見出し画像

「境界知能」のうさん臭さ

数字を出す人ほど数字の意味を知らない

境界知能というのはいわゆるWAIS(成人用ウェクスラー式知能検査)というペーパーテストの結果が悪かった人のことを言います。

知能指数(いわゆるIQ)に関して昨今話題に上がっているので、WAISによるIQの算出法や境界知能という言葉の意味も改めて調べてみました。

(というか、ペーパーテストの得点など、学校出た後に何の意味があるの?とも思っています。自分が過去に受検したのも、発達障害の薬を試してみたかったからです。)

境界知能とはWAISで測定する知能指数(IQ)が75~80の人ことですが、肝心のIQの分布を調べてみたら、のようになっていました。

IQの分布

この図、大学の確率統計の演習でよく見た形だな、と思ってIQというものの計算方法を調べてみたら、予感が的中しました。

これ、大学受験でテストの点数から偏差値を算出する公式と同じなんですよ。

・aさん:受検者
X:受検者全体の集団(母集団といいます。年齢別に分けられています。)
として、

aさんのIQ =
{(aさんのWAIS得点 - X全体の平均点)/ Xの標準偏差 }× 15 + 100

標準偏差というのは、「母集団Xの得点分布にどれだけバラつきがあるかの指標」で、バラつきによって標準偏差も大きくなります。

※ちなみに受験偏差値は、

aさんの偏差値 =
{(aさんの模試の得点 - X全体の平均点)/ Xの標準偏差 }× 10 + 50

数字の部分以外まったく同じですね。

この公式の何がバカバカしいかというと、これで受検者全員のIQを計算してグラフ化すると、上記の左右対称山型グラフに絶対になるんです。
(統計用語で正規分布といいます。)

その上で、IQ75~80を「境界知能」と名付ければ、母集団Xの約14%は自動的に該当するんです。

自分の点数というより、周りが何点取っているかで決まるんです。

つまり相対評価です。

学校の通知表と同じです。

通知表は、5段階評価の1をつけられる生徒は何人、2をつけられる生徒は何人… と、あらかじめ人数が決まっているものです。

つまり、自分の点数そのものではなく、あくまで周囲との比較で、下から数えて16%は境界知能または知的障害と勝手に名付けられるのです。

高IQにしろ低IQにしろ、SNSで聞かれてもいない自分の数字を公開してる人、

IQの数字がどう算出されるかきちんと理解してます?

受検者が変わるとIQの意味が変わる

周りの得点で自分のIQが変化する。
じゃあ、母集団Xってどこの集団ですか?

これがよく分かりません。

そもそもどこのクリニックで受検しても母集団は同じなんでしょうか?
たまたまペーパーテストが得意な人が集まってるケースってないんでしょうか?

いちおうWAISは国際規格なので、基準のデータベースがあってどこで受けても同じ、という可能性はあります。

でも国際規格なら、教育水準の低い発展途上国も母集団に含むのでしょうか?

アフリカの奥地まで行って、現地語に訳したWAISのテストをそれなりの人数に受検させているとは考えにくいですね。

また、僕は中学校で知能試験を受けさせられましたが、その後廃止になったようです。

なので現在では、WAISはそもそも発達障害の疑いがある人が受けるものじゃないでしょうか?

であれば、平均的な日本人(あるいは人類)全体とは相当な違いが出てきますよね?

WAISを受けた人は、IQ100を境に、自分は平均より優れてるとか劣ってるとかよく考えがちですが、その平均とやらは全人類から均等に選んだ集団の平均とは程遠いと思いますよ。

これが の記事でも解説した「統計のウソ」というやつです。


高けりゃいいってものでもない

IQはいくつかの項目に分かれますが、著しく高い項目があっても、他の項目が低いアンバランス状態であるとかえって困り事が増えます。

たとえば、
言語理解IQが高い人にありがちなのが、頭に浮かんだものについて勝手に脳内で分析を始める現象です。

五感で感知したもの、そこから連想したもの、とりあえず膨大な知識を駆使して考え事を始めます。

そこで視覚理解の能力が低かったらどうなるでしょう?

車の運転に集中できません。

また、誰かと喋っていても、相手の表情から感情を察知できず延々とトークを引き延ばします。結果として痛い人になります。

この場合、言語理解の能力は平均か、視覚理解と同程度の方が、車の運転に支障をきたさないし、優秀と思われなくとも普通の人間関係が築けそうです。

煽るつもりはありませんが、こういう事を考えたことある人、意外といないんじゃないですか?

おわりに

昨今、境界知能という言葉が差別的言辞として取り沙汰されるのをSNSでよく見かけます。

また、当事者が何かの免罪符のようにしているのも散見されます。

そういった人たちが、本質をきちんと理解しているか疑問だったので自分の見解を書いてみました。

善きにつけ悪しきにつけ、統計って権威のメッキに分厚くコーティングされていて、本当に危険です。

どうか気を付けてください。


(目次へ戻る)



頂いたお金は新しい治療法の実験費用として記事で還元させていただいております。 昔の自分のようにお金がない人が多いと思いますので、無理はしなくて結構です。