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子供をきちんと教育すると、どうなるか?

1、実は子供に考えさせていない


「物が地面に落下するのは、万有引力の法則が成り立ってるから」

皆さんも学校でそう教わりましたよね?


でも、万有引力の法則って、そもそも何なの?

その法則が成り立ったからといって

物が落ちる本質的な問題に触れてないんじゃないのか?


・・・と疑問に感じる子供は、ほとんどいないと思います。


というのは、学校では

「そういうものだと覚えなさい」

という具合に授業を終えているからです。


そうすると子供たちは、先生に言われたことを

「そういうもんだと思えばいい」と捉えるようになり

深く考えようとしなくなります。


こういったことが繰り返し行われると

子供は何が起こっても自分で考えないで済むという

好都合な状況が生まれるのです。


深く考えない方が、それだけ脳の働きに負荷がかからない。


人間の「怠惰な本能」に合致させた教育をやっているのが

今の学校だという事実を皆さんはご存知でしたか?


実は、学校で教えていることは

先生が言っていることをそのまま受け取っておけば

一切自分で考えないで済むというものです。


先生の言われたことを機械的に覚えることに

教育の焦点が当てられており

「身を粉にして作業に時間を当てろ!」

というのが目的になっているのです。


ですから、学校がきちんと教育すればするほど

子供たちは如何に自分で考えずに、適当にやり過ごせるか

という方法を考えるようになるのです。


先生の言ったこと、誰かの言ったことを

そのまま覚えればいい。


それが勉強だと子供たちに教え込んでいる訳ですね。


現代人の多くは、決まったことを決まった通りに

やりこなすことが学習だと思っています。


でも、それは学びの本質ではありません。


  2、本当の学びはどこから来る?


子供たちが知識をつける上で大切なことは、

まずは、見る、触る、聞く、匂いを嗅ぐ、味見をする

という五感を研ぎ澄ませ

その次に、それらの体験から得られた感覚が

「なぜ」そうなるかと「調べる」ことです。


なぜそう見えるのか

なぜその肌触りなのか

なぜそう聞こえるのか

なぜいい匂いなのか

なぜ美味しいのか

・・・こういった感覚を研ぎ澄ますことが大切であって

そしてその次に、どうしてそう感じるのかを調べるのが学習なのです。


そもそも人間は誰一人として

同じ感覚を持っていませんし、同じ理解力も持っていませんので

学習は一人一人の感覚に委ねられるべきで

学び方が異なっていなければならないはずです。


身近な例を挙げると、料理がそうですね。


一口食べて美味しくなかったら、なぜ美味しくならないのか?

どうすれば美味しくなるかをいろいろ調べたり、考えたりして

レシピを変えてみる。


そしてまた味見をして、この調理方法なら美味しいと

理解できる訳です。



そして誰かに食べさせて、それが美味しいと感じてもらえるのか

それとも不味いと捉えられてしまうのか

その違いを調べることで、料理に関する学習ができるのです。


学校の勉強も本来そうでなければなりません。


算数でも国語でも同じで、見たもの、聞いたものが

どうしてそうなるのかを自分で調べて理解し

そこで得られた知識を日常生活でアウトプットするのが

本来の学習です。


しかし今の学校は暗記することが中心になっていますので

先生の言ってることをそのまま受け取ることに

特化させていますが

何かを「ゼロ」から考え出す習慣は

今の子供たちにはありません。


  3、自然が如何に大切か


特に小中学生のうちに学びの本質を体験させたいなら

自然の中に放り出すのが一番良いです。


虫取りや山菜採りでもいい。

ただ単に登山するのでもいい。


学校のように、ああすればこうなる

なんていうものは

自然の中にはほとんどありませんから

自分で体験して感覚を掴みながら

覚えていくしかありません。


それに学校で教えてくれたものが

自然の中では、ほとんど通用しないところも

非常に学びが深くなります。


自分で感じて体験したことを

次の自分の行動に活かす。


これを繰り返すことで成長していくのが

本当の賢さを養います


学校では、1+1=2と答えられることが

頭が良いとされていますが

むしろ、1+1が、どうして2になるんだろう?

と色々調べる子の方が断然に頭が良いのです。


先生に言われたことを忠実にこなしている子は

学校では優等生かも知れません。


しかし

ある意味「自分の発想がない」という側面も同時にあるので

学校教育にどっぷりハマるのは要注意なんですね。


本来私たちには

自分から発想する力があるのにそれを封印していおり

特に疑問を感じずに生活している方が

人間の理性からかけ離れた生き方をしていとも言えます。


  4、「人並み」というフィルター


子供をきちんと教育しようと考えるのは間違っています。


というのは、子供は自然そのものだからです。


自然とは、私たちの予想を超えたことが起きるものです。


大地震や台風と同じように、子供も自然の一部です。


皆さんもお分かりのように

子育ては思うようにならないですよね。


それは子供が自然だという証拠なのです。


しかし、学校教育はそれをどうにかこうにか

平均的に育てようとしている訳です。


ですが実際には誰一人として

平均的な人間になっていません。


なのに平均という「幻想」を目指しているのです。


自然を観察していたら何が起きるか、ある程度予想がつきます。


西の空が明るいから、明日は晴れるだろうなぁ。


北海道なら雪虫が飛び始めた1週間後に

雪が降り始めるというのは自然現象をよく観察しているから

予想がつくことですよね。


子供も同じで、その言動をよく観察していると

特性や能力が少しずつ分かってきます。


運動が得意、話すのが上手、手先が器用、音に敏感・・・・など

生まれつき持った才能があります。


ですが、今の大人たちも、学校の先生たちも

それらを重要視していません。


それは先ほど述べたように、ほとんどの人たちが

「平均」「人並み」「みんなと同じ」というフィルターを通して

お子さんのことを育てようとしているからです。


その程度の運動ができても全然意味がないとか、

手先が器用でも、それぐらいは誰でもやるとか、

そうやって子供の才能を否定することが多いのです。


それは「平均」や「人並み」という

「型」にハメることが正しい教育だと思っているからです。



  5、如何に環境を整えられるか


きちんとした教育というのは、そもそも存在しないことを

私たちは知る必要があります。


それには理由があります。


子供を育てるのは植物を育てるのと非常によく似ています。



サボテンに水をあげすぎたら、死んでしまいますよね。


トマトに肥料を与えすぎたら、トマトが肥大化して

最後には爆発します。


その植物には、その植物に適した育て方があるように

その子供には、その子供に適した育て方があります。


どのタイミングで、どんな教育を施せばいいのか

一人一人異なっていますので

学校が考えるような「きちんとした一律の教育」というのは

無駄の何物でもありません。


きちんとした教育が先にあっても意味がないのです。


お子さんのことをひたすら観察し

その子に相応しい教育を用意するのが正しい教育です。


ああすれば、こんな風に育つはず・・・

という考え方はとても浅い!


子供がどこかのタイミングで自分の能力に気づいて

「やってみたい」「チャレンジしてみたい」

という気持ちが起きます。


その時に親として十分な環境を

作ってあげられるかどうかが成長の鍵になります。


決して学校の勉強が全てではなく

むしろ学校教育から少々外れたことを体験させた方が

お子さんの成長にとっては必要だということを

皆さんに知ってもらいたいです。


ひたすら観察し、成長のタイミングを待って

本人が動き出した時に周囲の大人が

どれだけ手助けできるかにかかっているのです。


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