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映画感想 ペット・セメタリー

 『ペット・セメタリー』は2019年のアメリカ製ホラー映画だ。原作はスティーブン・キング。
 まず本作の評価だが、あまり芳しくないようだ。興行収入は同時期に大作とぶつかったために思ったほど伸びず。批評でもRotten Tomatoesにおいて批評家支持率57%、10点満点中5.93と微妙。Amazonレビューも見てみたが、こちらもあまり評価は伸びていない。
 というのも、『ペット・セメタリー』が映画化したのは今回で2回目。1989年……今から30年ほど前に一度映像化されている。Amazonレビューでの評価を見ると、書き込んでいる人達のほとんどが30年前のバージョンを見ていて、そちらに思い入れをもっている……という人ばかり。一種の「思い出補正」というやつだ。10代の感性豊かな時期に見た映画の方に肩入れしたくなるのが人情というもの。私は30年前のバージョンを見ていないから、どちらがいいかとか、そういう話はできない。どうもこの映画の評判は、「30年前の思い出」に引っ張られて純粋な目で見て語られていないという印象は受けた。

 では本編を観ていこう。

 お話はある一家が田舎へ引っ越ししてくるところから始まる。主人公ルイス、その妻レイチェル、娘のエリーと、幼い少年のケイジ、それから猫のチャーチだ。
 森がすぐ側にある穏やかな土地にぽつんと建つ家。それが一家の新しい家だった。
 ルイスは都会ではER(緊急救命室)務めだった。慌ただしい都会での暮らしから逃れて、憧れの田舎暮らしを手に入れたのだった。田舎にやって来て、医者の仕事を続けるのだが、やってくるのは「鼻血が出た」というような軽症患者ばかり……。ルイスはそういう穏やかな仕事を気に入るのだった。
 引っ越しして間もなく、レイチェルとエリーは側の森で奇妙な行列を見かける。子供たちが動物のお面をして通り過ぎて行く。子供の1人は猫車に死んだ犬を乗せていた。
 あの子供たちはどこに行ったのだろう……。後で行ってみると、そこには「ペット・セ“マ”タリー」と書かれた小さな墓地があった。どうやら飼い犬や飼い猫を葬るための墓地で、地元の人が長く利用していた場所のようだった。側に住んでいる老人ジャドは、「危険な場所だから近付かないように」と警告する。
 その場所は一家が購入した土地の敷地内……。しかし地元の人が古くから使っていた場所なので、そのままに残すことにする。
 動物墓地を見付けたエリーは、父ルイスに「動物はどうして早く死ぬの?」と尋ねる。医者であるルイスは、「それは代謝が早いからだよ」と答える。生き物には体内に時計がある。どんな動物も一生のうちに打つ脈拍の回数は同じだという説がある。小さな動物ほど、脈拍の速度が速い。だから死ぬのも早い。
 では死ぬとどうなるのか?
 医者のルイスにとって、死とは「心肺停止」のこと。しかし妻のレイチェルはかつて、姉のゼルダを病気で死に別れた経験を持っているから、死という物をもっと情緒的に捕らえていた。
 間もなくルイスの元に、交通事故の少年が運ばれてくる。ルイスはどうにか心肺蘇生を施そうとするが、少年はあっという間に死んでしまう……。
 それから間もなく、ハロウィンの日がやってくる。隣人のジャドがルイスに「来てくれ」と誘う。行ってみると、道の脇に猫のチャーチの死体が転がっていた……。

 ここまでが25分のあらすじ。

 動物霊園を「ペット・セ“マ”タリー」と字を間違えて表記しているのは、スティーブン・キングの原作タイトルが『ペット・セマタリー』だったから。子供が書いたものだから、書き違えている……という設定だった。映画版は『ペット・セメタリー』と正しく書いているのは、原作通りに書くと意味が伝わりづらいからだろう。

 前半のポイントは、「死」についての捉え方について。
 主人公であるルイスは医者であるから、「死」といえば科学的に「心肺停止状態」のことと捉えている。しかし妻のレイチェルは病気で死に別れた姉がいるから、「死」というものを情緒的に捉えている。死が「心肺停止状態」であるというのは理解しているが、では「魂」はどこへいくのか?
 レイチェルは姉の死後、しばらく姉の亡霊に悩まされ続けた……という経験があった。だから「肉体の死」と「魂の死」を別のものと考えていた。
 この辺り、「医者」の視点と、「一般人」の視点とで、「死」をどのように捉えているか――という対比になっている。また姉ゼルダの死が、ホラーとしての良き伏流になっている。さらに、「死ぬのは姉の方」という暗示が、後々の伏線としてもうまく活きている。この対話が後々どんどん強い意味を効果を発揮していく。

