#日記
秋だからかなんでもないことをなんでもなく語る
「持つ」ということはなんなんだろうか、ということをふと思った。
先日、<わたしは、東京でいろいろなものを持ちすぎてしまった。だから東京を手放して、ある場所に住むことを決意した>という人の話を聞いた。
それと同じ時期、また別の人が<あの人は、とてもたくさんのお金や肩書きを持っていたけど、全然幸せそうではない。幸せと持つものは、比例しないんじゃないかな>と話していた。
それぞれ、別の人の話だけど
ほんとうは「つながり」たくもないし「共有」もしたくない
きょうは、いろいろ無理をして、心や体が疲れてきたのだろう、ものごとをネガティブなほうにしか考えられなくて、なんでも悪くとって、猜疑心もマックス、みたいな状況になった。
そういうときの自分の悪い癖だけれど、白黒はっきりつけたがるし、早く結論を出したがるし、決めつけてなんでも悪にしたがるし、考え方も極端だし、仕事もやっていることも、すべてまた辞めてリセットしてしまいたいと思ったり、無責任なことを言う
メジャーど真ん中のコンテンツの話ばかりでつらい気持ちを綴ってみた
さいきん、よく入るようになったイタリアンのバイトで出会ったいろんな世代の人たちと、仕事の合間だったり、仕事終わりやプライベートでごはんとかしておしゃべりする機会がすごく増えた。
飲食関係の仕事をするようになってからのこれまでの自分は、仕事は仕事と割り切って、「じゃ、帰ります」といってプライベートとは完全に切り離していた。
それは、ぎすぎすしていたりいじめやパワハラが当たり前にある職場だったこと
ただ「そこにいてくれたこと」に、気づける自分でありたいと思った
夕方、なかなかなことをやらかしてしまったことが、判明した。
相手があることだから、詳細は言えないけれど、判明した瞬間はもう、かなり肝が冷えるような思いだった。
だけど、自分が招いたことなので、自分で対処しなければならない。
つべこべ言ったり、ナーバスになろうがならまいが、目の前のことを、ただ、対処するのみ、それしかない、といった状況だった。
それで、各方面に連絡をとったり、あわただしくて、