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恥についての考察④ 〜恥の対処〜 ストラテラ服用日記121日目

80mg増量して96日
朝ストラテラ80mg とリーゼも飲んだ。動悸も不安も感じなかった。
鳥肌はなかった。口渇も少しだけ感じた。

これまで数日にわたって恥についていろいろ考えてきた。
これはあくまでも発達障害グレーゾーンの私の経験に基づく見解からの考察になる。

いずれ論文とかもしっかり読み込んで、発達障害における恥との関係を、もっと体系的に文章化したい。


恥の原因が、外的要因と内的要因の2つに分けられるとすれば、それぞれにどのような対処があるかを考えていきたいと思う。

まずは外的要因であるが、私が考えるに日本の文化、社会など環境要因については、はっきりって手の出しようがないと思われる。

皆さんもご存知のように、発達障害という言葉が認知されてきているとは言え、いまだその実態を把握できている定型の人はほとんどいない。
例えば車椅子を使っている人だったり、視覚障害者であれば傍目からもすぐわかる。
しかしながら発達障害は、見た目は全く普通の人間であるし、能力の凹凸があると言う以外は5体満足な人間である。

身体的な能力、例えば100メートルを10秒で走るのは一般的な人間では無理だと思われる。
それなのに、マルチタスクであったり、円滑なコミニケーションであったりは誰でもできて当たり前といった風潮はある。

数字と実際に目で見える事柄は能力差があることをはっきり認識できるのに、数字に表せない実際に目で見ることができない能力差は考慮されないきらいがある。

1億総中流社会を目指した日本で、その中に1億総中程度能力社会と言うニュアンスも含まれているんだろうなと思う。
※昭和の時代の話だけど、こういうメンタリティは、今も受け継がれていると感じます。


「戦いは数だよ!兄貴!」という言葉は正しい。(出典 機動戦士ガンダム ドズル・ザビ)
凹凸を良しとしない事が、常識?良識?のように捉えられてる社会に対して、個人もしくは少数の集団で抗っても、文化そのものを変えることはかなり難しい。

達成するには、かなりの労力と時間が必要だろう(ただ、日本が発展するためには、この労力と時間が必要だと思う。早く発達の凸を活かせる社会に変革する必要があると感じる)

恥を考察してるのに、日本文化に対して批判的な話ばかりになってしまった💦

何が言いたいかというと、外的要因の恥は相手にしてても無駄なので、ポジティブに諦めて気にしないことが1番の対応策なのではと思う。
(そもそも"恥"は自分の心が作り出しているので、気にしない、無視する、恥を感じる感性を無くすなどの対策が考えられる)

とは言え、気にするなと言われて、即実行できるなら苦労はしない。
出来ないから苦しむのであって、以前の私のように二次障害で鬱に繋がるような事態になる。

ただ、実行できなくても、心から理解できなくても、理性と知識の片隅にこういう考えを持っているだけでいいと思う。

私はカウンセリングを受けて、恥を感じる感性が殆ど無くなった。以前なら恥と思うことも、なんとも思わなくなった。
これは、カウンセリング前からの素地として、負の感情が無駄な事とかは頭では理解していたというのがある。だから、カウンセリングも素直に受け入れられて、実践できているのだと感じます。

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