『ペット・セメタリー』12分10秒あたり。

 次に動物霊園「ペット・セメタリー」について見ていこう。
 シーンの終わり際のところで、一回構図が俯瞰になる。すると墓が「螺旋」を描いているのがわかるだろう。もう少し後で、幹に「螺旋」の模様が刻まれているシーンもある。
 この「螺旋」にどんな意味があるのか?
 すぐに思いつくのは、ギリシャのミノタウロス伝説。半人半獣の化け物=ミノタウロスを閉じ込めるために作られた迷宮が、螺旋の形をしていた。螺旋には死者の魂を封じ込め、そこで迷って出られなくする効果がある。そういう迷信の産物なので、螺旋迷路を作れば、半人半獣の化け物が出られなくなる……と考えられた(モンスターは迷信の産物なので、迷信によって封じることができる)。動物墓地に螺旋が描かれているのは、動物の霊がそこから出てしまわないように……という意味がある。
 後々、ある死者が復活して戻ってくるが、動物の面を付けている。「半人半獣」のモチーフがここで使われている。ミノタウロス伝説がここで意識されているのだろう。
 「螺旋」のシンボルはそれこそ世界中に見られるサインで、ギリシャ神話だけではなく、ケルト神話、日本書紀……さらに自然界の中にも螺旋模様見られ、まさに普遍的なイメージを持ったシンボルであるといえる。

 ケルトではこの螺旋模様を「トリスケル」と呼んでいる。ケルトのトリスケルには「太陽エネルギー」のイメージを図表化したものとも言われる。太陽熱を螺旋で表現する……おそらく古代人の感性の産物だと思われるが、空気の対流は熱を持つと渦を巻く性質があるので、自然をよく観察していたといえる。
 またこの螺旋模様には「成長」「進化」「復活」という意味が込められている。渦巻き迷宮の奥へ進んでいくことは「死」の世界に潜り込んでいくことをイメージしていて、そこから戻ってくることは「復活」を意味している。古代人が儀式の中でこの螺旋模様の上を歩き、自身の死と復活を体現していたが、これは「おまじない」として残り、現代ではスピリチュアル系のカウンセリングでも活用されている。螺旋模様が人間の精神の面でも普遍性を持っていることがここからわかるだろう。

ケルトの『トリスケル』。太陽熱をイメージして考案されている。
ノートルダム大聖堂の床に描かれたラビリンス。

 本作『ペット・セメタリー』における螺旋模様の墓地の意味は、そこから動物たちの魂が逃れ出ないようにするためのもの……という解釈でいいだろう。
 問題は、その墓地の向こう側にある謎の「防壁」だ。あれはなんだろうか?
 単純に考えると、螺旋が動物たちの魂をそこで迷わせ、封じ込ませるためのものであるから、そのさらに向こう側だから、防壁の向こう側は「死の世界」と解釈すべきだろう。
 すると映画を観ていて、誰もが思ったはずだ――あの防壁を一生懸命乗り越えなくても、回り込んでいけばいいんじゃない?
 それがダメな理由は1つ。“あの場所”を通って行かないといけないのだ。
 映画を観ていて気付くが、あの防壁を乗り越えていくと、急に森の風景が一変する。緑豊かな森の風景が急に荒涼としはじめ、その森をさらに進んで行くと、階段が現れ、その階段を登って辺りを見回すと、明らかに光景がおかしい。あの周囲はもっと緑豊かな風景であるはずだ。だが見渡す限り荒れた土と枯れ木だけの風景……。明らかに「異界」に入り込んでいる。
 もしもあの防壁を迂回して行ったら、異界に入ることができない。そこに異界の入り口があるから、防壁が築かれていたのであって、だから防壁を乗り越えていかないとあの異界には入れないのだ。

(例えば『ハリー・ポッター』のホグワーツ魔法学校行きの汽車には、9と3/4番線に行かねばならないが、そのためには駅のとある柱を真っ直ぐくぐらなければならない。迂回して入ろうとしても入れない。『ハリー・ポッター』の魔法学校行きの駅も、『ペット・セメタリー』の異界も入るための条件は一緒)
(異界の終着点が「階段」というのも一つのポイントだ。「橋」や「階段」は別の境界へ移るための装置だ。『ロード・オブ・ザ・リング』のモルドールに侵入する入り口も「階段」だったよね。通常の階段は天界へ登るための物……しかしこの場面は異界なので、「忌まわしき場所に登るためのもの」として階段が出てきている。さしずめ、「魔界」への入り口と言うべきかな)

 さて、ペットのチャーチが死んでしまい、娘を悲しませたくないという思いから、ジャド老人が防壁の向こう側に行って、動物を埋める方法を教えてしまう。
(これが「ハロウィン」の日……というところもよく練られている。ハロウィンは死者が復活して戻ってくる日……という伝承がある)
 すると翌日には猫のチャーチは生き返って家に戻ってくるのだった。
 ……ただし、前のチャーチとは「別モノ」になって。
 ここで、前半部分でルイスとレイチェル夫婦が会話していた「死」のテーマが伏線として活きていく。ルイスは医者だから死というのは肉体の死のみであって、魂の存在を認めていない。一方のレイチェルは魂の存在を信じている。さらにルイスは交通事故の少年が運ばれてきて、死なせてしまった時に、周りの電気が点滅するなどのちょっとした怪異現象を体験する。そこでルイスは一瞬、魂の存在を認識する……というふうに描かれている。魂の存在を自覚させるように物語が作られている。
 肉体と魂は別モノ。生き返るとしても、同じ魂で戻ってくるわけではない。「生き返る」という希望的な展開を一瞬見せつつ、しかし……というところでホラーらしさが現れてきている。ここが面白い。

