質問127:苦手な人と組んだり対戦したりする時に思うようなプレーができない
回答
▶ボールに集中すれば「人」は気にならないけれど
ボールに集中すれば、人は気にならなくなるから、「ボールに集中してください」と言ってしまえばそれまでです。
とはいえ今すぐそれができずに苦しんでいらっしゃるから、困っているのですよね。
テニスに限らず日常生活でも役立つ「苦手な人対策」について考察してみます。
▶育ってきた環境が違うから
そのパートナー(あるいは対戦相手になる場合もある)について、「苦手に思ってはダメだ!」「苦手と思わないようにしよう!」などとご自身の気持ちをねじ曲げてしまいませんように。
そう考えてしまうと、自己否定・他者否定が始まるというのが、メンタル的に不安定になる原因です。
人と人ですから、苦手な人、嫌いな人だっているのは当然です。
平成時代を彩ったSMAPの歌にもありました。
育ってきた環境が違うから、好き嫌いは否めません。
▶苦手は苦手と「ありのまま」を認知する
「自分はそのパートナーを苦手と思っている」と認めます。
社交性や道徳、常識、世間体などは脇へ置いておいて、自分の気持ちの「ありのまま」を認知するのです。
「自分の認知を認知する」のがメタ認知ですけれども、それでどうにかするわけではありません。
まずは苦手意識を持っている自分をありのままに認知する、それ自体が解決策です。
▶「だって苦手なんだもん」
現状は、「苦手と思ってはダメだ!」「だけど実際に苦手だし!」という葛藤状態だと思います。
生理的には、ノルアドレナリンという神経伝達物質が脳内に放出されていて、「夜も眠れない」というくらいだからその人について、面と向かい合うまでもなく考えたり思い出したりするだけでも、心理的に不快・不安定になりやすいと思います。
人と人ですから、苦手な人だっています。
人として当然です。
ですから認めてやると、このような葛藤は収まりやすくなります。
認めてしまえば、「だけど」「でも」「そうはいっても」という葛藤がストンと外れるからです。
人として当然。
「だって苦手なんだもん」
「苦手に思ってはダメだ!」「苦手と思わないようにしよう!」から、「だって苦手なんだもん」「人として当然」。
そうやって認知を捉え直すだけで、「だけど」「でも」「そうはいっても」などと考えたり悩んだりする必要性そのものが「なくなってしまう」のです。
▶苦手な相手が自己肯定感を高める「協力者」?
そしてその上で心がけたいのは、苦手であることが○とか×とか、その人より負けているとか、自分は正しいとか、そういった評価を都度しないこと。
私たちは、たとえば「傲慢な人間は×である」とつい瞬間的に考えてしまいがちです。
瞬間的に考えてしまうのは人として当然と、ここでもまずは認めます。
『反応しない練習』(草薙龍瞬著、KADOKAWA/中経出版刊)という本がベストセラーになりましたが、裏を返して言えば練習しないと瞬間的に「反応してしまう」のですね。
「傲慢な人からは攻撃される」などと怖れる「防衛本能」が働くからです。
しかし、傲慢な人には傲慢に振る舞わざるを得ない育ってきた環境に由来する、何かしらの事情があります。
「そうしないと侮られる」
「舐められてなるものか」
こういったコンプレックスを抱えながら生きてきたのでしょう。
そこはその人のありのままを受け入れます。
そうやってご自身が他者を肯定的に見ることができるようになると、「そうはいっても自分だって傲慢になるときもあるしな」などという感じ方になるから、「自己肯定感」が高まるのです。
何とその苦手なパートナーは、自己肯定感を高めてくれる協力者にすらなるのでした。
▶評価は「自爆行為」
今はまだ、そこまで一足飛びに行かなくても大丈夫です。
人を都度評価する姿勢は、自ら不快状態に突っ込んでいく自爆行為。
相手の言葉遣いが乱暴、上から目線だ、傲慢である、このような一つひとつに反応し、○とか×とか、相手が間違っているとか、自分が正しいとか、都度評価してしまっては、心もそれにつられて動揺(連動)します。
