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2022年12月の記事一覧
「二十歳になった」という感覚
年末のららぽーとに行って、小夏ちゃんをドッグカレッジに預けて、どこもごったがえすなか、とりあえず入ったお肉屋さんで夫とお肉を焼きながら、ふと、思ったことがある。
それは、「あ、いま、なんか、やっと二十歳になったような心境だな」ということだった。
二十歳は、自分にとっての、「大人」だ。
年齢的には、20年前にとっくに成人しているのだけど、そういう意味ではなくて。
心のなかから、「あ、自分、ほ
誰の「語り」も奪いたくないし奪われたくなかった【2022年振り返り:ライター編】
2022年の振り返りをふと、してみたくなって、そしたら、いろんな項目を振り返りたくなったので、あらゆる仕事をしてきた2022年なわけだけど、まずは、記者/ライターとして、ことしを振り返ってみようと思う。
フリーライターになった
ことしは春に、ウェブメディアでの編集記者を辞めて、6月から「フリーライター」「フリー記者」という肩書きを名乗って、活動を初めた。
フリーになった経緯については、それは
「さよなら」が別れじゃなくて
X月X日
学生時代から仲良くしてくれてるともだちKちゃんが、いよいよ来年、北アルプスのふもとに、だんなさんと1歳になる娘さんと3人で、東京から移住することになった。
Kちゃんは、わたしが10年ちかくいた新聞社を辞めて、東北の山間部に移住を決めたとき、ほかの人たちが「すごい決断だね」とか「がんばって」と言ってくれたなかで、「楽しんで」とだけ言ってくれた。
わたしはそのとき、たくさんのともだちに
わたしと「食」との関係/砂を噛むような日々
X月X日
精神安定剤的に書く。
さいきんおいしい料理が作れなくなってしまった。
大好きな自炊をしても、味がしない。おいしいものを食べても、あまり味がしない。
これまでストレスが強くなったり、忙しくなったりして、それどころじゃなくなったりとかすると、そういう時期というのがしばしばやってきた。
そのときも、そのときで、「ああ、食事に味がしなくなってしまったな」「砂をかんでいるみたいだ」なんて
ただ「そこにいてくれたこと」に、気づける自分でありたいと思った
夕方、なかなかなことをやらかしてしまったことが、判明した。
相手があることだから、詳細は言えないけれど、判明した瞬間はもう、かなり肝が冷えるような思いだった。
だけど、自分が招いたことなので、自分で対処しなければならない。
つべこべ言ったり、ナーバスになろうがならまいが、目の前のことを、ただ、対処するのみ、それしかない、といった状況だった。
それで、各方面に連絡をとったり、あわただしくて、
書いてもしゃべっても、煮ても焼いても、ただのごみ
寝る前に、ふぅーっとひと息ついて、1日を振り返る時間があったらすてきだなあとずっとずっと思っていた。
実際は、そんな余裕があるというか、それを感じようとする日はめったに訪れるものではなかったり、疲れてそれどころじゃないこともほとんどだし、まだまだ寝るまでには時間が足りないということもあったり、不安やいらいらで、そんな優雅で丁寧な気分になんてなれないと思うときのほうが多い。
すさんだ気分で、すさ
夢とか幻とか現実とか
わたしにはいま、やりたいことや、希望や、夢や、目標が、たくさんある。
時間も足りなさすぎて、わちゃわちゃ。
まさにこんなかんじ、というのを先日ここに書いたばかりだ。
うん、そんなかんじ。
だけど、それが、いま、たいへんなことになっている。
「希望」とか「夢」とか「目標」とか、そんな存在すらこの世の中や自分のなかに存在していることすら気づけないくらい、死んだように生きているときだって、生き
「犬と一緒に過ごせるカフェ」を求めて心が削れた体験記③
3回目は小夏ちゃんとやっと、ほんとうの目的地である「犬と一緒に過ごせるカフェ」に到着してからのおはなしです。
以下は、道中、もうすでに心が折れきっている1回目、2回目です。
最後の階段をエイヤーと駆け上がる
2度の乗り換えをへて、やっと目的地の地下鉄駅に着いて、地上にあがろうとしたけれど、エスカレーターが見当たらない。
がーん。これが「エスカレーターがない駅」というものか、と思いながらも、
「犬と一緒に過ごせるカフェ」を求めて心が削れた体験記②
前回の「犬と一緒に過ごせるカフェを求めて心が削れた体験記①」では、15分もかからない最寄駅まで1時間もかかってしまい、これからさらに1時間以上かかるカフェへの道のりに、早くもぐったりしてしまったことを書きました。
なによりも、最寄駅までの道中では、誰かが自分たちを直接責めているわけではないのに「世間の目」のようなものをなぜか勝手に感じとってしまい、責められているかんじや、孤立感を感じて、非常に心
ミニマリストなわたしが「仕事服」だけは断捨離できずにいる理由を考えてみた
断捨離したい、断捨離したい…
さいきんほんとに、とくに服にかんして、断捨離したい、断捨離したい…と、ずーーーーーーっと思っているのだけど、なかなかうまくいかなくて、うずうずうじうじしています。
きょうは、そんな自分の心もようについて、いつも、うずうずうじうじばかりしているので、いっそそれを文章にしてみたら、すっきりするのかな、とちょっと視点を変えた試みをしてみたいと思って、書いてみることにしま
「犬と一緒に過ごせるカフェ」を求めて心が削れた体験記①
「犬と一緒に過ごせるカフェ」に小夏ちゃんと初めてふたりで電車を乗り継いで出かけた体験を、これからここにドキュメントとして、つづっていきたいと思います(全部で何回になるのか未定ですが、たぶん2回か3回くらいかな?)。
小夏ちゃんと出会ってから、きのうはいちばん、心が削れたんじゃないかな。
生きてると大変なことはあるけど、「大変」とはちょっとちがう、その「削れた」という、もやもやしたものを、すでに
きみの「記念日」を前に
あしたでちょうど、この世界に生まれてきて8ヶ月になる小夏ちゃんを、「8ヶ月のバースデー」ということで、とあるレストランに行ってお祝いをする。
お祝いをするからこそ、いま思っている気持ちを、忘れないように、いいや、忘れてなんかいないーーそうではなくて、自戒をこめてーーというのも適切な表現ではないかもしれないーー忘れてなんかいない自分がここにいるということを、自分が見失ってしまわないためにも、そう、
「最適化」に徹底的にこだわり抜いた結果、不自由さへの果てしなき自分の欲深さに気づいた話
さいきん、「最適化する」ということに、とてもハマってしまって困る。
「最適化」という言葉、いつから自分の日常にあたりまえのように染み付いてきたのだろう。
最適化がなにか、と説明しなくても、最適化だよ、最適化、というようなかんじに、いまはなっている。
◇
「最適化」という言葉が使われるようになる前から、わたしは、ものごとを自分にとっていちばん効率いいオペレーションでやるということに、こだわっ
踊り続けながら、じーんと沁みてきた感覚に、大丈夫と思えた
さいきんは、あたまのなかが、とてもとっちらかってしまった状態で、過ごしていました。
とっちらかったまま、なにか1つのことに集中して、とどめていることが、なにひとつできない状態だったから、ここになにかを書く、ということも、なかなかできなかった。
◇
なかなかできないというのに、矛盾するけれどなにをやるにも、ひとつのことをやろうとすると、そこから枝葉のように、あれもこれも、それはまるでねずみ講の