 後半の展開は、もうおわかりだと思うが、娘のエリーが死亡する。エリーの死を前にして、ルイスは……。
(しかも誕生日の日に死亡する。「誕生の日」と「復活の日」を重ねている。「生まれ変わり」を示唆している)
 このエリーが死亡する……という展開は、映画が始まって1時間くらい。101分の映画だから、もう後半に入りかけた……というところだ。エリーが復活してからは、起きる出来事はかなり短い。
 この作品のいいところは、まず「善人」しか出てこないこと。ルイスもレイチェルも理性的な善人だ。ジャド老人は、最初はちょっと不気味な登場の仕方だが、実は気の良い優しい老人、ということがすぐにわかる。ジャド老人はエリーが悲しむと思い、ペット・セマタリーの防壁の向こうにチャーチを葬る方法を教える。間違えた方法だが、これも「善意」と「人情」という動機に基づいている。
 良くないホラーは、「悪意」を動機とすること……。いかにもバカな若者がバカなことをやって、結果的に殺人鬼に殺される。ありきたりだし、そこに同情心はわかない。
 『ペット・セメタリー』の場合は、登場人物がみんな「善意」と「人情」を動機として行動している。それぞれの人物の掘り下げがうまく行っているから、行動に納得感がある。

 ルイスは戻ってきたチャーチがどうやら「別モノ」だと気付いた時、殺そうとするが、しかし動物を殺すことができず、遠くに連れて行って放置する……という方法を選ぶ。これも普通の人間としての人情であるし、医者だから余計生き物を殺す……ということに抵抗感がある。
 その後、チャーチが戻ってきて、それを見付けたエリーが「チャーチだ!」と駆けていったところに事故が起きる……。この事故が起きる経緯にも納得感があっていい。それにあたかもチャーチが事故を起こしたように見える……というのも事態を単なる「事故」からより忌まわしいものに感じさせる効果が出ている。
 ルイスは医者で魂の存在も認めていなかったが、しかしエリーの死に強烈なショックを受けてしまう。ルイスは初めて妻レイチェルが体験していた“情緒的な死”を自覚するし、さらにその向こうの“狂気”に転がってしまう。
 エリーを異界に連れて行って、その土の中に埋めれば生き返るんじゃないか……そういう危ない考えに取り憑かれてしまう。
 結果的にエリーは戻ってくるが……“戻って”きたのはまったくの別人。ルイスはエリーが別人だと気付いていたが、それでも戻ってきたことに喜ぶ。その時の喜びの顔が異様に暗く、ルイスが狂気に転落していることがわかる。
 ルイスはもともと理性的な人間で、しかも医者という設定。娘の父親としての嘆き、医者としての嘆き……。これを時間をかけて掘り下げていったから、娘を喪ってからの狂気が説得力を伴って浮かび上がってくる。ここもいい。
 それでも、やがて自分の過ちに気付き、理性を取り戻すが……。

 もう一つ、いいと思えたのが、少女役の演技。生前の姿がものすごく可愛いんだ。
 でも悪霊の魂を手に入れて復活した後の、暗く陰気な演技……。これが実に見事。うまい子役がいたものだな……と感心。
(はじめは可愛い姿を見せておいて……という見せ方は『エクソシスト』を思い出す)
 それに、幼い少女に殺戮をさせる……というのもいい。どこの文化でも、少年や少女を殺戮の加害者や被害者にする……というのは抵抗感があるものなんだ。ゾンビ映画で「子供のゾンビ」がほとんど登場しない理由がこれ(まったくいないわけでもない)。それをこの映画では堂々と描いている。少女が凶悪な殺戮者に変貌する姿をありありと見せている。この姿にゾクゾクさせられる。

 批評ではあまりいい評価を得られなかった『ペット・セメタリー』だが、実際見てみると案外面白かった。もしかしたら、30年前に制作された旧作の存在を知らずに見ていたから……というのもあるかもしれないが。それぞれの設定が丁寧に掘り下げられているから、後半のホラー展開が活きている。結末はここでは書かないが、あの露悪的な絶望感はなかなかたまらないものがある。
 『ペット・セメタリー』は「2度目の映画化」ということで批評に混乱が起きているように感じられるが、そういう偏見を排したところで見ると、普通に良作ホラーと感じられた。本作を見る時には、外野の騒がしい声をシャットして見ることをお勧めしよう。


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