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質問109:「気持ちがいい」と思う事は集中ではない?

入れようとか思わず気持ちよく打つ事だけ考えて打ったら、何カ月振りに綺麗にサーブが入りました!!
(中略)
最近集中しているつもりなのにボレーを打った時に「ボレーって気持ちがいいんだ」と思った時があります。
先ほどの「気持ち良く打つ事だけ考えるサーブ」などと合わせて考えて、「気持ちがいい」と思う事はあってもいいのでしょうか?本当に集中していると何の感情も湧かないとか???

回答


▶「打ちたい瞬間」ありますか?

 
「入れようと思わない」というのが、ポイントだったと顧みます。
 
打球タイミングを合わせるには「今だ!」「ここだ!」というピンポイントの「瞬間(打時)」を感じる必要があるのですけれども、「入れよう」と考えていると「今だ!」「ここだ!」が感じにくくなります。
 
少しは感じられるかもしれませんけれども、「まさにこの瞬間!」「ここ、ここ!」「ここで打ちたい!」という強い感じ方は薄れます。
 

▶「入れよう」と思わなくなると「入る」ようになる

 
「まさにこの瞬間!」「ここ、ここ!」「ここで打ちたい!」
 
文字にすると冗長になりますが、その瞬間はまさに「一瞬」。
 
ですから、「入れようと思う」とその瞬間はかき消されるから、感じにくくなります。
 
あまつさえ「テイクバックを早くすれば振り遅れない」「ボールが落ちてくるタイミングに合わせてラケットを振り出す」などとフォームや打ち方について考えると、「感じる力」が壊滅的に弱まりますから、打球タイミングは合わなくなるのです。
 
ですから「逆」で、「入れよう」と思わなくなると「入るようになる」のです
 

▶「感じる」と「考える」はトレードオフ


「今!」「ここ!」がより強く感じられるようになる。
 
そうすると逆説的ですが、「入れよう」という思いも静まります。
 
ボレーが「気持ちいい」というのは思考というよりも感覚的なので、集中により「ああしよう」「こうしなきゃ」という雑念が取り払われたから得られたフィーリングです。
 
つまり「集中しているつもり」とはおっしゃいますけれども、「集中している」のです。
  

▶集中するから「気持ちいい」

 
「気持ちいい」のは適切です。
 
気持ちいいと「思った」というよりも、気持ちいいと「感じた」のではないでしょうか?
 
集中すると何も感じないのではなくて、むしろ集中するから、気持ちいいと感じます
 
「打ちたい!」気持ちが満たされるわけですからね。
 
非集中では「打たされる」思いになるから、気持ち悪い、あるいは何も感じないのです。
 
感じないけどイライラと何か「考える」のです。
 

▶「気持ちよさ」は集中を伝える体からの「シグナル」


「ボレーが気持ちいい」というのも感覚です。
 
私たちは考え事をしていると、「気持ちいい」とすら感じません。
 
少しは感じたとしても、強い感じ方にはならず、感覚が鈍ります。
 
ですから「気持ちいい」と感じるのは、集中していると体が伝えるシグナルと言えます
 

▶「健康のため」が「不健康」


お風呂でも、「これは健康のためだ!」「代謝を上げるためだ!」などと「考える」と、五感が感じる気持ちよさは消失します。
 
気持ちよさどころか、お湯のぬくもりも、流れる水の音も、窓から入るそよ風も、シャボンの香りも、「健康のためだ!」「代謝を上げるためだ!」などと考え事をしていると、感じられなくなります
 
「健康のためだ!」「代謝を上げるためだ!」などと考えるのは「怖れ」ですから、かえって健康を損ない、代謝も下がるベクトルです。
 

▶「走らなきゃ……」と「走りたい!」

 
頭で考え事をすると、打球タイミングは合いません。
 
打球タイミングをぴったり合わせるには「今!」「ここ!」という瞬間(打時)をより強く「感じる」のです。
 
「打たされる」のではありません。
 
トッププロは「打ちたい!」感じ方が非常に強いのです
 
打球タイミングだけではありません。
 
アマチュアは「走らなきゃ……」「走らされる……」思いかもしれませんけれども、ボールに集中するトッププロは「走りたい!」のです。
 

▶ボールを追いかけるるん

 
考え事をしなければ、そうなるのが自然です。
 
ですからうちの愛犬るんも、ボールを投げると喜んで追いかけます。
 
その素早い動きは目を見張ります。

彼女が「面倒くさい」「テレビでも見ているほうがマシだ」などと考えれば、ボールを追わないでしょう。
 
追っても遅いはずです。
 
ですから「打たなきゃ」「走らされる」と感じているプレーヤーの動きは、どうしてもスイングスピードが上がらず、走る速さも緩慢です。
 
全速力にする必要はないけれど、テニスを上手くプレーするための「自適スイングスピード」とはなりません。
 

▶「食べなきゃ……」か「食べたい!」か

 
るんに「やる気を出せ」などと、しつけているわけではありません。
 
モチベーションは意志の力で「上げる」のではなく、集中すると「上がる」
 
ラファエル・ナダルは、「走らなきゃ……」ではなく、「走りたい!」のです。
 
だから、わざわざ疲れる「猛牛ダッシュ」

これから始まる長いゲームに備えて体力温存などと、「考えない」のです。
 
食事を健康のためだと思うと「食べなきゃ……」ですが、考えなければ「食べたい!」ではないでしょうか?

▶小学校6年間の「濃さ」


テニスもお風呂も食事も、「今」「ここ」にあるリアルな感覚が充実しなくなると、思考のバーチャルに人生が乗っ取られます
 
「10年なんてあっという間」というのは、楽しい時を過ごしたからというよりも、考え事をしていたせいで中身がぽっかり空洞化するからです。
 
私も含め大人になるにつれて考え事や心配事、不安が多くなりますから、年を取るほど時の経過を速く感じます。
 
小学校の6年間とは、「濃さ」が違う
 
もちろんそれは、10歳の10年が「10分の10」であるのに対し、50歳の10年が「50分の10」だから、5分の1の速さ(短さ)に感じる相対化の違いはあるにせよ、それにも増して大人になると思考に人生を乗っ取られる割合がどうしても増えるのです。

▶「リア充」は、「やり方」ではなく「あり方」


バーチャルな思考に乗っ取られて、リアルな感覚の人生が充実しなくなる。
 
何もカラオケで歌いまくるばかりが「リア充」ではありません
 
カラオケに行っても「あの子よりも」「私のほうが」「そろそろ帰りたい」などと頭の中で考え事ばかりしていたら、バーチャルに乗っ取られてその場その時が空洞化します。
 
そうではなくて、リアルの五感が充実するから、略して「リア充」
 
カラオケが悪いと言いたいわけではありません。
 
聞こえる歌や音、食べる味わい、友達とのおしゃべりを通じて耳に届く声、目に映る表情、風景などを五感でリアルに感じると、その場その時が充実します
 
濃度が「濃く」なるのです。
 
何をするかのDoではありません。
 
どうあるかのBeです。

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(テニスゼロ)
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