畑に野菜を植え、掃除婦や中華料理店の皿洗い、食品工場の生産ラインなどのパートをしていた。 いつも忙しい母親は、授業参観には来てくれたことが無い。 ただ黙って子どもたちを見ているだけの生産性のない時間を過ごす余裕は母親にはなかったのだ。 両親ともに尋常小学校しか出ていなかったので、のり子たちは親から勉強を教わることができなかった。 よく、夏休みの宿題を夏休み終了間近に親が手伝うということを聞くが、のり子の家庭に限ってそれはなかった。 小学校低学年レベルの能力しかない両親は、子どもたちに教えることができなかったし、教えている時間も無かったのである。 だからのり子たちは、勉強は自分でするものだと自然に感じていた。 のり子が保育園児のころ、借家暮らしをしていた時期があり、お隣は親戚のお宅だった。 そのご家庭のひとり娘の方は、おしとやかで教養があり育ちの良さが滲み出ていて、のり子の母親はもちろん、のり子達もその人が大好きだった。 女優さんに例えるなら、吉永小百合さんに似ていた。 その人の通った女学校に入学してその人のお勤め先である電電公社に子ども達が就職したら人生は安泰だと母親は思ったのである。 だからことあるごとにのり子の母親は子どもたちにそれを言っていたのである。 お母さんを喜ばせたくてのり子は母親の言うことを聞いていた。 そして、中学は勉強するしかなかった環境が手伝って、念願の女子高に入学できたのである。 後はそこに就職すればミッション完了のはずだった。 その夢実現のために何をしたらいいのかを理論立てて考えることが苦手だったのり子は漠然と「そうなりたい」と思っていただけだった。 1970年代の当時は、ワープロも一般的ではない時代で、今のように「検索する」という手段もなかった。 調べ物は図書館や本屋さんでするしかなかった。だからのり子は自分の進路について何も調べもせずに高校へ入学した。 いざ就職するにはどうするかと考えるようになった時には既に遅かった。 電電公社が当時は公務員だったのだが、それさえのり子は知らなかった。普通に就職試験を受けられるものだと思っていたのだ。 そして、のり子は学年で30番台で入学したのに1年の終わりには学年のビリから2番目に学力が低下してしまっていたのである。 慣れないクラス委員長という重責と、毎月のように訪れる生理痛の為に保健室で寝ていることが多かったため、のり子は授業についていけなくなっていた。 そんなのり子が公務員になれるはずがない。 決めつけてはいけないが、当時ののり子に現状を打破させるほどの気概は全くなかった。 そこでのり子は電電公社に就職するのはすぐに諦めた。 ではどうしたか。 一番最初に就職試験が行われる会社の試験を受ける、そして、落ちたらすぐに次を受けよう。それだけの基準で会社を選んだ。 その会社は東京に本社があり、日本各地に支店があり、のり子が住んでいる市にも支店がある小売業だった。 そこからは、事務職と販売職の求人が出ていた。 のり子の学校は2年生から進学と就職コースに分かれ、就職コースでは珠算と簿記の授業がスタートした。 ほとんどの人は小学校辺りでそろばん塾に入っていた。 当時の習い事と言えば、習字、そろばんである。 しかし、貧乏で習い事をする金銭的余裕がなかったのり子は高2にして、初めてそろばんを習ったから、スタート地点では周りの生徒より不利だった。 しかし、昔から指先を使うことが好きだったこと、高校入学までは三度の飯よりも数学が好きだったから、珠算は面白くてどんどん上達していった。 暗算は最初、数字を聞き取ることに慣れなかったが、その内、神経を集中させることができるようになった。 何事も繰り返しだと思う。 継続と習慣化なのである。 簿記も最初、「借方」「貸方」が分からず戸惑ったが、数学つながりですぐに授業が楽しくなり、化学や物理などの授業は相変わらずついていけないレベルだったが、簿記は級が上がるたびに面白さを感じるようになった。 結局、卒業までにそれぞれ2級を取得した。 世間を知らない女子高生のほとんどは就職の職種は「事務」を希望していた。 そして3年生になったのり子は就職試験を受けるために寝台列車に乗り、東京に向かった。 その寝台列車の中で見覚えのある人と一緒になり、のり子は目を丸くした。 長くなりましたので、続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1782日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~その高校に入学した理由~ 未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す  ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n58f93d814091?from=notice

      • 高校の合唱団 【音声と文章】

        入学したら部活動は必ず入るもので、入部したら絶対に止めずに卒業まで続ける事。 のり子の当時の常識はそうだった。 だからのり子は部活に入ることは当たり前だった。 校門に入ると上級生が待ち構えていた。「合唱部に入りませんか?」 漫画でこういう「部員の客引き」の図を見たことはあったが、その光景を実際に目にすることは、のり子は今までなかったので、「へー、高校って大人の世界だなぁ」と感じた。 部活の客引きは見たところ合唱部しかなかった。 のり子もその人たちに声を掛けられたがニコッと笑顔を返しただけだった。 中学時代、吹奏楽部でクラリネットを担当していたのり子は高校でもクラリネットを続けようと思った。全く下手だったが、それでも理想の音色は頭の中にあったから。 しかし、その高校には吹奏楽部が無かった。 仕方なく、音楽つながりの合唱部に入ることに決めた。 のり子が校門での客引きに応じなかったのは、その客引きに応じていたら「客引きにつかまった人」という感じになり、自分の意志で入部したのではなく、「引っ張られて入部した人」という感じに思われるのが嫌だったからだ。 あんなに人に話しかけられず意気地なしなのり子なのに、なぜか部活に対してはプライドがあった。 そしてのり子が入部して最初に驚いたのはどうやらこの合唱部は有名らしいということだ。 周りの人の話を聞くと、地域大会や県大会での合唱コンクールでは「金賞」が当たり前で、地方大会もほぼ金賞をとり、数年に一回は全国大会に出場しているという、合唱ではかなりの有名校だということを知った。 そしてのり子が入学した前年にも全国大会に出場し、惜しくも銀賞だったということだった。 だから今年も全国大会へ行こうという活気で部活内は上昇気流に乗っていた。 県内で一番の進学校に入学できる学力をもっているのに、この学校の合唱部に入るために、ワンランク下のこの進学校に入学してくる人がいるほどだ。 また、のり子と同じ学年で、自宅の近くに自分のレベルに合う高校があるのに、下宿を借りてわざわざ遠方のこの学校に入学して合唱部に入った子もいた。 のり子はこの学校のことを何も知らずに入学していた。 のり子の母親が、「将来はこの学校に入って、卒業したら日本電信電話株式会社に入社してほしい」と、のり子に小さい頃から言っていて、のり子はそれを忠実に守ってきたのである。 だから、進学先にどんな部活があるかとか、何年の歴史があるとか、どんな著名人が卒業生でいらっしゃるかなんて全く知らなかったし、調べようともしなかった。 ただ母親を喜ばせたくてこの進学校に入っただけだった。 のり子の入った合唱部は、対外的には「合唱団」と名乗っていた。 県内や地方では一目置かれている合唱団だった。 もともと歌が好きだったのり子は気楽に入部した。 しかし、実際に先輩方の歌声を聴いて心が震えてしまった。 ハーモニーの美しさにこんなに感動するものなのかと思った。 自分もその感動させる一員になれると思うとワクワクした。 全国大会の常勝校だからなのか、その学校の音楽室はとても充実していた。 グランドピアノがある全体室と、奥にはソプラノ、メゾソプラノ、アルトの各パートごとの練習室があった。 その練習室には箱型のピアノがあった。 そしてその音楽室の凄いところは防音設備がしっかりと施されていた。 思いどっしりとしたドアを引っ張って各パートの練習室に入る。 コンコーネやコールユーブンゲンでまずは声出しをする。 微妙な音程のずれを感じ、お互いが正しい音に近づけていく。 中学の三年間、いろいろな楽器の演奏を耳にしてきたのり子は、演奏のない、声だけの音楽がこんなに透き通って、清純できれいな世界だとは知らなかった。 のり子は先輩たちと同じになりたかった。 だから、体調が悪くて保健室で放課後まで寝ていても、部活だけは休みたくなかったから、保健室から部活に向かうことが何度もあった。 合唱部は毎日朝練があり、運動部並みの文化部だった。 学校の講堂のステージで二人一組になり、腹筋・背筋・足投げを各100回、行っていた。 それが終わってから校庭を走りスポーツ部並みの練習をしていた。 皆はさぼる人もなく、一緒に朝練をしていた。 だから全国大会まで行けるのだとのり子は先輩方の背中を追いかけながら走っていた。 その学校の合唱部が秀でていたのは音楽の先生のお陰である。 カリスマ的な存在のその先生は自分が求めている音楽を追求する方で、いい加減なところで手を打つような方ではなかった。ユーモアがあり、しかし、一旦、指揮棒を上げたらその眼差しは怖いものがあった。 その先生の目に負けないように女生徒たちは真剣に音を重ねて行った。 放課後の練習で、たまに講堂で練習があった。 講堂のステージで肩幅より少し大きく足を開いて一人で立ち、両手を胸のあたりにもってきて、オペラ歌手が歌うような感じで歌うのである。勿論、アカペラで。 客席にはみんなが見ている。 中には堂々と歌っていて、歌うのが楽しくてしょうがないという気持ちがほとばしってくる先輩が数人いらっしゃった。 そんな中、のり子はステージに上がって声を出しても、逆さに吊るされた鶏のような声しか出せなかった。 そんなに緊張しなくても良かったのにと大人になったのり子が当時を振り返って思うのだが、あの当時は、ただただブルブル震えていて、お腹に力なんて入らず、声は喉にだけ力が集中し、全然ダメだった。 自分の力以上によく見せようというはしたない気持ちが裏目に出ていたのかもしれない。 そんなのり子は合唱部にうまく貢献できているのかどうかは疑問だったが、2年生の時に、全国大会へ出場した。 今はないそうだが、その年は東京の普門館で全国大会が行われた。 のり子達は学校が手配した大型バスで東京に向かった。 合唱部の素敵なところは、バスの中でも合唱ができることだ。 しかも貸し切りだから、他の乗客はいない。 大会出場の帰り道は、みんな解放感からかいろいろな歌を三部合唱する。勿論演奏無しで。 バスの中は重厚な音の世界になる。ミルフィールのような世界に自分がいる。それだけで幸せだった。 クラスでは友達がいないのり子だったが、合唱部では気の合う人がいてその人とは笑いながら話をすることができた。 クラスに友達がいないのり子だったがのり子は部活動を続けていたから、心を壊すことなく学生時代を過ごすことができたのだと思う。 長くなりましたので、続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1781日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~高校の合唱団~ 未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す  ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n2d8fe7d432a1?from=notice