▶「人は対等」が原理原則
「そうはいっても上下関係がある」などというならまた別の話。
「接待テニス」というならまだしも、「人は対等」というのが原理原則です。
売手と買手は対等です。
何もお客さんが偉い訳ではないにも関わらず、日本では売手がなぜか下手に回りがちだから「三方よし」になりにくい「いびつな市場」と言えます。
もちろん売手が偉いわけでもありません。
仮に意見されて「偉そう」などと思うのは、「自分のほうが偉い」と思っているからです。
しかし「人は対等」が原理原則。
上司が、部下に意見されて「偉そうなやつだ」などと感じるならば、その職場の心理的安全性は危ういに違いありません。
特にテニスコートは、「社長だから」「新入社員だから」「受付嬢だから」という身分の区別は一切ありません。
第6シードは第1シードに奉らなければならないルールはないのです。
そういえばかつて、プロの試合前練習では、下位選手が上位選手へ「先に球出ししなければならない」などと、まことしやかにささやかれもしましたけれども、そのような上下関係もテニスにはありません。
▶自分を「リスペクト」していい
繰り返しになるかもしれませんけれども、「苦手と思ってはダメだ!」というのは、自分に対する主観的なジャッジメントになっています。
これは案外気づきにくいのですが、他人を評価すべきではないと知っている人であっても、「自分」にはつい、ジャッジメントをしてしまいがちなのです。
自己肯定感を高めるためのポイントは、他者に対する評価抜きのリスペクトであり、良くも悪くも「評価なし」で(が)いいのだから、今の自分がどうであろうと、自分をリスペクトしていいのです。
そうして自己肯定感が高まると、苦手な人もいなくなります。
「よそはよそ、うちはうち」ができるようになるからです。
▶自己肯定感が高い人に「暴力的な人」はいない
こういうとたまに、「今の自分がどうであろうといいのだったら、犯罪をしてもいいのか!」などという極論で反論してくる人もいますけれども、自己肯定感が高まると自分を大切にできるから、割に合わない下手(悪)な生き方はしなくなるのです。
逆に「アイツはダメだ」「なってない」などと評価ばかりしている人こそ、自己肯定できないから罪を犯したり、ドメスティック・バイオレンスに及んだりします。
これは断言できますけれども、暴力的な人で自己肯定感が高い人はいないし、自己肯定感が高い人で暴力的な人もいません。
犯罪とはいかないまでも、ちょっとズルをしたり誤魔化したり、人より多く欲しくなったりする、誰の中にだってある「悪」はもちろんあるものの、その割合が前者は高く、後者は低い相関です。
▶心が不快・不安定になった時こそ「正念場」
「苦手である」とありのままを受け入れる。
「ダメだ」と否定、評価しません。
相手に負けているとか、自分のほうが正しいとかいう位置づけも不要。
こういったことは、今は頭で理解するだけだと、分かったような分からないような感じだと思います。
実際に、心が不快に染まり、不安定になったときに実践してみると、ストンと腑に落ちると思います。
苦手な相手を認めると、どこか自分が「負けた」気持ちになるかもしれません。
だけど相手にも、育ってきた環境が違う「何かしらの事情」がある・あったのです。
▶強くなれば「とやかく」言ってこない
最後にもう一度テニスに話を戻すと、ボールに集中すれば、人は気にならなくなるから、「ボールに集中してください」と言ってしまえばそれまでです。
ご自身が強く・上手くなれば、その人も「とやかく言ってこない」でしょうから、その観点からもボールに対する集中力を上げてテニスのレベルアップを果たしていただけますように。
そうすれば夜もぐっすり眠れるようになって、ますます心身に好影響が及ぶと思います。
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(テニスゼロ)
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