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高校の合唱団 【音声と文章】

山田ゆり
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入学したら部活動は必ず入るもので、入部したら絶対に辞めずに卒業まで続ける事。

のり子の当時の常識はそうだった。
だからのり子は部活に入ることは当たり前だった。


校門に入ると上級生が待ち構えていた。「合唱部に入りませんか?」
漫画でこういう「部員の客引き」の図を見たことはあったが、その光景を実際に目にすることは、のり子は今までなかったので、「へー、高校って大人の世界だなぁ」と感じた。

部活の客引きは見たところ合唱部しかなかった。
のり子もその人たちに声を掛けられたがニコッと笑顔を返しただけだった。


中学時代、吹奏楽部でクラリネットを担当していたのり子は高校でもクラリネットを続けようと思った。全く下手だったが、それでも理想の音色は頭の中にあったから。


しかし、その高校には吹奏楽部が無かった。
仕方なく、音楽つながりの合唱部に入ることに決めた。


のり子が校門での客引きに応じなかったのは、その客引きに応じていたら「客引きにつかまった人」という感じになり、自分の意志で入部したのではなく、「引っ張られて入部した人」という感じに思われるのが嫌だったからだ。


あんなに人に話しかけられず意気地なしなのり子なのに、なぜか部活に対してはプライドがあった。



そしてのり子が入部して最初に驚いたのはどうやらこの合唱部は有名らしいということだ。

周りの人の話を聞くと、地域大会や県大会での合唱コンクールでは「金賞」が当たり前で、地方大会もほぼ金賞をとり、数年に一回は全国大会に出場しているという、合唱ではかなりの有名校だということを知った。

そしてのり子が入学した前年にも全国大会に出場し、惜しくも銀賞だったということだった。
だから今年も全国大会へ行こうという活気で部活内は上昇気流に乗っていた。

県内で一番の進学校に入学できる学力をもっているのに、この学校の合唱部に入るために、ワンランク下のこの進学校に入学してくる人がいるほどだ。


また、のり子と同じ学年で、自宅の近くに自分のレベルに合う高校があるのに、下宿を借りてわざわざ遠方のこの学校に入学して合唱部に入った子もいた。


のり子はこの学校のことを何も知らずに入学していた。

のり子の母親が、「将来はこの学校に入って、卒業したら日本電信電話株式会社に入社してほしい」と、のり子に小さい頃から言っていて、のり子はそれを忠実に守ってきたのである。

だから、進学先にどんな部活があるかとか、何年の歴史があるとか、どんな著名人が卒業生でいらっしゃるかなんて全く知らなかったし、調べようともしなかった。


ただ母親を喜ばせたくてこの進学校に入っただけだった。



のり子の入った合唱部は、対外的には「合唱団」と名乗っていた。

県内や地方では一目置かれている合唱団だった。


もともと歌が好きだったのり子は気楽に入部した。
しかし、実際に先輩方の歌声を聴いて心が震えてしまった。

ハーモニーの美しさにこんなに感動するものなのかと思った。

自分もその感動させる一員になれると思うとワクワクした。


全国大会の常勝校だからなのか、その学校の音楽室はとても充実していた。


グランドピアノがある全体室と、奥にはソプラノ、メゾソプラノ、アルトの各パートごとの練習室があった。

その練習室には箱型のピアノがあった。

そしてその音楽室の凄いところは防音設備がしっかりと施されていた。


思いどっしりとしたドアを引っ張って各パートの練習室に入る。


コンコーネやコールユーブンゲンでまずは声出しをする。

微妙な音程のずれを感じ、お互いが正しい音に近づけていく。


中学の三年間、いろいろな楽器の演奏を耳にしてきたのり子は、演奏のない、声だけの音楽がこんなに透き通って、清純できれいな世界だとは知らなかった。


のり子は先輩たちと同じになりたかった。
だから、体調が悪くて保健室で放課後まで寝ていても、部活だけは休みたくなかったから、保健室から部活に向かうことが何度もあった。


合唱部は毎日朝練があり、運動部並みの文化部だった。


学校の講堂のステージで二人一組になり、腹筋・背筋・足投げを各100回、行っていた。
それが終わってから校庭を走りスポーツ部並みの練習をしていた。
皆はさぼる人もなく、一緒に朝練をしていた。

だから全国大会まで行けるのだとのり子は先輩方の背中を追いかけながら走っていた。
その学校の合唱部が秀でていたのは音楽の先生のお陰である。
カリスマ的な存在のその先生は自分が求めている音楽を追求する方で、いい加減なところで手を打つような方ではなかった。ユーモアがあり、しかし、一旦、指揮棒を上げたらその眼差しは怖いものがあった。

その先生の目に負けないように女生徒たちは真剣に音を重ねて行った。



放課後の練習で、たまに講堂で練習があった。
講堂のステージで肩幅より少し大きく足を開いて一人で立ち、両手を胸のあたりにもってきて、オペラ歌手が歌うような感じで歌うのである。勿論、アカペラで。


客席にはみんなが見ている。
中には堂々と歌っていて、歌うのが楽しくてしょうがないという気持ちがほとばしってくる先輩が数人いらっしゃった。


そんな中、のり子はステージに上がって声を出しても、逆さに吊るされた鶏のような声しか出せなかった。

そんなに緊張しなくても良かったのにと大人になったのり子が当時を振り返って思うのだが、あの当時は、ただただブルブル震えていて、お腹に力なんて入らず、声は喉にだけ力が集中し、全然ダメだった。

自分の力以上によく見せようというはしたない気持ちが裏目に出ていたのかもしれない。


そんなのり子は合唱部にうまく貢献できているのかどうかは疑問だったが、2年生の時に、全国大会へ出場した。

今はないそうだが、その年は東京の普門館で全国大会が行われた。


のり子達は学校が手配した大型バスで東京に向かった。

合唱部の素敵なところは、バスの中でも合唱ができることだ。
しかも貸し切りだから、他の乗客はいない。


大会出場の帰り道は、みんな解放感からかいろいろな歌を三部合唱する。勿論演奏無しで。


バスの中は重厚な音の世界になる。ミルフィールのような世界に自分がいる。それだけで幸せだった。


クラスでは友達がいないのり子だったが、合唱部では気の合う人がいてその人とは笑いながら話をすることができた。


クラスに友達がいないのり子だったがのり子は部活動を続けていたから、心を壊すことなく学生時代を過ごすことができたのだと思う。





長くなりましたので、続きは次回にいたします。




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~高校の合唱団~
未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す 



※今回は、こちらのnoteの続きです。

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