        • ~分岐点から逃げてばかり~ 【音声と文章】

          やりたくもないのに無理やり多数決でクラス委員長をすることになったのり子は高校に入学して半年間、迷走しきっていた。 学活の時の議長の時は会の運行をうまくまわせなかった。 話をどう持って行って結論を出せばいいのか分からなかった。 もしかしたらそれを文章にして静かに考えていたらできたのかもしれない。 しかし、人と話をすることが苦手で、ましてや皆さんの前に出て話をしなければいけない状況で、脳内はグルグル回り出し、通常の判断ができない状態だった。 のり子を推薦した工藤さんやその取り巻き達はクラスの中で影響力が強くなっていた。だからドギマギしているのり子に救いの手を伸べてくれても良かったのに、逆にいつものり子を馬鹿にしたような目で見て助けてくれることはなかった。 そんなダメダメな半年が過ぎ、後期のクラス委員長を決めることになった。 なんと工藤さんの取り巻きの中の長尾さんが手を挙げた。 そして後期のクラス委員長はすんなりと決定した。 明るくみんなをまとめることができる長尾さんがクラス委員長になって、クラスの雰囲気ががらりと変わった。 何をするにも工藤さん達の取り巻きが盛り上げてくれクラスはまとまりのある感じに変わっていった。 その変わりようにのり子は傷ついた。 自分が困っていた時に助けてくれたらよかったのに。 のり子はクラス委員長を押し付けた工藤さん達をずっと恨んでいた。 大人になったのり子が金融機関の待合室で偶然、工藤さんに再開した。 のり子は彼女を見た瞬間、当時の苦い思い出が蘇り、嫌な人に会ってしまったと思った。 しかし彼女は 「わぁ~、山田さん、ひさしぶり~。元気だった~ぁ!」と、懐かしくて嬉しくて仕方ないという顔でのり子に話しかけてきた。 えっ! あの時のことを覚えていないの? 私がクラス委員長は無理だと断ったのに結局工藤さんが押し付けた形になってクラス委員長をする羽目になったことを。 そして、やり方が分からずにオドオドしていた自分に手を差しのべることもなく、逆に馬鹿にしたような目でのり子をいつも見ていただけだったことを覚えていないの? 工藤さんはどうやら、忘れているようだった。 本人にとって些細なことは忘れるものだ。 のり子にとっては辛い半年間だったが、工藤さんにとっては思い出にも残らない些細なことだったのだと分かった時、傷口に塩を塗られた思いだった。 それでも大人ののり子は、口角をあげ、満面の笑みで工藤さんと一言二言話をして別れた。 はた目には久しぶりに会ったもと女子高のクラスメートだった。 いじめもこういうものだとのり子は感じた。 虐められている本人は、死にたいほどの苦しみを感じているのに、虐めている本人はその自覚がほとんどない。 そして時の経過とともに、その人は忘れてしまう。 虐められた人はずっとそれを心の中の傷として受けながら生きていくのに、虐めた本人は「無かったこと」に変換されてしまうのだ。 生理痛が酷くて毎月保健室で休むことが多くなったのり子は、授業についていけなくなった。 中学の時は友達がいなくて、休み時間を一人で過ごしていたのり子は、予習復習や宿題を休み時間と昼休み時間でやっていたが、 中学とは比にならない高校の高度な授業である。 1回授業を休んだだけでも挽回するには時間がかかったから、何度も授業を休んで保健室で寝ていたのり子は、完全に授業についていけないレベルになっていった。 あんなに大好きだった数学は、チンプンカンプンになってしまった。 だから、毎回の定期テストは赤点すれすれだった。 のり子は2年生に進級した。 その時の担任は体育の先生だった。 陸上競技の国体にも出場したことがある、高身長ですらりとした女先生だった。 思っていることをズバリ話される方でのり子とは全く違う人種だった。 その先生が校庭を走っている姿は「きりん」のようにのり子には映り、のり子はその先生を「きりん」と心の中で呼んでいた。 きりん先生は新学期早々、生徒たちと個人面談をした。 のり子はその時きりん先生にこう言われた。 「この学校に30番台で入学したあなたが1年生の最後のテストでは学年でビリから2番目になってしまったなんて、どうして?信じられない。」 だから話を聞こうという雰囲気ではなく、のり子にただ呆れているように見えた。 「あぁ、この人は強い人なんだ。弱い気持ちの人を理解できないんだ」 のり子はそう感じて、それからきりん先生には何も期待しなくなった。 自分と違う人種に出逢った時に、その人に関わってみるかそれとも回避してしまうか。 その人に係ることで新しい自分にもしかしたら変われるかもしれない。 それは分岐点かもしれない。 のり子が思っていることをきりん先生に話し、どうすればいいのかを聞いていたらもしかしたらその時点でのり子の人生はもっと明るい世界へ矢印がグイッと進んでいったかもしれない。 でものり子は自分で自分の心の扉を閉じてしまった。 友達もなくクラスで独りぼっちの場合、「不登校」になりやすいが、当時ののり子には「学校に行かない」という選択肢が頭には思い浮かばなかった。 「学校は休まずに行くもの」というガチガチの常識をのり子は持っていた。 そしてまた、「学校に入ったら部活動は必ずするもの。そして、絶対に卒業まで部活を続けるのが当たり前」と思っていたのり子は自分の「法律」を守り切った。 中学の時に吹奏楽部だったのり子は、高校でも吹奏楽部に入りたいと思っていた。 しかしのり子の高校に吹奏楽部は無かった。 仕方なく、同じ音楽である「合唱部」に入部したのである。歌を歌うのも小さい頃から好きだったからなんの抵抗もなかった。 その「合唱部」はタダの合唱部ではなく「合唱団」であることを入部してからのり子は初めて知った。 長くなりましたので、続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1780日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~分岐点から逃げてばかり~ 未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す  ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n71cf6256d59b?from=notice

