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明日晴れたら (8/10)

空は分厚い雲で覆われていて
頭上では薄く白い煙が漂っていて
大通りを歩く人の話し声に混じって
どこかのお店から賑やかな音楽が聴こえて来る

そんなよくある天気のよくある場所
ただいつもと違うのは宇宙に行く前日と言う事だけ
そして久しぶりに会う元彼が目の前にいる

「元気そうじゃん」と彼
「まぁ、それなりにね」と私

たぶん私の事をよく知っている彼だから
彼の事をわかっているつもりの私だから
躊躇すること無く話し出したんだろう

「私、宇宙に行くんだ」
「そっか、いつ?」
「明日、晴れたらね」
「晴れるかな?」
「さぁ、予報はあてにならないからね」

彼は特にその話を広げる事も追求する事も
茶化したり疑うことさえしなかった

付き合っている時からこんな感じだった
そんな空気感が楽だったんだと思い出した

「覚えてる?一緒に小籠包食べたの」
「ああ、あれ美味しかったな」
「雑誌に載ってたお店で食べようとしたら並んでて
今にもつぶれそうなお店に入ったんだよね」
「そうそう、それが大当たりでめちゃ美味しくて」
「並んでる人に向かってこっちの方が美味しいぞーって言いながら食べたよね」
「まだあのお店あるのかな?」

彼の表情は
遠く幸せな記憶を思い出しているようだった

「あるよ、お昼に食べて来たんだ。でもそこまで美味しく感じなかったな」
「あの時は期待してなかったのが良かったのかも」
「かもね」

流れるようにそんな会話をしていると
別れている事も忘れてしまいそうだ

いつの間にか止まっていた隣の店の換気扇が
またガタガタとうるさく回り出した

そしてふと気になっていた事
思い出せずにいた事を聞いてみた

その言葉を口にすると同時に
一年前から静止していた時間が今に追いついた

「うちら何で別れたんだっけ?」

彼は驚いたような困ったような表情をした

「それ、俺に聞く?」
「え?」
「そっちから別れようって」
「え、そうだっけ?」

会えない時でも話していたマメな電話も
気づくと減り始め、会う頻度も少なくなって
いつの間にか自然消滅のように別れたと思っていた

でも今は、その話を深掘りするよりも
残り僅かなこの時間を大切にしたかった
考える時間はこれからたくさんあるんだ

「新しい人は?」
話を逸らすようにそう聞いた

「そんな簡単にはね。こんな楽に話せる人なかなかいないし」

彼のちょっとした仕草や表情の変化が
少しずつ私の中の空白の記憶を埋めて行き
眠っていた気持ちや想いがやんわりと溶けて蘇って

そしたら当時の馬鹿な自分に
あきれて笑みが溢れてしまいそうになる

そっか

「そっか、だから別れたんだ」
「何が?」
「一緒にいるとあまりに自然すぎてさ。家族か、弟みたいだなって」
「仕事が忙しくなったんじゃないっけ?」
「それもあるけど、それは表向きかな」
「なんだその理由」
「ほんと、なんだろね」

「それに弟って、兄じゃないのかそこは」
「いやそこは弟で合ってるでしょ」

そんな、前と全く変わらない距離感で話す私も彼も
サヨナラした時から何も変わらず進まずに
あの時の関係がその場に留まっていた

でもこれでようやく自分に向き合えた気がして
やり残していた事全てに決着がついたのかもしれない

仕事に戻る彼に「じゃあね」と手を振って見送ると
急な寂しさが、心を全身を襲い込み上げて来て
震えだす唇や目頭を必至で我慢した

裏口の電気が消えると
その闇に紛れて上を向いた
ぼやけた視界の薄い雲の奥に
ぼんやりと月らしき物が浮かんでいた

いや、もう雲は無いのかもしれない
はっきりとしないその月は
路地裏にはびこる暗い影をどこかに追いやって
代わりに私の分身を足元に作っていた

別れ際に彼は
「おみやげ待ってるな」と言ったから
「変なの期待しててよ」と返したんだ

その約束がある事で、約束をした事で生まれたのは
一方的にでもまだ彼と繋がっていると言う安心感

それはこの先もずっと心の支えになるんだろう


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