見出し画像

「戦時の嘘」に描かれた戦争プロパガンダ⑪~「戦時の嘘」の「嘘」

前回はこちら。

 第一次世界大戦中、意図的かどうかにかかわらず、多くの虚偽情報が流布した。では、これらの虚偽を暴き、プロパガンダを断罪すれば真実に近づけるのだろうか。「嘘と真実」をめぐる関係は決して単純ではない。


「アントワープの鐘」

「戦時の嘘」の第18章では、プロパガンダがどのようにつくられるのかの鮮やかな事例が載っている。1914年のアントワープ陥落についての新聞報道の変遷である。

「アントワープの陥落が知られると、教会の鐘が鳴らされた」――「ケルン新聞」(独)
「ケルン新聞によると、要塞が陥落した時、アントワープの司祭たちは教会の鐘を鳴らすことを強要された」――「ル・マタン」(仏)
「『ル・マタン』紙が得たケルンからの情報によると、アントワープが占領された際、教会の鐘を鳴らすのを拒んだ司祭が職を追われた」――「タイムズ」(英)
「『タイムズ』紙がケルンからパリ経由で得た情報によると、アントワープが占領された際、教会の鐘を鳴らすのを拒んだ不幸なベルギー人の司祭は、重労働の刑に処された」――「コリエーレ・デラ・セラ」(伊)
「ケルンからロンドン経由で『コリエーレ・デラ・セラ』紙にもたらされた情報によると、アントワープの野蛮な征服者は、教会の鐘を鳴らすことを勇敢にも拒否した不幸なベルギー人の司祭たちを、生きた『舌(※)』として鐘の中に吊るして処罰したことが確認された」――「ル・マタン」(仏)
 ※舌…鐘の内部に吊るされている、鐘を打ち鳴らすための金属。

(Ponsonby;1928,P161)

 本来は残虐な行為などなかったのに、メディアが伝言ゲームを続けていくうちに、ドイツの野蛮な行動がでっち上げられ、誇張されていく。その過程を端的に、かつコミカルに示した印象的なくだりである。「アントワープの鐘」は、連合国の悪質なプロパガンダの典型例として広まり、人々の中に記憶された。

「戦時の嘘」は嘘をついていた?

 ところが、これらの新聞記事の出典は見つけられないのである。アメリカの歴史学者ジェイムズ・モーガン・リードは、1941年に「タイムズ」や「ル・マタン」にそのような記事が見当たらないことを指摘した。「戦時の嘘」の告発自体が「嘘」だったことになる。
 さらに、リードはこの逸話の原典が、1915年7月4日の「北ドイツ新聞」にあることを突き止めた。それは、連合国のプロパガンダの悪質さを風刺するブラックジョークであった。もともと事実ではないドイツ側の「嘘」が独り歩きし、連合国側の「嘘」を暴く話になってしまったのである(高橋2012)。


(続きはこちら)


 


この記事が参加している募集

最近の学び

世界史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?