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        最後の家族ドライブ【音声と文章】

        最後の家族ドライブ【音声と文章】

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        • 自分のための人生    山田ゆり
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        記事

          一番保健室を利用した保健委員長

          高校に進学して初回の授業はどの教科も先生の自己紹介や雑談で終わっていから 「高校ってそういうものなんだ」と、のり子は油断してしまった。 まさか、大好きな数学の初日に授業が始まるなんて思ってもみなかった。先生が自己紹介もせずに突然黒板に問題と解き方を書き始めたのには驚いた。 のり子達は慌ててその数式をノートに写し始めた。先生の説明はもう頭の中で素通りしていた。 とにかく早く書き写さなければいけない。 必死に黒板を写す人が大多数だったが、しかし、それをしない人が数人いた。 なぜなんだろうと思いながら、のり子は必死に黒板の文字を写していた。 先生が黒板に書き終わったところでこちらを振り向いた。 教室はカリカリと書いている音だけがしていた。 あと少しで終わる。 のり子はがんばった。 先生はそして、必死にノートに写している生徒達を見てニヤリとした。 誰がノートに書き写しているのか、いや、書き写していない数名を確認していたのかもしれない。 そして人差し指と中指の間にチョークを挟みながら黒板消しを握り先生は 「という解き方は間違いである」と言って黒板の文字を一気に消し始めた。 えーっ! ふと、ノートに書き写していない生徒を頭を動かさずに目だけ向けてみた。 彼女は「ふふん」というような顔で先生の方を見ていた。 そうだったのか! 油断していたのり子は予習をしていなかったから、先生の言葉を鵜吞みにしてしまった。 予習してきた人だけは、先生が間違っていると気がついていたのだ。 恥ずかしかった。必死に書いていたからなおさら恥ずかしかった。 教室のほとんどの人が先生の罠にはまっていたが、大好きな数学でこんな恥をかくなんて思ってもみなかったのり子は、その時から 数学の先生が大嫌いになった。 世の中は良い人ばかりではない。気を付けよと教えてくださったのだと数年経ってから分かったが、先生とは善人ばかりで見習う人だと信じていたのり子は、その先生が 嫌いになった。 先生が嫌いだから数学に対する熱は一気に冷めていき、その後、たちまち授業についていけなくなった。 高校に入学して初めての定期テストの時に数学は50点くらいしかとれなかった。 それまで数学は90点台が当たり前だったのり子は返された答案用紙を見て落胆した。 そこで頑張って挽回すればいいのだが、根性なしののり子は更に勉強する気になれなかった。 また、慣れないクラス委員長のこまごまとした用件をこなすのにも、いちいち戸惑っていた。 皆さんに話しかけたらいいのだが、どんな顔をしてどう言い出せばいいのか、そのつど悩んでいた。 つまりどうでもいいことにいつも惑わされていたのだ。 「惑わされていた」という言葉は、他人からそうさせられていたというニュアンスである。 そこで「悩もう」「困った状態と受け止めよう」とその瞬間を選択したのは自分なのだ。 どんなマイナスな状況でも、その気分になろうと決めたのは自分なのである。 そして、「こんな嫌な思いをさせられた」と、いつも被害者意識があった。 実はその被害の加害者は自分なのに、当時ののり子は、気が付かなかった。 のり子は毎日、何かの「被害」にあい、その都度、落ち込んでいた。 「そんなこと、気にしなくていいよ」と言ってくれる友達がいたら、のり子は変われたのだと思うが、友達を作ることからも逃げていたのり子は八方ふさがりだった。 のり子は毎月、生理痛が酷かった。 1~2時間目は我慢して授業を受けるがどうしても痛くて保健室に行った。 保健室の先生は、白衣を着て優しいお母さんという雰囲気だった。 ベッドに横になりカーテンを引いてくれのり子は目をつぶる。 最初は痛くてベッドをゴロゴロ動いているがその内温かくなりすやすやと眠りに入って行った。 やがてお昼近くに目覚め、一度トイレに行って保健室に戻る。 するとまたお腹が痛くなってきた。 先生が「無理だったら帰る?」と聞かれる。 のり子は部活を休みたくなかったから帰らないと返事をする。 でもお腹が痛い。 結局、放課後まで保健室で寝ていて部活が始まる頃に保健室を出た。 のり子はほとんど毎月そういうことをしていた。 当時の保健室はのり子の逃げ場だった。 クラスにいても誰も協力してくれない名ばかりのクラス委員長をしなければいけない。 大好きだった数学も今ではチンプンカンプンでついていけない。 友達もいなくて、保健室で休んでいても誰も心配して見に来る人はいなかった。 あの時、もしも保健室の先生が「こんなに長い時間、保健室にいるくらいなら家に帰りなさい」とおっしゃっていたら、のり子はどうなっていただろうか。 誰だって気持ちが弱くなる。 正論を突き付けられて身動きできなくなったら、生きる気力もなくなるのではないだろうか。 だから当時の保健室の先生には感謝しかない。 のり子は保健委員を3年間続け、3年生の時には保健委員長になった。 一番保健室を利用した保健委員長だった。 心が弱い人の気持ちを誰よりも理解できる委員長だったかもしれない。 長くなりましたので、続きは次回にいたします。 ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n96ed595d4f96?from=notice ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1779日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~一番保健室を利用した保健委員長~ 未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す 

