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【カルト宗教とCIA】 統失2級男が書いた超ショート小説

日本は2発の原爆で降伏したが、またいつの日にかアメリカに牙を剥いて来るやも知れない。CIA東アジア統括本部長のオリバー・ビューレンはそんな日本を抑え付けておく為に、とある工作を思い付いた。それは日本を快く思っていないK国人教祖が立ち上げた宗教団体、聖連の会に日本を支配させるというものだった。日本の政治家には聖連の会は反共産主義団体であり、日本の国益にも繋がると説明し油断させる。そして時間を掛けて日本の中枢に聖連の会の人間たちを送り込み日本をK国人に支配させる。アメリカはK国を日本の支配から解放したので、K国人がアメリカに敵対心を持つ事はなく、アメリカに逆らう事はない。日本を支配するK国宗教、そのK国宗教を支配するCIAという構図を作り上げれば、アメリカの東アジア統治政策は安泰である。それがビューレンの立てた計画だった。ビューレンは日本のA級戦犯の中から村田和史という男に目を付け、一切の罪を問わない代わりにCIAの工作員になる事を要請した。命を助けるという他にも後々、総理大臣にしてやると約束すると、村田は喜んでCIAの工作員になる事を承諾した。そして村田には日本での聖連の会の代理人になる事も約束させた。

聖連の会はCIAを後ろ盾に日本での布教活動を活発化させていた。聖連の会の教義は「日本はK国を侵略した事によって千年の罪を負う事になってしまった。その罪を贖う為には、日本は向こう千年に渡りK国の下僕となり、金銭的にも政治的にも人材的にもK国に奉仕し続けなくてはならない」という物だった。しかし、最初からその教義を日本人に押し付けても反発されるだけなので、聖連の会の宣教師たちは、その独特の教義を始めは隠して日本人に接触していた。聖連の会が日本人に最初に伝える教義は『世界平和第一』で、宣教師たちは「日本人とK国人が手を取り合って世界平和を実現する事こそが、神様からの司令なのです」と日本人に優しく語り掛けた。そしてその中から入会して来た日本人には、信仰心が順調に強化された頃合いを見計らって「日本人は例外なく業を背負った罪人ですので、全ての私財を神に捧げなくてはなりません、それを拒む日本人は先祖諸共、地獄の業火で永遠に焼かれ続ける事になります」と本性を現して金を要求するのだった。その時点で退会する日本人も居たが、残る日本人も多かった。残った日本人は破産に追い込まれるまで金を絞り取られ、その金はK国に送られ教祖の贅沢な暮らしに費やされるのだった。

戦後75年が経過した辺りには聖連の会の人間たちは、日本の政界に奥深く侵入していた。そんな状況を苦々しく思っていたのが、川村雅也という男だった。川村の家は母親が聖連の会に巨額の献金をして破産していた。その個人的な恨みと日本を憂う心から、川村は聖連の会を日本から排除しなくてはならないと考えていた。聖連の会の教祖は既に他界しており、川村はまず教祖の妻である現総裁を暗殺する計画を立てた。しかし現総裁の警護は強固で隙きがなく、暗殺は諦めざるを得なかった。そこで川村が次に目を付けたのは聖連の会の日本での代理人である元首相の村田光雄議員だった。光雄は村田和史の孫である。この光雄という男は聖連の会関連団体のイベントにビデオメッセージを送ったり、聖連の会の利益に繋がる政策を推し進めたり、聖連の会との関係が深い複数の政治家を国の要職に就けるなど専横を極めていた。7月上旬、川村は自分の地元に光雄が選挙の応援演説にやって来る事をネットで調べ上げていた。2ヶ月前に完成させた手製の銃で光雄を暗殺する。これが川村の計画だった。その計画で川村は死をも覚悟していた。しかしそれでもやらねばならぬと決心していた。

決行当日、川村は駅前の演説広場に居た。司会の人間に紹介された光雄が笑みを浮かべながら演説台に登り、一礼した後に演説を始める。地元候補者の政治功績を称賛している光雄の演説を聞きながら、その背後に警護の隙きを突いて忍び寄ると、川村は素早く銃を構えた。自分でも驚くほど冷静だった。引き金を引く。『バンッ、バンッ』2発の銃声が広場に響き渡る。被弾した光雄は苦悶の表情を浮かべながらアスファルトの上に静かに崩れ落ち、聴衆たちの悲鳴が広場を埋め尽くす。次の瞬間『バンッ、バンッ、バンッ』と川村の銃から発せられた轟音とはまた違う種類の銃声が3つ響いた。川村がSPに撃たれたのだ。川村は即死だった。そして光雄が搬送された総合病院も3時間後、光雄の死亡を発表した。

川村はネットに時限式の犯行声明動画を投稿していた。その動画に映る川村は聖連の会の悪事を理路整然とまた淡々と喋っていた。それを受けたテレビ各局は当初、川村を精神障害者扱いし、川村の犯行動機は破綻しているという論調を取っていた。しかし一部のマスコミと一部のネット民たちからの反論によって、ついにテレビも聖連の会の悪事と聖連の会と政治家の癒着を報道し始めた。日本の支配構造の断片を知った多くの日本人は激しく怒った。その結果、日本人の怒りを無視出来なくなったCIAは、聖連の会を切り捨てる事にした。聖連の会は追い込まれ6年後、日本から完全撤退した。日本の戦後が少しだけ色彩を変える事になったのです。

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