          一番保健室を利用した保健委員長

          一番保健室を利用した保健委員長

          ~女子高デビュー~ 未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す【音声と文章】

          自分から人に声を掛けられず独りぼっちの中学三年間を過ごし、勉強するしかなかったののり子は地域でも有名な進学校に入学した。 そこは百数十年の歴史がある、地域でも有名な女子高だった。 その学校は自転車で片道45分位の「街なか」にあった。 これまで周りが田んぼだけの小中学校だったのり子にとって、「大人の世界」へ飛び込んだような気がした。 同じ中学からはのり子を入れて2~3人しか入学していない、難関校だった。 勿論、のり子はその人たちとは話をしたことが無い。 だから知り合いがいない巨大な学校に一人で入学したようなものだった。 伝統があるその学校は校則がとても厳しかった。 制服もきちんとした格好でいなければならず、恐らく窮屈な思いをするだろうが、小6から今まで、自分に我慢を与えることをしてきたのり子は、校則を守ることはたやすいことだった。 靴や重い学生鞄には、学校の紋章が刻印された学校指定のものを使った。 白い靴下は必ず三つ折りにして履く事と言われ、当時、スティック型の専用糊を足首に塗り、靴下を折らずに履くのが流行っていたがのり子は校則通りに三つ折りにしていた。 つまり、「こうでなければいけない」を絵にかいたような人間だった。 皮靴はいつも靴磨きでピカピカになっていないと落ち着かないのり子だったから靴磨きはいつも学生鞄に入っていた。 入学式には母親と行った。 その日ものり子の母は着物を着ていった。 しかし、髪までには気が回らなかったようで、パンチパーマが伸びきったような髪型だった。 のり子は教室に入った。 そこにはそれぞれの出身校ごとに丸い輪ができていた。 女子だけしかいない。 当たり前である。 みんなできそうな顔ばかりだった。 話す相手がいて、誰もが堂々としているように見えた。 クラスには同じ出身校の子はいない。 のり子はここでも独りぼっちだった。 入学してまもなく、クラス委員長を決める日があった。 のり子は自分には関係のないことだと思い、静かにその時間を過ごそうと思っていた。 誰もクラス委員長になる人はいなかった。 そりゃそうだ。 クラス委員長とは名前は恰好いいが、結局はみんなをまとめたり、雑用が多い役目だから、進学校の生徒にとって、やりたくないことなのだ。 のり子はやりたくないというよりも、自分にはできない役割だったから、誰か自薦でも他薦でもいいからしてほしい~と思っていた。 沈黙が続いた。 「誰か、やりませんか?他薦でもいいですよ。」 議長が言う。 するとある女子が手を挙げた。 「はい!山田さんがいいと思います!」 という声が上がった。 「えーっ!私-!なぜに私?」 のり子は声のした方を振り向いた。 工藤さん?だったかな。 彼女は市内で一番頭の良い人だけが通っている中学卒の子。 その周りには、同じ中学卒の子が何人もいた。 その子らもうんうんと頷いていた。 のり子は工藤さんやその取り巻き達と話をしたことがなかったのにどうして私を推薦したのか分からなかった。 「すみません。私、無理です、できません。」 すぐにのり子は立ち上がって議長に言った。 しかし、その後、誰も自薦・他薦がなく、多数決を取ったら、クラス委員長はのり子に決まってしまった。 のり子は落胆した。 友達もいないのに、どうやってクラス委員長をしていけばいいのか。 その後、クラス委員長として初めて議長をした。 のり子は人前で話すのが全く下手で、ましては議長なんて、どのように話をもっていけばいいのか分からなかった。 しどろもどろしていて議題は決まらない。 どうしよう。どうすればいいの? ふと、のり子をクラス委員長に推薦した工藤さんを見た。 推薦してくれたのだから、何か助け舟を出してくれるかもしれないと淡い期待をして彼女を見た。 しかし、工藤さんは 「そんなこともできないの?」というような顔でのり子を斜めに見ているだけだった。 やっぱり。 この人たちは自分がしたくないから、何も反撃できそうもない人にそれをやらせようと思ってのり子を他薦したのだった。 その話し合いは、つまりながらあともどりしながら、何とか終わった。 その後、皆さんに連絡事項をのり子が発表した時、工藤さん達は話をしていてのり子の話を聞こうとはしなかった。 それからものり子は議長としての役割をしていったが、クラスの中で影響力が強い工藤さん達たちには何も助けてもらうことはなかった。 高校の授業はどの教科も初回は先生の雑談で終わっていた。 「高校ってそういうものなんだ」 のり子はここで油断してしまった。 大好きな数学の初日がやってきた。 中学の時は体格の良い朗らかな先生で、のりこはその先生が大好きだった。 だからのり子は数学が大好きになった。 それは高校も続くだろうと思っていた。 高校に入って初めての数学の時間が来た。 眼鏡をかけた小柄な細めの髭が濃い先生だった。 今までの教科の先生は、自己紹介をしたり人生観を語られていた。 しかし、その先生は違っていた。 「はい、では授業を始めます。」と自己紹介もなく言われ、 いきなり黒板に数式をバーッと書き出し早口で説明をし出した。 のり子達は慌ててその数式をノートに写し始めた。先生の説明はもう頭の中で素通りしていた。 とにかく早く書き写さなければいけない。 先生が黒板に半分くらい書いたところでこちらを振り向いた。 必死にノートに写している生徒達を見てニヤリとした。 長くなりましたので、続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1778日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~女子高デビュー~ 未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す  ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n1ee829edbd77?from=notice

          ~女子高デビュー~ 未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す【音声と文章】

          ~女子高デビュー~ 未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す【音声と文章】

          ~明るい独りぼっち~ 未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す

          中学に進学したのり子は、いじめをしていた彼とは別クラスになりいじめは自然消滅した。 彼はボンタンの恰好をして他校の番長と喧嘩沙汰を繰り返すようになっていった。 小6の一年間、他の女子に被害が及ばないようにと思い、のり子はひとりになることを選んだ。 いじめが終わったのにのり子は自分から人に話しかけるのが怖いと感じる子になり、結局、中学の時も独りぼっちだった。 友達がほしい 誰か私を助けて いつも心の中で叫んでいた。 当時ののり子の心中は、イソップ物語のきつねと柿の木の話と同じだった。 美味しそうな柿が木になっていた。 キツネは取ろうとしたが手が届かない。 だから木の下でその柿が落ちてくるのを待っていた。 しかし、いくら待っても柿は落ちてこない。 しびれを切らした狐は 「あれは美味しくない柿なんだ」と負け惜しみを言って去っていく。 のり子も友達が欲しければ勇気を出して声を掛ければよかったのだ。 それなのに、変なことを言われたらどうしよう、嫌われたらどうしようと思い、自分からは何もせず、誰か私に声を掛けてくれないかなと待ちの姿勢だった。 待ちの姿勢というより、逃げの姿勢だった。 自分でやりもせず結果を他人のせいにしていた。 小6ののり子は虐められていたからいつも下を向いていた。 しかし、中学の時は誰からも虐められなかったから、のり子は「独りで可哀そう」と思われたくなくて、顔は伏せていなかった。 そして、誰かがもしも声を掛けてくるかもしれないと思い、学校にいる時はいつも口角を上げて笑顔を作っていた。 暗くうつむき加減の小6とは違い、「明るい独りぼっち」だった。 でも、笑顔の裏側はいつも土砂降りの雨が降っていた。 誰か、助けて 友達になって いつもそう心の中で叫んでいた。 友達を作れないのり子は、授業の合間の雰囲気が怖かった。 みんな、仲の良いもの同士で雑談をしている。 ガヤガヤしているその空間の中に自分だけ異空間だった。 ガヤガヤした音が遠くに聞こえた。 女子たちの歓声が聞こえる。 なんだろう。何話しているんだろう。 気にはなったが振り向いて話しかけられない。 普通は休み時間が気を緩めるひと時なのだが、話す相手がいないのり子にとって、僅か5分間の休み時間は苦痛でしかなかった。だからのり子には授業中が一番安らぐ時間だった。 休み時間や昼休み時間に、話す相手がいないのり子は仕方なく教科書を広げた。 独りぼっちで寂しそうと見られたくないのり子は、勉強に逃げた。 勉強などせずに人と話をする努力をすればよかったのに、のり子は勉強という楽な方に逃げた。 だからのり子は学校にいる内にその日の宿題は終わせていた。 それでも時間が余ったから予習・復習を学校でするようになった。 予習、復習をしていたら授業が面白くなってきた。 もともと、国語と音楽が好きだったのり子は、中学に入り、特に数学に目覚めてしまった。 「作者は何を言おうとしているのか」と思いを巡らす国語は相変わらず好きだったが、答えが一つの数学にもとても魅力を感じた。 数学は問題を解く数式を覚えていれば解けない問題はないのが気に入った。 数式は単語カードに書いて、自転車通学の時間に暗記した。 数学の先生がユーモラスだったのも数学を好きになる理由にだった。 のり子は常に数十ページ先を勉強していた。問題を解けたときの快感をまた味わいたくて次の問題をどんどん解いいくようになった。 三学期になると、親戚の子から教科書を譲り受けて、次の学年の勉強をしていた。 数学の授業中、先生が黒板に白墨で問題を書いて振り向き、 「この問題、解ける人!」という「ひと」の「と」が終わるか終わらないかのタイミングでのり子はいつも手を挙げていた。 先生はのり子をチラ見し、ニヤリと笑う。 しかし、すぐにはあてない。 のり子にあてるとすぐに答えが分かってしまうからだ。 だから先生は間違えそうな人にわざと回答させる。そしてなぜ間違ったかをみんなに教えていた。 のり子は先生の意図することを感じていたから、あてられなくても傷つかなかった。 のり子は定期テストでは学年で10位以内にいた。 特に数学はいつも5位以内にいた。 のり子はいつもにこにこしていたから、どうやら「独りが好きな人だからそっとしてあげよう」と思われていたようだと大人になって行われた同窓会の時に分かった。 当時ほとんど話したことが無い人からも「久しぶり~」と懐かしがられた。 どうやら嫌われていたのではなく「独りでいることを邪魔しない」ようにしてくれていたようだった。 だから 友達が欲しい と、心の底から叫んでいたのは誰にも伝わらなかっただけで言えば良かったのだ。 同窓会が終わった時 なぜ当時、勇気を出して声を掛けなかったのかと悔やんだ。 誰も自分を悪く思っていなかったのだが当時はそれが分からなかった。 結局のり子は中学三年間、独りぼっちだった。 独りぼっちだけれど勉強は上位ののり子は地域でも有名な進学校に合格した。 (マウントを取るつもりはありません。高校でそれがはっきりします) 長くなりましたので、続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1777日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  明るい独りぼっち 未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す  ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n4d61d4de9412?from=notice

          ~明るい独りぼっち~ 未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す

          ~明るい独りぼっち~ 未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す

          未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す 中学デビュー【音声と文章】

          入学式の早朝、のり子は自転車に乗り、中学校の玄関に貼られたクラス分けの表を確認しにいった。 「どうか、A君と違うクラスでありますように」 番長的立場のA君から1年間いじめを受けたのり子は小学校を卒業してから今日まで、指を組んで神さまに拝む姿勢を何度もしていた。 眠る時もその祈りは眠りに入るまで続けていた。 そして、彼とは別クラスになったことを知った時、初めて眼鏡をかけたあの瞬間のように、世界が突然明るくなった。 薄暗い夕暮れから一気に朝が来たような感じがした。 これでもう下を向いて歩くことは無くなる。 のり子は嬉しくて嬉しくて、涙を流しながら自転車のペダルを踏み、家に一旦戻った。 入学式には母親と一緒に行った。 私服だった小学校とは違い、今日からのり子はセーラー服で通学することになった。 毎日スカートを履いていく。胸に結んだ青色のスカーフが大人になったようなこそばゆい思いだった。 これで全て上手くいく。 これまで2クラスしかなかった小学校から5クラスある中学に入学した。 学校の周りは小学校の時と同じく田んぼだった。 木造の小学校から鉄筋コンクリート造の中学校。 のり子は遠方の地域だったから自転車通学が許されていた。 これまで6年間通った小学校に比べると全てが「大人」に見えた。 入学式に母は着物を着ていた。 当時、のり子の母は入学式や卒業式には必ず着物を着ていた。 貧乏なのり子の家には洋服を買うお金がない。だから母親はいつも着物だった。 母親は自分で着付けをし、きりりと帯を締めた。襟元もきりっとしていた。 当時は分からなかったが大人になって振り返ってみると、着付けができる母親は凄いと感じる。 母親とのり子は受付を済ませ、それぞれ別々の部屋に行った。 のり子は自分のクラスの教室に入った。 知らない人たちばかりだった。 小学校の同級生の女子は4~5人、同じクラスのはず。 でも彼女たちはまだ来ていない。 のり子はがやがやと賑わう教室の中で一人ポツンと立っていた。 独りでいるところを見られるのが恥ずかしくて、みんなに背を向けて窓の外の景色を見ていた。 一度その体制になると、振り向くタイミングがつかめなかった。 入学式が行われる講堂に入るようにとの指示が出るまで、のり子はずっと校庭を意味もなく眺めていた。 小5までののり子だったら誰にでも明るく声を掛けることができた。 だからそれまでは隣のクラスの女の子とも仲良くできていた。 しかし、いじめを受けた小6の一年間でのり子は内にこもる性格に変わってしまっていた。 虐められていたのり子はいつも下を向いていた。 自分には空がないのではないかと思うほどいつもうつむいていた。 のり子は私に関わったらその子も虐められると思ったから、自分から一人になることを選んだ。 のり子の小6の一年間は「のり子」という私小説の主人公になっていた。 その小説の登場人物はのり子ひとりで、 目線よりも下の世界しかなかった。 虐められても反逆することをのり子はできなかった。 ある意味、虐められるために小学校に行っていたようなものだった。 人との接点を自分から断ったのり子は、人に話しかけるのが怖い人間に変わってしまっていた。 たった一年間でのり子の性格は全く逆になってしまったのである。 中学デビューに期待したのり子だったが入学式当日、そのデビューは失敗してしまった。 気が付いたら周りは何となく仲良くなった人たちがいっぱいで、のり子はその中に入って行けない。 「自分が言った言葉が変だったらどうしよう」 「笑われたらどうしよう」 「またいじめられたらどうしよう。」 そう思うと気軽に声を掛けることが怖かった。 女学生特有の、「二人で行動する」ことがのり子の勇気を出せない理由にもなっていた。 つまり、女子はトイレに行ったり移動教室へ移動する時など、ほとんど二人一組で行動するのだ。 のり子もみんなと一緒に行動したかったが、偶数で行動しているのにのり子が入ったお陰で奇数になると誰かがはじかれるかもしれない。 そうなると、はじかれた子が可哀そう。だからやっぱり自分から声を掛けるのはよそうと思うのである。 体育の時間、「では二人一組になって」と言われる時が恐怖だった。 自分から「一緒にやろう!」って言えない。 いつものり子は「余っていた」。 そして、余った者同士でペアを組んでいた。 昔から音楽が好きだったのり子は中学に入って、ブラスバンド部に入部した。 周りの子たちは友達と一緒に入部してきたが、のり子は勿論、一人で音楽室に行った。 のり子は最初、ホルン担当に決められた。 ホルンのマウスピースだけを持って、廊下に立ち「ぶー」と吹く練習を2~3日していたら、クラリネットに担当替えになった。 クラリネットは竹を薄く切ったリードをマウスピースに縛り付けるような形にして下唇を折って音を出す。 下唇が晴れてしまうのではと当時心配した。 クラスで特に親しい友人を作ることができなかったのり子は、運動会や学園祭など時間割で決められていない自由な時間を過ごす時が一番、困っていた。 黙って机に座っていればいい授業とは違い、仲の良い友達と一緒に行動しないといけない時、苦痛だった。 だから学園祭などのフリーな時間を過ごさなければいけない時は部室に行き、クラリネットを吹いて時間を潰していた。 人より吹く時間が多かったから上達が早かったかというと全くそうではなかった。 のり子のクラリネットはいつもピーピー、キャーキャーという音が多く、一緒に始めた女子は3年生になると丸まった音が出せていたが、のり子は残念ながらきつい感じの音しか出せなかった。 当時ののり子は「学校に入ったら何かの部活に入るのが当たり前。そして、一度入部したらやめないのが当たり前」というガチガチの常識だったから、部活は3年間続けた。 友達を作ることができないのり子にとって音楽室は避難所のようなものだった。 長くなりましたので、続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1775日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す 中学デビュー ※こちらは、このnoteの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n5f12d02dbbb2?from=notice

          未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す 中学デビュー【音声と文章】

          未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す 中学デビュー【音声と文章】

          未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す【音声と文章】

          未来を知るために、過去のネガティブな経験を徹底的に洗い出してみよう。 ネガティブな過去だけを時系列で洗い出してみることにした。 たぶん、小5まではそれほどネガティブな思いはしていなかったような気がする。 のり子はそれまでクラスの女子の人気者だった。 毎日が楽しくていつもニコニコしていた。 勉強も運動もできていた。 小6になって、クラス委員長を決められた時にのり子の人生の矢印は大きくうねった。 のり子の学校は6年間、クラス替えをしなかったから、5年生までクラス委員長は野球部のピッチャーをしていたA君がしていた。 6年生の時も彼がするだろうとのり子は思っていたが、なんと、女子からの推薦でのり子がクラス委員長になってしまった。 女子が男子よりも数人多いクラスだった。 のり子は結果が出た時に辞退したいと言ったが結局それは叶わなかった。 それまでは、将来、A君のお嫁さんになれたらなぁと淡い恋心を抱いていて、A君ものり子に優しかった。 しかし、クラス委員長にのり子が抜擢されてから、A君はのり子を虐めるようになった。 内履きを隠されたり、ランドセルを踏まれて底が曲がってしまったり、机の蓋を割られたり。 「わーい!臭い、臭い、あっち行けー」などの言葉の暴力もあった。 悲しかったのは、彼は学校の中で一番の人気者だったから、彼をとりまく男子たちがたくさんいて、その子らものり子を虐めた。 そして、1年生や2年生など、全く知らない子ども達までが、彼の真似をしてのり子に小石をなげたり、言葉の暴力を浴びせていた。 現代だったらここで「不登校」になるだろう。 しかし、昭和40年代のその頃はたぶん「不登校」ということがまだ一般的ではなかった。 のり子の常識の箱には不登校という言葉は入っていなかった。 学校は休まずに毎日いくものだ。 そう思っていたから、のり子はそれでも毎日学校に通った。 虐められるために学校に行っていたとも言える。 また、虐められていることを家の誰にも言えなかった。 貧しくて毎日朝から晩まで働いている母に余計な心配を掛けたくなかったからだ。 大人になって当時のことを母に言ったら 「知らなかった。教えてくれれば良かったのに」と言われた。 女子のアイドル的立場だったのり子に救済の手が無かったわけではない。 学活の時間に「先生、A君がのり子さんをいじめています」 そう、いってくれた子がいた。 のり子は思わず彼女の方をチラ見した。 嬉しかった。これでいじめはなくなるかもしれないと思った。 しかし、「Aくんはのり子さんが好きだからイジメているんだ」という結論で担任は学活を終わらせたのだ。 それはたぶん、本当だとは思う。 恐らく自分の胸の内を無神経な先生にさらされてしまったからだろう。その後、Aくんからのいじめはエスカレートしていった。 のり子は他の女子に被害が及ばないように他の女子たちから離れて一人になった。 小学校の一番の思い出になるはずだった修学旅行は、A君からなるべく見えないようにいつも気を使っていて全く楽しくなかった。 そしてA君は周りの男子よりも体が急成長し、綺麗だった肌はニキビだらけになり、身体の発達に心が追いついていないというのがのり子にはなんとなく感じ取れた。 彼は「番長」的立場になり、他校の「番長」と喧嘩をするようになった。 その、身体と心の不釣り合いのモヤモヤした感情をのり子にぶつけているとのり子は解釈していた。 だから、彼は可哀そうだと感じたからのり子は彼を恐れはしたが憎むことはできなかった。 中学に進学する時 「どうか、彼とは別のクラスになりますように」と真剣に、真剣に神さまにお願いをしていた。 そして、クラス発表の貼り紙を見に行き、彼とは別クラスだと分かった時、世界が輝き始めた。 初めて眼鏡を掛けて「こんなに世界は明るいのか」と驚いた、その瞬間に匹敵した。 これで何もかも好転する。 そう思った。 しかし、現実はそれほど甘くはなかった。 長くなりましたので、続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1775日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す

          未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す【音声と文章】

          未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す【音声と文章】

          私は私という身体を借りて、何をする人なのだろうか【音声と文章】

          仕事が終わったら、久々に旧友に会えると思えば仕事中は楽しく過ごせる。 仕事を早く終わらせようと意識し、生産性も上がる。 逆に、仕事が終わったらちょっと小難しい親戚のところへ訪問しなければいけないという日は、仕事中、嫌な気分で過ごす。 すると生きることが苦痛に感じられ、今の瞬間を精いっぱい生きることが不可能になる。 前者は旧友に会うという目的を持っているから生き生きとしている。 後者は嫌なことが控えていると思いながら過ごすから、生きること自体が苦痛になる。 「生きること」は誰かの人生の真似をするのではなく、迷いながら、傷つきながら、小さな喜びを感じながら、何を選択し、何を捨てるのか、その都度、自分で決める、その繰り返しだと思う。 だから、それぞれの人生に同じものはない。 567はまだ終息はしていないが、一時期よりは収まってきている。 新しい時代に自分がどのように対応していくのか。 どのように脳内プログラムを更新していくかが重要になってくる。 ただの義務感や生存欲求だけで生きていると、人の免疫や生命力は弱まってくる。 だから、ただ「生きること」を目的にしていると「なんか楽しくない」「モヤモヤした気分」になる。 私は私という身体を借りて、何をする人なのだろうか。 生きる目的を考えてみよう。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1774日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  私は私という身体を借りて、何をする人なのだろうか

          私は私という身体を借りて、何をする人なのだろうか【音声と文章】

          私は私という身体を借りて、何をする人なのだろうか【音声と文章】

          その願いは叶ってしまう その2【音声と文章】

          70代の社長はことあるごとに内線でのり子を呼び数時間、お話をされていた。 のり子には直属の上長がいたが、社長から呼ばれるのはのり子の方が多かった。 社長のお話があった日は残業をしてその日の予定をこなしていた。だからのり子は頻繁に残業をしていた。 「社長に呼ばれて話をお聞きするのが無くなったらいいのに」 のり子はいつもそう思っていた。 やがて、社長が退任され新社長の体制に変わった。 新社長はのり子が前社長から呼ばれて長時間お話を聞いていたことをよく知っていたから 「私はなるべくそうしないようにします。」 とおっしゃった。 それはありがたいとのり子は思った。 社長が交代されてあっという間に1年が経った頃、のり子は、以前との違いを感じていた。 それはのり子の残業が極端に減ったということだ。 それはのり子の残業に対する意識が変化したからである。 以前ののり子は、ちょっとしたことで残業することを受け入れていた。 「今日はここまでしたかった。でも、社長に呼ばれて時間が無くなってしまったから、その分残業して予定のところまでをしよう。」そう思って、安易に残業することを選択していた。 しかし、「それは今日、残業してでも終わらせないといけないことなのか。通常の1.25倍の賃金を掛けるだけの重要性と緊急性があるのか。」とのり子は常に自分に問うようにした。 残業時間は日中よりも疲れていて体力や集中力も落ちている。 体が疲労してベストと言う状態ではないのに、賃金は日中の1.25倍が支払われる。 以前ののり子だったら残業代が入ってくるのだからと残業することに何も抵抗はなかった。 「社長のお話があったから仕方ない」として、残業を他者のせいにしていた。 のり子の会社は製造部門を除いては、残業をするかしないかは個人の判断になっている。つまり、上からの指示で残業することはほとんどなく、残業をするかしないかは各自の判断なのだ。 「私は残業手当をあてにした仕事はしたくない。それより少しでも早く帰宅してリフレッシュしたい。」 のり子はそう考えるようになっていた。 だから、「今、やってもいいし、やらなくてもいい仕事」を以前だったら残業してやっていたが今は残業しないことにしている。 必要な時だけ残業するように自分で自分を律するように心掛けている。 残業しない分、日中は以前よりも真剣に仕事に取り組むようになった。 そういうのり子の意識改革が残業時間を少なくした原因のひとつになっている。 しかし、のり子の努力以外のところでものり子の残業が減った理由がある。 それは、社長に呼ばれることがほとんどなくなったということだ。 以前は突然呼ばれて2~3時間がすぎていたが、今はほとんどそれがない。 これまでののり子は前社長の秘書的立場にあって、社長の手となり足となっていた。 しかし、PC入力が普通に出来る50代の新社長になられてからは、書類作成のために社長から呼ばれることはほとんどなくなった。 また、社内の体制が変わり、のり子は直接社長に接することはほとんどなくなった。 これまでは社長から内線で呼ばれて仕事をお受けしていた。 また、社長にお聞きしたい時はすぐに社長室をノックして直接社長にお聞きすることができた。 しかし、新社長はそれを変えられた。 社長からのり子へ指示する時は 社長からのり子の直属の上長へ話をし、それを上長がのり子へ伝える。 そしてのり子の返答を直属の上長へ伝え、上長が社長へお伝えする この様に変わったのである。 また、のり子が社長に確認したい時は のり子が直属の上長へ話す。 上長が社長へ話す。 社長から上長へ返事がある。 上長からのり子へ連絡がある。   この順番になり、のり子は社長に直接お聞きすることはなくなったのである。 社長にほとんど呼ばれなくなったのり子は仕事を中断されることが無くなり、仕事が捗るようになり、改善されたと思うかもしれない。 しかし、時間的には改善されたが、のり子の心の中は暗く重くなった。 どういう事かと言うと これまで車両やPCの入れ替えやリース契約、人事異動など、数か月前に社長からのり子に話が来ていて、社内の動きが事前に把握できていた。 しかし、新体制になってからは突然、契約済みのリース契約書が上長から渡されるなど、のり子の知らないところで既に事が済んでいるようになった。 取締役でも何でもないのり子が社内のマル秘情報を早めに知ることができたのは前社長がいらっしゃったからのこと。 これからは、既に決まったものを渡されそれを処理するだけになってしまった。 それを初めて体験した時、のり子はとてもショックだった。 自分の役職は変わっていないのだが、のり子は「蚊帳の外の人間」になったのだとその時、悟った。 「私はワードの入力はできない。でも、頑張って習えばできないことはないと思っている。 でも、経営者の仕事はワードできれいな書類を作ることではないのだ。 会社を存続させることが私の任務だ。 だから、書類作成はワードができる従業員に任せればいい。 これは全ての仕事にも通じることだ。 いいか、会社は人が命だ。 人を生かすも殺すもトップの考え方ひとつだ。 トップが自分で何でも握ってしまっては駄目なんだ。 任せられることは任せる。 任せられた人は一生懸命に仕事をし、自分でも会社に貢献できているという気持ちが湧き、従業員の士気が上がる。 だから、トップはいかに人に任せられるか、それが重要なんだ。」 前社長のお言葉が思い出される。 トップが代われば社内の体制も変化する。 それは当たり前のこと。 世の中は常に動いている。 過去がどうだったかは関係ない。 変化への対応が鍵なのだ。 「社長に呼ばれて話をお聞きするのが無くなったらいいのに」 という のり子の願いは叶ってしまったのである。 あなたの願いはどんなこと? 気を付けて その願いは叶ってしまうから 今回のnoteは、こちらの続編です。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n69ce63b34aec?from=notice 【その願いは叶ってしまう】 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1773日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  その願いは叶ってしまう その2

          その願いは叶ってしまう その2【音声と文章】

          その願いは叶ってしまう その2【音声と文章】

          その願いは叶ってしまう【音声と文章】

          口にしたり文章にした願いは叶ってしまう とよく言われている。 のり子は65歳になったら家を建て替えたいと思っていた。 そしてA4のコピー用紙に筆ペンで、建て始める日と完成日を書いてそれを自分の部屋の見えるところに貼っていた。 その頃は、全く建て替えられる資金も土地もなかったのに、目標だけは掲げていた。 新居を建てるには隣の空き地を取得する必要があった。 父は何度か土地の所有者に「売ってほしい」とお願いをしていたが全く脈無しの状態が続いていた。 しかし、のり子の父親が無くなって数年過ぎた頃に、向こうから「買ってほしい」と連絡が来て購入することができた。 土地を取得できた。あとは予定の65歳になったら家を建て直そうと思っていた。 しかし、思いもかけない事態が起こり、のり子が願っていた予定日より5年も早く家を建て替えることになった。 家を建て替えるという、のり子にとっては壮大な願いは簡単に叶ってしまったのである。 家を建てるという、できそうにもない事も願ったら叶ったのである。 そして最近、別の叶った願いに気が付いた。 それは残業時間を少なくしたことである。 以前ののり子は突然残業になることが多く、毎日帰宅時間が遅めだった。 その原因はいくつかあるが、その中の一つに、社長のお話をお聞きすることが残業の理由で大きく占めていたと思う。 社長はPCで検索はできるが文章の入力はできない方だった。 だから、書類を作りたい時はのり子を呼び、のり子は社長のご要望をお聞きし書類を作成していた。 社長は思い立つとすぐに実行に移す方で、のり子は一日に何度も内線で呼ばれ、社長室に行くことが多かった。 そして、社長は話し出すと1時間はあっという間に過ぎてしまう方だった。 70代の社長は頭脳明晰で同じ話を繰り返すような方ではなかった。 社長は経営のことを常に勉強されていらっしゃる方で、社長のお話を書き留めたのり子のメモ帳はあっという間に何ページも埋まっていた。 書類作成の話だけではなく たとえばいつ頃にどんな車両を入れ替えたいとか 〇〇さんを来期から取締役に抜擢し、その代わりに△△さんを降格させるとか 来月の賞与の総支給額は前年比〇%にする予定だとか 〇月〇日にゴルフコンペに参加され、一緒にまわられる方はこういう方だとか 小さなことから大きなことまでお話して下さる方だった。 人事関係も担当しているのり子は、口が堅いから社長はのり子に何でも話されていた。 たぶん、社長は自分の思い付きなどを一旦口に出して見てそれを俯瞰するためにのり子に話されていらっしゃるのだろうなと思う時もたくさんあった。 のり子はそれをメモしながらずっと立って社長のお話を聞いていた。 のり子は社長のお言葉を絶対否定しないから、 社長はどんどん、お話をされていかれた。 だから、社長室に呼ばれるとあっという間に2~3時間が過ぎてしまう。 社長室を出る時は、ひざが曲がりづらく、ロボットのような歩き方で社長室から自分の席に戻る。 「のり子さん、また社長に呼ばれていたね。社長、話が長いからなぁ。」 営業の大先輩が小声でのり子を労う。 そんな時、のり子はニッコリ微笑むだけ。 一日8時間の労働時間の中で、2時間くらい社長のお話をお聞きしたら、その分、自分の仕事ができない。 それが一日に数回、社長に呼ばれた時は、ほとんど自分の仕事が終わらない。 どうしてもその日にやらなければいけないことをするために残業するしかなかった。 だから、当時は毎日突然残業が発生していた。 「社長に呼ばれなければ残業が減るのになぁ。」 残業すれば残業手当が支給される。 だからそれをあてにして残業している人もいる。 しかし、のり子は残業を良しとはしていない。 できれば定時であがりたい。 残業手当をあてにはしていない。 それよりも1分でも早く帰って、家事・掃除・自分の事をしたいと思っている。 「社長から呼ばれることが無くなったらいいのにな。」 それは無理なこと。 そう思いながらも、そうなればいいのにとのり子は思っていた。 ※長くなりましたので続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1772日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  その願いは叶ってしまう

          その願いは叶ってしまう【音声と文章】

          その願いは叶ってしまう【音声と文章】

          純粋だったあの頃【音声と文章】

          ※鼻が詰まりお聞き苦しくて申し訳ございません。 防音設備が万全のその部屋は、グランドピアノが置かれた全体の部屋と、その奥にはアルト、メゾソプラノ、ソプラノの各パートの練習室があった。 それぞれの部屋にはアップライトピアノがあり、入り口のドアはとても厚くて重かった。 コンサート会場でよくみられる、縦に木が何本もある壁になっていて、完璧に近い防音設備の為に隣の部屋の音はほぼ聞こえない。 メゾソプラノののり子たちは真ん中の部屋に入った。 まずはコンコーネ。最初の音をピアノで出す。 パート長が右手を胸のあたりにあげ、「ハイッ」と言うと一斉にピアノ無しで歌い始める。ピアノの上に置いてあるメトロノームがカチカチと規則的に動くだけで、生徒たちはそれを目安に歌う。 途中、パート長が止める。 「ソード-のドーをあと3分の1程度上に。ハイッ!」 また歌い出す。 その後、課題曲を練習する。 何度か同じところで止められ繰り返す。 予定の時間になり、各パートの人たちは全体の部屋に集まった。 この部屋は防音の他に、良い響きの空間になるように特別に作られていた。 のり子たちは白いシャツに赤い棒ネクタイ。 紺色のスーツ。 左胸のポケットから赤色の生徒手帳が数ミリだけ見えている。 崩れた格好の人はいない。 そんな学生服を着た女子高生達がグランドピアノを前に並ぶ。 先生の指揮棒が振り落とされる。 「さぁぁぁい~」 「さぁぁぁい~」 まずは発声練習から。 その音は半音ずつ上がってゆく。 一通り終わったところで先生が指揮棒を構える。 いつ見ても怖い。 先生はいつも完璧を求めている。 音が外れるとこちらをギロリと睨む。 のり子は先生に睨まれると胃の後ろのあたりがヒヤリとした。 握っている手に汗を感じた。 60数名の中で誰の音程が外れたかはすぐに分かってしまうのだ。 それは先生だけではなく隣の人にもバレバレだ。 先生は県内はもちろん、全国的にも一目置かれている方だった。 音楽に対して厳しい方で自分が納得しない事には絶対意見を曲げない強い方だった。 けがれのない女子高生にとって独身のその先生は憧れであり、神であり、誇りだった。 この合唱団に入りたいために県内でも有名なこの進学校に入学してくる生徒が毎年何人もいる。 その先生の指導の下、この高校の合唱団は2~3年に一度くらいの確率で全国大会に出場している。 全国大会ではダメ金で何度か涙を流した。 地域大会、県大会、地方大会を全て金賞で飾り、その年も全国大会の出場が決まった。 今年こそは金賞の歌声を会場いっぱいに響かせたい。 指揮棒が振られピアノの演奏が始まった。 その年、のり子達は「吹奏楽甲子園」と言われる、東京の普門館で行われた全国大会に出場した。 普門館はその後、2018年に耐震問題でその歴史の幕を閉じた。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1771日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  純粋だったあの頃

          純粋だったあの頃【音声と文章】

          純粋だったあの頃【音声と文章】

          ビジネスの舵取り【音声と文章】

          会社と言う小さな組織の中で「自分は出来る人間だ」と思っているのは、大きな勘違いだと思う。 自分で舵をとっていると思っているが、それは子どもが小さな船の遊具に乗り、舵をとって遊んでいるようなもの。 実は別室の大きな操縦室で会社のトップがその船の舵を握っているのだ。 それが勘違いだったかどうかは、自分のビジネスを立ち上げた時に分かる。 起業は「会社員」という守られた世界から「ビジネス」という大きな海原に小舟が放たれたようなもの。 マイビジネスは自分で舵取りをしていかなければいけない。 大波に揺られながら航海を続けられる人だけがビジネスの世界で生きていける人だと思う。 会社員を長年続けてきて、ある程度の成果を上げられている方は、 「これまでたくさんの難題にも負けずに私はここまで来ることができた。 だからこれからも自分はできる」 と過信している人が多い。 ビジネスは覚悟がないとできない。 会社員は頑張らなくても給料が支給される。 しかし、ビジネスは行動しないと結果に繋がらない。 行動したからと言ってもすぐには結果が出ないことも多い。 一年間の収支計算をするこの時期 マイビジネスで うまく舵をとられていらっしゃる方々を尊敬する。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1770日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ビジネスの舵取り

          ビジネスの舵取り【音声と文章】

          ビジネスの舵取り【音声と文章】

          ひとりの時間【音声と文章】

          .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+ のり子が帰宅したら家中が真っ暗だった。 いつもなら居間か二階の三女の部屋に電気がついているはずなのに。 寝ているのかな? のり子は玄関のドアを閉め、重いバッグを床に置き階段を上って三女の部屋に近づいた。 あと3段というところで三女の部屋のドアの隙間からもれる暗闇で思い出した。 そうか、今夜は長女の運転で二人はお出かけしてくると言っていたんだった。だから玄関の鍵は、いつもなら一つだけなのに今日は2か所に鍵がかかっていたのだと、やっと気が付いた。 誰かが在宅中は一つしかカギはかけないのだ。 のり子は階段を上り切ってから再び階段を下り、キッチンに入った。 野菜スープがお鍋に入っていた。長女が作ってくれたらしい。そういうところが長女らしい。 ありがとう。 そうだった。 今日二人は高速道路で片道2時間の映画館に行っているのだった。しかもその上映時間は夕方からだから当分帰ってこない。 ひとりで夕食をいただきながら気づいた。 それだったらまっすぐ帰宅しないで文房具の専門店に寄ってくれば良かったと思った。以前から指サックの消耗が激しくて買い替えたいと思っていた。 でもその専門店は帰り道と逆方向で少しでも早く帰宅したいと思っているのり子だから、その内、と思っていたのだ。 お風呂から上がり髪を乾かしながらのり子は思った。 久しぶりの一人の時間だ。今日はいつもと違う時間の使い方をしよう。やりたいことをしようと思った。 のり子は爪を切り、好きな人の動画を観ながら薄付きのピンクのネイルを塗ることにした。 それは次の指サックをどうしようかと迷っていたからだった。 指先にハートがついていてラメがキラキラしている指サックを買おうか、はたまた使いやすいいつもの指サックにしようか迷っていた。 使いやすい実用的な指サックが一番仕事が捗るのは知っている。 あのハートがついているのを以前使ってみたがのり子の指には華奢すぎて、実用的ではなかったのだ。 それでもそれにまだ未練があるのは、指先を動かすたびに指先がきらきら動き、心が躍るのである。 この年になっても、綺麗な指先に心がときめくのである。 そして、ふと思った。 そうか、マニキュアを塗って普段使っている指サックを使えば綺麗でそれでいて仕事が捗るんだ。 そうだ、マニキュアを塗ろうとのり子は思った。 普段、真っ暗な時間に会社から帰宅するのり子は、マニキュアを塗る心のゆとりが無かった。自宅と会社の往復の毎日でいかに自分は自分を満たしていないか分かる。 動画を流しながらマニキュアを塗っていった。動画の音はするがのり子の心の中は静かに過ぎていった。 がやがやと周りはうるさいのに自分のまわりには結界のようなものが張られていて誰にも触られない世界にいるような感覚だった。 のり子は薄いピンク色に染まった指を眺め悦に入った。 久しぶりに一人の時間を堪能し、たまにはこんな時間も良いものだと感じた。 21:20頃 カチャリ。 玄関が開くと同時に話し声が聞こえた。 長女と三女が帰宅したのだ。 「ただいま~。お母さん、これ、食べる~?」「おかえり~。うん!食べる!」 大きなポップコーンを長女が差し出す。 のり子はその中に手を突っ込み一握りのコーンを口に頬張る。 「ありがとう!美味しいね!」 「でしょ!」 三女が着替えのために二階へ向かった。 そのうしろ姿にのり子はハッとした。 普段は長髪を後ろで束ねているだけの三女が、久しぶりのお出かけということで、ロングヘアを下ろして、上の一部だけ三つ編みにしていた。 女性ののり子が見てもドキッとする美しさを感じた。 普段もいいけれど、たまにおしゃれも楽しもう。 のり子はそう感じた。 娘たちとの会話が始まりいつもどおりの賑やかな我が家に戻った。 さっきまでの静寂はもうない。 のり子はその日、久しぶりに一人の時間を堪能した。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1767日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ひとりの時間

          ひとりの時間【音声と文章】

          ひとりの時間【音声と文章】

          弥生の大雪【音声と文章】

          「あっ、忘れてた!」 空からそんな声が聞こえてきそうなこの数日間の雪。 もう三月なのに 季節外れの大雪に見まわれている。 「今年は雪が少なくて過ごしやすかったよねぇ。」 そう言い合っていた話がうたた寝していた空に聞こえたのかもしれない。 会社を出てから30分位、駐車場で車の雪払いをした。 https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2024/03/20240304_170839-scaled.jpg https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2024/03/20240304_171639-scaled.jpg https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2024/03/20240304_171432-scaled.jpg https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2024/03/20240304_171023-scaled.jpg 「だから冬はガソリンがすぐになくなるんだよなぁ」と独り言を言いながらやっていたら 「まだいたんですか~」とAさんがやってきた。 とっくに過去の人と思っていた人が駐車場にまだいたのである。 「これは帰ったらまずは雪かきだな。」 私は覚悟して車を走らせた。 こんもり積もった深いわだちに従いながらハンドルを切り我が家の敷地内に入る。 https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2024/03/20240305_050623-scaled.jpg https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2024/03/20240305_050605-scaled.jpg すると外灯を頼りにママさんダンプを繰る三女の姿があった。 下がグレー、上がクリーム色のスキーウエアに赤いママさんダンプ。 熱気で濡れたマスクがどれだけ長い時間やっていたのかが分かる。 「ただいま~。鞄、置いてきたら私もすぐに手伝うから~。」 「いいよ、もう終わり。お母さん、来なくていいから。」 そっけない態度にちょっとショボンとする私。 三女はまたママさんダンプを押しながら庭の奥へ向かっていく。 口下手な三女の精いっぱいの愛情表現だと分かっている。 私よりもか細い体なのに雪かきをしてくれているんだ♪ いつもありがとう 雪国の冬はあちこちで「ありがとう」が溢れている。 今年はそれがもう少し続くかもしれない。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1767日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  弥生の大雪

          弥生の大雪【音声と文章】

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